第ニ文章 第27話:迎撃のイブ、そして少年王の覚悟
国際学園サミットは、レグルス皇帝の一言によってその性質を完全に変えた。世界平和を語り合う知的対話の場は、急遽、明日訪れるであろう「空白の一日」を生き残るための、過酷な軍事作戦会議室へと変貌を遂げたのである。
予言の時刻より討伐軍が到着するまでの24時間――その間にもし怪物が現れた場合、このリンデアの地を守る盾となるのは、サミットに参加している各国代表の若き俊英たち、合計70名全員であった。彼らは全員、臨時の怪物討伐隊として実戦に参加することが決定したのだ。
そして、その規格外の防衛隊を率いる総指揮官の座には、発案者であり最高位の戦闘能力を持つロメーダ帝国皇帝・レグルスが就くこととなった。エキティカの未来を担う若き天才たちは、かつてない強大な怪物を前に、宿敵であったはずの覇王の指揮下で命を懸けて戦うこととなる。
作戦決行の地となるゾウムハーバーには、開催国リンデア王国の国軍、総勢3,000人が緊急集結していた。
うららかな観光地だった白砂のビーチ沿いには、無数の野営テントが連なり、黒々とした石弓や対魔導障壁の魔法陣がびっしりと敷設されている。強固な「3重の防衛ライン」が海岸線に構築される一方で、沖合にはリンデア海軍の戦艦群が待機していた。
海と陸、その双方から、いつ現れるとも知れぬ海の魔王を迎え撃つための、文字通りの厳戒態勢。彼らリンデア国軍の精鋭たちもまた、臨時にレグルス皇帝の指揮下へと組み込まれていた。
――怪物、クラーケン。
過去の文献に記されたその存在は、巨大なタコかイカのような姿をした、海そのものの化身とも言える大災厄である。
エキティカの長い歴史において、この怪物が現れたのは過去にわずか3回。
1回目の出現は、スピカたちの故国であるミルキーウェールズ王国の東海岸だった。当時の古い記録によれば、怪物には雷撃系の呪文こそ多少は怯む様子を見せたものの、その他のほとんどの攻撃魔法が一切通用しなかったとされている。頭部からは直径1メートルにも及ぶ巨大な触手が無数に生え、これを切り落とすには一騎当千の熟練の剣士でなければ不可能だった。
しかし、さらに絶望的なことに、その凄腕の剣士たちが命懸けで切り落とした触手は、まるで独自の意思を持つ生き物のように陸に上がって暴れ回り、さらに本体の切り口からは、新しい触手が瞬く間に再生したという。
この世の終わりとも思える絶望的な怪物を前に、当時、国を救ったのは――ミルキーウェールズが誇る「初代聖女」であった。聖女が放った謎の『聖なる光』がクラーケンを包み込み、辛うじて海へと退けたのだ。しかし、その『聖なる光』の正体が何であったのか、どのような魔術や奇跡だったのかは、未だに歴史の闇に埋もれて判明していない。
そして、2回目と3回目の出現は、それぞれレーシア王国とブリテン王国の由緒ある港町であった。どちらも賢者の書の予言通りの日時に現れたが、各国軍の血を吐くような奮闘も虚しく、その2つの美しい港町は、クラーケンの圧倒的な暴力の前に蹂躙され、跡形もなく徹底的に破壊し尽くされたという。
その他にも、外洋における数々の不可解な船の遭難事故は、生還した乗組員の証言から、その大半にクラーケンが関与していると公式に認定されていた。
まさに、出会えば死を意味する伝説の魔王。それが、明日この場所に現れるかもしれないのだ。
作戦開始に備え、ロメーダ帝国陣営を除く各国のサミット代表たちは、湾岸沿いにある臨時の宿泊施設へと一時待機することになった。最終的な作戦行動として、本日「23時」に海岸の第二防衛ラインへと完全集結するよう通達が出されている。
迎賓館の自室から各々の愛用の武器や重装甲の戦闘服を取り寄せる者、魔導書の呪文を確認する者など、宿泊施設の中は戦前の喧騒と異様な熱気に包まれていた。
その慌ただしいロビーの片隅で、スピカは人混みの中にハダルの姿を見つけ、小走りで駆け寄って彼女を呼び止めた。
「ハダルちゃん! ……あの、ロメーダのお姉さん(ミラさん)のことなんだけど……。私、あんまり深く詮索しない方がいいと思うなぁ、なんて……」
昨夜、カノープス君の過去に激しく動揺して涙を流していた親友を心配しての、スピカなりの気遣いだった。
するとハダルは、いつもの彼女らしい、すっきりとした迷いのない表情で小さく微笑んだ。
「――私も、ちょうどそう思っていたところです、スピカさん。色々な過去があったとしても……カノープス先輩が『今』、私を見ていてくれれば、私はそれでいいなって」
ハダルのそのまっすぐな言葉に、スピカは胸をなでおろした。
(そっか……。うん、ハダルちゃんがそう言うなら!)
「じゃあ、この件は一まず解決、ってことでいいのかな?」
「はい。少しだけモヤモヤは残りますけど、そうしましょう!」
そう言ってはにかんだハダルの顔は、すでにいつもの「頼りになる同朋」としての凛とした表情に戻っていた。スピカは内心で(カノープス君、あんた本当にいい子に愛されたんだからね!)と不器用な戦友へのエールを送りつつ、自らも覚悟を決めた。
やがて時間は流れ、夜の帳が完全にゾウムハーバーを包み込んだ。
ミルキーウェールズ王国の一行は、各自で最高峰の装備を整え、戦闘前の腹ごしらえとなる夕食と短い仮眠を済ませると、臨時の宿泊施設のロビーへと静かに集結した。
ロビーの重苦しい静寂の中、一同の前に立った第一王子シリウスが、静かに口を開いた。
「――これより我々は、歴史に名高い未知の怪物との戦闘を余儀なくされる。……言うまでもなく、全員が命を落としかねない、文字通りの命懸けの戦いだ」
シリウスの青い瞳には、いつもの余裕ある微笑みではなく、一国のリーダーとしての冷徹なまでの覚悟が宿っていた。
「だからこそ、私は今ここで伝える。……もし、この戦いに恐怖を感じ、ここで離脱を選択する者がいたとしても、私はその者を決して責めない。命は一つであり、国家の義務だけで縛れるものではないからだ。そして、ここに残って戦う者については、それぞれの胸に戦うべき大切な想いがある者として、私はその全員の意思を最大限に尊重したいと思う」
シリウスは集まった仲間たち、そしてスピカの顔を一人ずつ見つめ、最後に力強く言い放った。
「私とともに戦う意思のある者は、この未曾有の災いを食い止めるために、どうか私に力を貸してほしい。……これから我々は、予定通り第二防衛ラインへと向かう。意思のある者は覚悟を決め、私についてきてほしい。――以上だ」
それだけを告げると、シリウス王子は長いマントを翻し、一切の迷いのない足取りで、夜の闇に包まれた第二防衛ラインに向けて歩き出した。
――その背中を追う中で、留まる者は、誰一人としていなかった。
カノープスが、ハダルが、そしてスピカが、それぞれの武器と覚悟を胸に、静かに少年の王の後に続く。
白砂のビーチの先、波打つ漆黒の海の向こうで待つ、明日の決戦に向けて――ミルキーウェールズの若き英雄たちは、確固たる一歩を踏み出したのだった。
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