第三部 第17話:紫煙の襲撃者と、忍び寄る影
――ほんの数十秒前まで、光り輝くシャンデリアと芳醇なワインの香りに満ち溢れていた華やかな舞踏会場は、瞬く間に悪夢のような静寂へと包み込まれた。
部屋の四方から立ち込める不気味な紫色の煙幕。古代魔道具が放つ強力な睡眠の呪縛は、会場にいた皇族、各国要人、そして歴戦の騎士たちをも容赦なく呑み込んでいく。
「くっ……意識が……」
第一王子シリウス、そして帝国皇帝レグルス――世界屈指の実力者である二人ですら、不意を突かれた睡魔の前に膝をつき、そのまま床へと倒れていく。
「(シリウス殿下にレグルス陛下まで……!?)」
自身は『マインドリセット』で間一髪睡魔を打ち破ったカノープス中尉は、倒れかけたスピカの身体を瞬時に抱き止め、庇いながら即座に両脇のハダルとミラへ鋭い指示を飛ばした!
「ハダル君! シリウス王子を! ミラさん! レグルス陛下への【活】をお願いします!!」
「「はいっ!!」」
【活】――。
サムライ、忍者、武闘家といった前衛および隠密系ジョブを極めた者のみが扱える特殊スキルである。対象の身体と精神のエネルギーを強引に一瞬で活性化させ、【毒】と【麻痺】を除くあらゆるバッドステータスを強力に瞬間回復させる奥義であった。
指示を受けたミラが素早くレグルスへ駆け寄り、その胸元へ鋭く掌打を打ち込んで【活】を施す。
「ぐはっ……! 息が……!?」
劇的なエネルギーの流入により、レグルスはハッと意識を取り戻した。目の前の状況と漂う紫煙を一瞬で察知した皇帝は、跳び起きるなり会場中に響き渡る怒号を上げた!
「皆の者!! 聖女スピカを護れ―――ッ!!」
レグルスの号令と同時に、アーティファクトの睡魔に抗い、かろうじて意識を保っていた猛者たちが一斉に動き出した。
剣を抜くソードマスター・ゾズマ。静かに魔力を練り上げるリンデア王国の精霊拳士・パドミニ。ミドルドアの大武道家であるマスターモンクのヤン・ヤン・チョウセイ。重装騎士からなるロメーダの三連星。そして、いち早く前衛に躍り出た聖騎士シャーロットと、抜刀姿勢をとるサムライ・アルタイル。
帝国と世界各国の精鋭たちが、倒れたスピカを中心に鉄壁の陣形を組み、煙幕の中で全神経を研ぎ澄ませて警戒の態勢をとる。
その陣形の中央で、カノープスは膝をついているスピカの背中を支え、【活】を施しながら優しく、しかし焦燥を込めて声をかけた。
「スピカさん! スピカさん、しっかりしてください! みんなスリープの呪縛でやられています……! 解呪をお願いします!」
「う、うん……? え……?」
【活】によって朦朧とした意識を浮上させたスピカは、目をパチパチさせながら周囲を見渡した。床に倒れ伏す無数の貴族たちを見て、状況を把握する。
「えっ……!? み、みんな眠っちゃってるの……!? 起こせば、起こせばいいのねっ!?」
スピカは胸の前で両手を合わせ、胸元の第一勲・ダイヤの勲章を強く光らせながら、内に秘めた神聖な魔力を一気に解放した!
「――『リムーブ・スリープ(睡魔解除)』ーーーーっ!!」
スピカの頭上から解呪の聖なる光が爆発的に広がり、波紋となって広い舞踏会場全体を覆い尽くした。
「う、うお……っ!?」「な、なんだ……何が起きた!?」
聖女の強力無比な解呪文を受け、睡魔に襲われていた全員が同時に正気を取り戻す。
あちこちで立ち上がる貴族や要人たちであったが、未だ漂う紫煙と突然の事態に会場内はパニック状態に陥っていた。
そんな混乱の最中――一人の侍女の悲鳴が鋭く鼓膜を刺した。
「い、大変です……! エリダヌス姫がおいでになりませんーーーっ!!」
「なんだと……!?」
その叫びを聞いた瞬間、シリウスは苦虫を噛み潰したような険しい表情を浮かべ、一瞬の躊躇もなく会場の出口へと弾かれたように飛び出した。
「シリウス殿下!」
追おうとするカノープスたちの頭上から、不吉な羽ばたきと共に、黒いカラスのような使い魔が飛来した。使い魔は会場の天井近くを旋回しながら、耳障りな合成音で恐ろしい要求を響かせた。
『――エリダヌス姫は預かった。姫の命が惜しくば、聖女スピカと、アールエルエフの同胞を引き渡せ!』
『繰り返し伝える! 姫は預かった。聖女とアールエルエフの同胞を引き渡せ……!』
「な……っ!?」
使い魔の言葉に、周囲の貴族たちが息を呑む。
『アールエルエフ(RLF)』――ロメーダ解放戦線。
古くから存在する、ロメーダ帝国の転覆を目論む反政府レジスタンス組織である。かつてロメーダ政変の折、皇后派と皇帝派の激しい内乱に乗じて勢力を拡大してきた過激派であったが、レグルスが全権を掌握し強力な権力基盤を築いてからは、その力は弱まりつつあるとされていた。
(……奴らの狙いはこれか……!)
カノープスは脳内で素早く状況を分析する。
ロメーダ帝国はかつて、二代目聖女の奇跡によって国家滅亡の危機を脱したという歴史を持つ。ゆえに国民の「聖女信仰」は熱狂的であり、時に王家の威光すら凌駕するほどだ。アールエルエフは「聖女スピカ」を自分たちの手中に収めることでその権威を利用し、帝国を内部から乗っ取る腹づもりだったのだろう。
しかし、主賓として厳重に護衛されているスピカの直接強奪は困難と判断し、瞬時に標的を帝国王女エリダヌスへと切り替え、人質に取ったのだ。
皇帝主催の豪華な晩餐会で大騒動を引き起こし、王女を拐う――。帝国の威光を失墜させ、自分たちの存在感を世界に誇示する狙いも含まれていることは明白であった。
(……待てよ。あの使い魔は……時間を稼ぐためのブラフだ!)
カノープスは鋭く思考を巡らせる。
(あんな派手なメッセージを流すということは、姫をさらった実行犯はまだ遠くへ逃げていない! 迎賓館のすぐ近くに潜んでいるはずだ……!)
カノープスはすぐさまハダルと、追撃のために駆け寄ってきた父全権大使のゼダルへ向き直った。
「父上!ハダル君! スピカさんの護衛をよろしく頼む!」
「カノープス先輩!? どこへ行くのですか!?」
ハダルの問いには答えず、カノープスは隣に立つミラへ素早く目配せをした。
「ミラさん、行くよ!」
「ええ、分かっているわ!」
二人は脱兎のごとく会場を飛び出すと、混乱する廊下の物陰――柱の死角へと滑り込んだ。
カノープスとミラは互いに深く頷き合うと、着用していた洗練された正装や華やかなドレスを躊躇なく脱ぎ捨てた。
その下に着込んでいたのは、闇に溶け込む漆黒の隠密装束。
二人は手慣れた動作で目元以外の顔を深く覆い、覆面を装着する。
(……シリウス殿下を一人で追わせるわけにはいかない。そして……エリダヌス姫も、スピカさんも、誰も傷つけさせはしない……!)
カノープスの瞳に、普段の冴えない外交官の面影は微塵もなかった。そこにいたのは、修羅の修練を潜り抜けた暗躍の英雄――。
(――イナズマ丸! 見参……!!)
覆面の奥で鋭い光を宿したイナズマ丸は、紫煙が漏れ出す迎賓館の窓から、夜風が吹き抜ける漆黒の空を静かに見上げるのだった。
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