第三部 第9話:人の心を知った覇王、あるいは深夜の酒の肴
「――で? レグちゃんは、スピカちゃんの『どこ』が好きなの?」
シャーロットお姉さんが放った、逃げ場のない直球の質問。
その瞬間、応接セットを囲む女性陣――シャーロットお姉さん、ベガ様、メアリーさん、ハダルちゃんの四対の視線が、針のようにレグルスへと突き刺さった。
あまりのプレッシャーと屈辱に、一度は完全に白目を剥きかけたレグルスであったが――ふと、正面のソファーに目をやった。
そこには、両手を膝の上でキュッと握りしめ、自分を真剣な眼差しで見つめ返してくるスピカ・マセットの姿があった。
茶化すでもなく、引くでもなく。
ただまっすぐに自分という人間と向き合おうとしているターコイズの瞳。
それを見た瞬間、レグルスのエメラルドの瞳から、パニックの色が消え去った。
彼は深く息を吐き出すと、黒装束の姿勢を正し、静かに言葉を紡ぎ始めた。
「……スピカ・マセット。お前は……あのクラーケン討伐の直後、ブリデンのヘンリー王子の命を救った時のことを覚えているか?」
「え……? はい。まぁ……ぼんやりとですが……」
突然の問いかけに、スピカは少し面食らいながら答えた。
あの激闘の最中、クラーケンの一撃による重傷によって死の淵に立たされていたヘンリー王子を、スピカは無我夢中で自分の回復魔法と祈りを捧げて救おうとしたのだ。
レグルスはスピカの顔をまっすぐに見つめたまま、自嘲気味に薄く口元を緩めた。
「……あの時の私はな。彼の『死』そのものよりも……サミットに出席した重鎮が我が帝国の管理下で死亡することによる、『社会的評判の失墜』を何よりも恐れていた。……冷酷で、損得のみで動く……余は、そういう男なのだ」
部屋の中の静寂が、より一層深まる。
レグルスの言葉には、一国の覇王としての孤独と、冷徹な仮面を被り続けてきた己への諦絶が滲んでいた。
「……しかし。お前は、私の目の前で『奇跡』を見せた」
「……奇跡?」
「そうだ。己の限界を遥かに超え、なんとしても彼を救おうとする……お前の、純粋な『祈り』の呪文。死の底から蘇り、息を吹き返したヘンリーの姿を見た時……私は、社会的評判の回復などどうでもよくなっていた。ただ純粋に、一人の人間が死の淵から復活したことを……胸の底から喜んでいる自分がいたのだ」
レグルスは照れ隠しもせず、朗々と、しかしどこか優しさを帯びた声で言葉を続ける。
「お前は……あの時、気づかせてくれたのだ。冷酷な計算だけで動いていたこの私にも……『人の心』が存在するということを」
「っ……」
「……その時、心から思ったのだ。私には……帝国を統べる余には、お前のような存在が必要不可欠なのだと」
――静寂。
レグルスの真摯で、魂の底からの告白。
皇帝としての孤独を救ってくれた少女への、あまりにも美しく深い好意の真実。
それまでお酒が入って面白がっていた女性陣も、レグルスの予想外に真面目で重厚な動機に、息を呑んで耳を傾けていた。
沈黙を破ったのは、レグルスの右手を未だに掴んでいたシャーロットお姉さんだった。彼女は感心したように、フッと顎を撫でて呟いた。
「……ふーん。案外、まともな動機ねぇ」
(……な、なぜ……余の胸の内を、お前に上から目線で評価されねばならんのだ……っ!!)
レグルスは心の中で激しい突っ込みを入れ、こめかみにピキリと青筋を立てた。
……だが、彼の精神力はすでに限界を超えていた。
黒装束での不法侵入、ハダルとの戦闘、女子会組による身柄拘束、そして大勢の前での羞恥的な恋バナ暴露。あまりに濃密すぎる災難の連続に、覇王のHPはゼロに近かった。
すくっと、レグルスはソファーから立ち上がった。
そして、第一王子のシリウスにも負けない完璧で気品ある所作で、深々と一礼し、別れの口上を述べた。
「――今宵は、ミルキーウェールズのご婦人方の熱烈なる歓迎、誠に痛み入る」
「あ、あら?」
「明日は大事な式典も控えおる故……余はこれにて失礼する!」
限界を迎えたレグルスは、ふらふらと覚束ない足取りでバルコニーの大きな窓を開け放った。
夜風が吹き込み、プラチナブロンドの髪が乱れる。
彼は去り際、スピカへと振り返り、あの真摯なエメラルドの瞳を向けた。
「――スピカ・マセット。明日、式典で会おう」
「あ……はい! 陛下!」
告げると同時に、レグルスはバルコニーの欄干から身を躍らせた。
「――『フライ(飛行)』!」
アークウィザードの飛行魔術が発動し、黒装束の皇帝は、夜空の月に向かって……どこかふらふらと千鳥足のような軌道を描きながら、アルメキオン城の本丸の方角へと飛んでいったのだった。
「……ふふ」
夜空へと消えていくそのどこか情けなくも愛おしい後ろ姿を、スピカはバルコニーから見送りながら、小さく微笑んでいた。
(不器用で、政治のことばかり考えていて……でも、すごく真っ直ぐな人。……少し、嬉しかったな)
胸の奥に灯った温かな灯火を感じていると、後ろからシャーロットお姉さんの豪快な声が響いた。
「あはは! 明日も式典があることだし、私たちもお開きにしよーか!」
シャーロットお姉さんは残っていたワインをクイッと飲み干すと、満足そうにパンと手を叩いた。
「でも、いや〜! いい『酒の肴』だったわ〜! 皇帝陛下の本気告白なんて、一生モノのレア体験ね!」
「も、もう……シャーロットさんったら……」
豪快に語る騎士の名門のお姉さんに、スピカは顔を真っ赤にして冷や汗をかくことしかできなかった。
退室の際、ドアのところでシャーロットお姉さんがふと立ち止まり、スピカに向かってニッと悪戯っぽく笑いかけてきた。
「――モテる女も、辛いわね。スピカちゃん」
「っ……! もう、からかわないでくださいっ!」
照れるスピカを残し、賑やかな女子会組はそれぞれの客室へと戻っていったのだった。
――嵐のような静けさが、再びスイートルームを包み込む。
ハダルと二人、静かになった部屋で窓の外を眺める。
ライトアップされた庭園の向こう、闇に聳え立つアルメキオン城のシルエット。
明日はいよいよ、世界の注目が集まる「クラーケン討伐記念式典」の本番だ。
シリウス王子の思惑、レグルス皇帝の情熱、そして世界を揺るがすかもしれない数々の思惑。
式典を明日に控え、超大国ロメーダ帝国の首都アルメキオンの夜は、静かに、そして深々と更けていったのだった――。
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