第ニ部 第35話:覇王の演説、あるいは「お・そ・ら・く」の聖女
激動の一夜が明け、再開された国際学園サミットの会場は、昨日までとは打って変わって異様な熱気に包まれていた。
もはや、そこに漂う空気は単なる学生たちの外交会議ではない。世界の平和を守り抜いた「英雄たち」を称える、式典のような高揚感が議場を満たしていた。
サミットの再開は、当然の、そして不可避の流れとして、クラーケン退治の総指揮官にして最大の功労者、ロメーダ帝国皇帝レグルスの演説から幕を開けた。
演壇の最上段に立ったレグルスは、朝日にプラチナブロンドの髪を輝かせ、エメラルドの瞳で会場を見渡した。その圧倒的な覇気とカリスマ性を宿した声が、広い議場に朗々と響き渡る。
「――ここに集まる、エキティカの勇士諸君!」
一瞬にして、ざわついていた会場が静まり返る。
「まずは昨夜の、各々が歴史に残る勇者のごとき働き! まことに大義であった。我々は今、エキティカの歴史に永劫に刻まれるであろう、偉大な功績を成し遂げたのだ!」
レグルスの力強い言葉に、各国の若き代表たちの胸に熱いものが去来する。
「我々は昨日、世界を揺るがす未曾有の厄災を前にして、国家の垣根を越え、ひとつになった。そして、あの神話上の怪物クラーケンを完全に沈黙させたのだ! これにより、ここリンデアのゾウムハーバーの平和が守られただけではない。世界の七つの海に、真の平穏がもたらされたのである!」
レグルスは拳を握り、さらに声を張り上げる。
「海の平和は、世界の交流をより活発にし、我々の生きる世界エキティカをさらなる発展へと導くであろう! 我々は若い。だが、若いからと言って、無力ではない! 昨夜の戦いは、それを世界に知らしめるに十分な証明であった! 我々が力を合わせれば、いかなる厄災も乗り越えられ、世界平和という夢も決して不可能ではないと、私はここに断言する! これからも共に歩んでいこうではないか、エキティカの同胞諸君!」
「「「おおおおおおおおっ!!!」」」
割れんばかりの拍手と、地響きのような大歓声が議場を揺らした。各国の王子も、騎士も、魔導士も、レグルスの言葉に魂を揺さぶられ、立ち上がって賞賛を送っている。
まさに、レグルスの政治的名声と求心力が極限に達した、完璧な瞬間であった。
だが、レグルスは熱狂を片手で静めると、不敵な笑みを浮かべ、誰もが予期しなかった言葉を口にした。
「そして――本日! 我が祖国ロメーダより『賢者の書・第115節』の原本調査の内容が、正式に私の元へと届けられた!」
その言葉に、議場が水を打ったように静まり返る。
ミルキーウェールズの席に座るカノープスは、全身の血が冷たくなるのを感じた。
(何……!? このタイミングで『ep.115』を公表するだと……!? 昨夜の圧倒的な功績で世界中の支持を集め、誰一人として帝国を批判できないこの流れの中で公表するということは――!)
カノープスの手のひらに、じっとりと冷や汗が滲む。
レグルスは会場の誰もが唾を呑み込むのを見計らい、ドラマチックな沈黙の後に、ゆっくりと、しかし絶対の確信を込めて演説を続けた。
「世界がさらに団結し、次なる困難へと立ち向かうため、我がロメーダ帝国は隠し立てすることなく、未公開であった『賢者の書・第115節』の内容を、ここで全世界に公表する!」
息を呑む議場。レグルスは堂々とその予言の言葉を告げた。
「――『賢者の書・第115節』。その内容は……『ミルキーウェールズに、聖女が出現する』である!」
「――な、なんだって!?」
「ミルキーウェールズに、あの伝説の聖女が……!?」
会場が一斉に激しくざわめき立つ。
その予言の衝撃波は、議場を嵐のように駆け巡った。
そして、当のミルキーウェールズ王国の席に座るスピカもまた、目を丸くしてその予言に驚いていた。
(ええっ! うちの国に、あの世界を救うっていう伝説の聖女様が現れるの!? すごい……! どんなに綺麗で、お淑やかで、素晴らしい人が現れるんだろう……!)
完全に、一言の曇りもなく「超・他人事」としてワクワクしているスピカ。
しかし。
演壇のレグルス皇帝は、ざわめく群衆の視線を一身に浴びながら、その鋭いエメラルドの視線を、他でもないスピカの真っ直ぐな瞳へと向けて固定した。
レグルスの口元が、獲物を捉えた肉食獣のように、美しく、そして不敵に吊り上がる。
「――ミルキーウェールズ王国代表。マセット伯爵家長女、スピカ・マセット君!」
「……へ?」
突然自分の名前を呼ばれ、スピカの頭の上に巨大な疑問符が浮かんだ。
「ご起立願おう!」
レグルスの有無を言わせぬ絶対の指示に、スピカはわけも分からぬまま、操り人形のようにその場でパッと立ち上がってしまった。議場にいる数百人の代表たちの視線が、一斉にスピカへと集中する。
怪訝そうに眉をひそめるシリウス王子や、表情を凍りつかせるカノープスの前で、レグルスは立ち上がったスピカを指差し、世界に向けて宣言した。
「昨夜、誰もが手遅れだと諦めた致命傷を負った騎士を、彼女は一瞬にして全快させてみせた。さらには、国軍規模の絶対防御結界を一人で展開し、あの海の魔王の猛攻を完全にシャットアウトした! ――おそらく(、、、、)、彼女こそが、予言に示されたミルキーウェールズの、そしてエキティカ史上三代目の『聖女』だ!」
ドォォォォォンッ!!! と、先ほどのクラーケン出現の時以上の、天地を揺るがすような怒涛のどよめきが議場を包み込んだ。
「あのマセット伯爵家の令嬢が、聖女……!?」
「確かに、昨夜のあの結界と回復魔法は常軌を逸していた……!」
「間違いない、彼女こそが聖女だ!」
周囲からの熱烈な視線、賞賛、畏怖の眼差し。
嵐のような喝采とどよめきがスピカを包み込んでいく。
だが、当のスピカは、頭が真っ白になり、魂が口から抜けかけたような呆然とした表情のまま、レグルスの言葉の「ある一言」を脳内でリピートしていた。
(……お、そ、ら、く(、、、、、)?)
スピカは、冷や汗を流しながら、壇上のプラチナブロンドの皇帝をじっと見つめた。
そして、レグルスの放った「決定的な一言」に、心の中で全力のツッコミを入れていた。
(……お、おーそーらーく……!?)
「絶対」ではなく、わざわざ「おそらく」という不確定な余白を残して自分を指名したレグルスの抜け目のなさに、何とも言えない表情になるスピカだった。
スピカの心境など露知らず、会場の盛り上がりはもはや誰にも止められないレベルに達していた。
海の魔王を退治した英雄皇帝が、サミットの再開と同時に放った、最大にして最悪の爆弾。
スピカの平穏な学園生活の崩壊を告げる鐘の音のように、鳴り響く拍手の中、再開された国際学園サミットは、誰も予想しなかった「スピカ争奪戦」という、最悪にスリリングな方向へと音を立てて進み始めるのだった。
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