第三部 第4話:式典の招待状、あるいは天才参謀の恋愛スキル
「――カノープス君! 君に会いに、また来ちゃった♪」
山吹色の髪をなびかせ、妖艶な微笑みを浮かべてメレンヘア学園生徒会室へ足を踏み入れたのは、ロメーダ帝国とソビヤ王国の狭間で暗躍する二重スパイ――ミラ・グラダスであった。
「……ミラさん。なぜ、ここに?」
カノープスが警戒を露わにして問いかけると、ミラは鈴を転がすような笑い声を立て、迷いなくその美しい距離を詰めてきた。そして、驚くカノープスの両頬を、自身の上質で柔らかな両手で包み込む。
「君を追いかけて、国境を越えてここまできちゃった❤️ ……ねえ、カノープス君。私を拘束して……『いやらしい取り調べ』とか、しちゃう?」
ふわりと漂う甘い香水と、耳元で囁かれる刺激的な言葉。
当然、その光景を目の前で見せつけられた後輩のハダル軍曹が、穏やかでいられるはずもなかった。
ハダルは一瞬で顔を跳ね上げると、廊下に向かって大声で叫んだ。
「――SPさーん! ここにスパイがいまーす!!」
「あーーーっ! ちょっと待って、ゴメン! ゴメンってば!!」
ハダルの本気の通報に、先ほどまで余裕たっぷりだったミラが、一転して慌てふためいて手を振った。
「私、怪しいスパイじゃないから! 正式な『使者』としてここに来たの! ほら、レグルス皇帝陛下からの正式な親書(書状)もあるわ!」
ミラが懐から恭しく取り出したのは、ロメーダ帝国の皇帝紋印が捺された重厚な羊皮紙だった。
カノープスは即座に忍びの鋭い視覚と嗅覚を働かせ、手紙に毒物や爆発物、特殊な魔法仕掛けが施されていないことを厳重に確認した上で、それを執務机に座るシリウス王子へと手渡した。
封を切り、書状に目を走らせるシリウス。その美貌に、わずかな思索の影が落ちる。
手紙の内容は――ロメーダ帝国の首都アルメキオンにて、先のサミット参加国を中心に「クラーケン討伐記念式典」を盛大に執り行う、というものであった。
招待客は国際学園サミットの参加者たち、ならびにクラーケン討伐において著しい働きを見せた者たち。
ミラは微笑を張り付け直し、シリウスとカノープスに向かって告げた。
「レグルス皇帝陛下は、シリウス殿下……そして『スピカ庶務』には、ぜひとも出席していただきたいとお望みです」
政治的な意図が透けて見えるような打診に対し、シリウスは第一王子としての完璧な気品と笑みを崩さず、静かに頷いた。
「ミス・ミラ・グラダス。遠方よりの過酷な道のり、誠にご苦労であった。我が国へ歓迎しよう。招待への返答は改めて書面にてお送りさせていただく。まずは旅の疲れを癒やし、ゆっくりと体を休めてくれ」
「シリウス殿下、温かいお心遣い、いたみ入ります。お言葉に甘えさせていただきたいところではございますが……私にも式典の準備がございますので、これにて失礼いたします」
ミラはしなやかな所作で一礼すると、去り際にカノープスへと情熱的な視線を投げかけた。
「――じゃあ、またね。カノープス君❤️」
ウインクを残し、ミラは風のように生徒会室を退室していった。
――静まり返る室内。
ミラの背中が見えなくなったのを確認すると、カノープスはシリウスへと向き直り、低い声で問いかけた。
「……殿下。どうされますか?」
シリウスは背もたれに深く体を預け、眉間を軽く揉んだ。
「……国際社会の手前、断るわけにはいかないな。帝国が主催する『世界の平和を祝う式典』を無断で突っぱねれば、我が国が協調性を欠いていると非難される」
「……罠の可能性もあります」
「ああ、十二分にな。……充分な準備が必要だ」
「早速、極秘裏に防衛と情報収集の策を思案いたします」
カノープスが即座に頷くと、それまで黙って書類を精査していた生徒会副会長――聖騎士のルスカ・ルマンディが、スッとメガネのブリッジを押し上げながら、極めて真面目な顔でカノープスに問いかけてきた。
「……カノープス庶務。あのくノ一に対して、『いやらしい』……いや、『厳格な取り調べ』をしなくて良かったのか?」
「そ……それは、別に良いですッ……!」
じとーっとした目で見つめてくるハダルの痛烈な視線を肌で感じながら、カノープスは汗を流して即答したのだった。
一方その頃。
ミラの来客や生徒会室の張りつめた空気を避けるように、スピカは息抜きとして学園の中庭へと立ち寄っていた。
朝露の残る花壇の脇を歩いていると、頭上から快活で涼やかな声が降ってきた。
「――よう! スピカ!」
振り返ると、そこに立っていたのは、陽光を浴びて輝く短い黒髪に、情熱的な黒い瞳を持った少年だった。
ミルキーウェールズ王国第二王子であり、シリウスの異母弟――リゲル・ランスター殿下。
若干十七歳にして王国最高峰の剣士に与えられる『ソードマスター』の称号を保持する、この国最強の武闘派王子様である。
「リゲル君!」
リゲルは木からひらりと飛び降りると、照れくさそうに頭を掻きながら、スピカの顔を覗き込んできた。
「なんか……スピカ、大変なことになってるな。サミットのこととか、街の横断幕のこととかさ。……俺に、できることはあるか?」
まっすぐで、一切の裏表がない純粋な気遣い。
シリウス王子との間にどこかすれ違いを感じ、心が千々(ちぢ)に乱れていたスピカにとって、そのリゲルの素朴で優しい言葉は、深く心に染み渡った。
「ふふ、ありがとう、リゲル君。私は大丈夫よ」
スピカが柔らかく微笑むと、リゲルは急に耳まで真っ赤にし、照れ隠しのように明後日の方向を向いて話を変えた。
「つ、つーかさ! 俺……最近、農政の勉強を始めたんだ」
「えっ? 農政の?」
「おう。剣の腕だけじゃ、国や民は守れないからな。土のこととか、作物の育て方とか、そういうのを一から勉強しててさ……」
武闘派として知られる彼が、民の暮らしのために泥臭い学問に励んでいる。その真面目さに、スピカは胸が温かくなるのを感じた。
「本当に素敵なことだわ、リゲル君! 私も、なんか責任ある立場になりそうで色々と勉強しなきゃならないの。……一緒に頑張りましょうね!」
「っ……! おう! 一緒に……頑張ろうな!」
スピカの純粋な応援を受け、リゲルの頬はさらに朱に染まった。
その甘酸っぱい空気を破るように、授業の開始を告げる予鈴が鳴り響く。
「あ、私、生徒会室に荷物を取りに戻らなきゃ! じゃあね、リゲル君!」
「……ああ、またな!」
二人は爽やかな言葉を交わし、それぞれの目的地へと歩き出した。
ほんの少しだけ、心が軽くなったような気がしながら、スピカは中庭を後にしたのだった。
――ロメーダ帝国・アルメキオン城閣議室。
豪奢な円卓の着席位置で、第24代皇帝レグルスは、腕を組んで思索に耽っていた。そして、目の前に立つ筆頭参謀デネボラに向かって、淡々と問いかけた。
「――で。スピカ・マセットを式典に呼び寄せて、その後はどうするのだ?」
完璧な手はずで「クラーケン討伐記念式典」の招待状をミルキーウェールズへ送らせたものの、肝心なのは彼女がアルメキオンに到着してからのことである。
具体的にどうやって彼女の心を射止め、ロメーダ側へと引き入れるのか。
問いかけられた天才参謀デネボラは、フッと眼鏡を指で押し上げ――そして、急に歯切れの悪い顔になった。
「……そこからは、陛下の……その……『イケメンのスキル』で、なんとかなさるのが宜しいかと……」
「………………」
静寂が閣議室を支配した。
レグルスは一切の感情を消した無表情で、じっとデネボラを見つめた。
「…………デネボラ君」
「は、はい。なんでございましょう、陛下」
「君……恋愛の経験は?」
気まずすぎる静寂の中、大ロメーダ帝国が誇る「至高の頭脳」デネボラは口を開く。
「……からっきしで、ございます」
視線を泳がせながら、蚊の鳴くような声で答えたのだった。
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