第ニ部 第24話:おぼつかない朝の撤退と、ショータイムの号令
「スピカさん。僕は貴女が好きでした」
「貴女は、僕が守ります」
朝靄の残る大迎賓館のロビーに響いた、カノープス中尉のあまりにも真っ直ぐで不意打ちの言葉。
それを耳にした瞬間、スピカの頭の中は、まるで真っ白なペンキをぶち撒けられたかのように完全にフリーズした。
(えっ……? え、えええええええっ!?)
あまりの衝撃に心臓がバックバクと早鐘を打ち、心だけでなく視界まで白く染まりそうになる。だが、目の前には人生の全てを賭けたかのような、ひどく真面目で凛々しい顔をしたカノープスが佇んでいる。
何か言わなければ。そう焦るあまり、スピカの口からは、何の思考のフィルターも通していない、引きつった言葉が勝手に出力されていた。
「は、はは……っ。あ、ありがとう、カノープス君。……わ、私、ちょっと部屋に、戻るね!」
それだけを辛うじて口にすると、スピカはカノープスから逃げるようにくるりと背を向けた。膝が笑い、視界がぐわんぐわんと揺れる、おぼつかない足取りのまま、文字通り自室へと猛ダッシュで撤退した。
バタン、とホテルの重厚な扉を閉め、鍵をかける。そのまま背中を預けて床へへたり込み、スピカは頭を抱えた。
(カノープス君が、私を……好き、だった!?)
脳内で彼の言葉が何度も、何度もリフレインする。
(過去形……! 確かに過去形だったわ。過去形だけど……でも、過去形だけどさぁ!!)
スピカは顔を真っ赤にしながらベッドへと這いずり、枕に顔を埋めてじたばたと足をバタつかせた。
今まで、カノープスのことを「異性」として意識したことは一度もなかった。どちらかと言えば、地味だけど頼れる旅の仲間。だが、彼のように人間的にも深く信頼できる誠実な人から、そんなふうに素直に、一人の女性として高く評価されていたということは――純粋に、ものすごく嬉しい。
嬉しい、けれど……!
(カノープス君が今、ハダルちゃんのことを大好きなのなんて、それこそ痛いほど分かってるわよ! それなのに、なんで私に? 過去のことだとしても、なんで『今』このタイミングで言うのよ!? ――まさか、さっきのレグルス皇帝のエメラルドの瞳のプレッシャーのせい!? ああもう、なんなのこの気持ち、カノープス君のバカっ!!)
ひとしきりベッドの上で悶絶し、枕をボカボカと叩いた後、スピカは深く息を吐き出して仰向けになった。
ふぅ、と天井を見つめながら、持ち前の現実的で冷静な思考で、こんがらがった複雑な人間関係の糸をパズルのように整理し始める。
(よし、落ち着こう。冷静に気持ちを整理するのよ、スピカ……。――カノープス君は、今はハダルちゃんが好き。そして、ハダルちゃんもカノープス君のことが大好き。で、私は……カノープス君もハダルちゃんも、二人のことが大好き。……うん! だったら、結論は一つじゃない!)
スピカはベッドの上でガバッと勢いよく起き上がった。
「私は、今まで通り! 全力で二人を応援する! ――よし、これでいーかー!」
自分自身を納得させるようにそう叫び、スピカは再びベッドへ勢いよく倒れ込んだ。これ以上の余計な詮索や動揺は、ハダルちゃんへの裏切りになるような気がしたのだ。あの今にも泣きそうな顔で部屋に来たハダルを思えば、朝のロビーでの出来事なんて、それこそ口が裂けても言えるはずがなかった。
「……でも」
柔らかなシーツに顔を埋めながら、スピカの口から、ぽつりと小さな本音が零れ落ちる。
「……素直に、ちょっとだけ嬉しかったかもな」
誰もいない静かな客室で、スピカの頬が、朝の陽光とは異なる熱でほんのりと赤く染まっていた。
◇◇◇
そんなスピカの激しい脳内パニックや複雑な乙女心を置き去りにしたまま、無情にも時計の針は確実に進んでいく。
約束の時間が近づき、スピカは意を決して再び迎賓館のロビーへと向かった。
集合場所には、すでにミルキーウェールズ使節団の面々が揃っていた。
「あ……」
スピカの視線が、真っ先にカノープスへと向かう。カノープスはいつも通りの地味な佇まいで佇んでいたが、その表情はどこか、何を考えているのか全く読めない、深い鉄仮面のようになっていた。
そして、その隣にいるハダルはというと、昨夜の今にも泣き出しそうだった限界状態に比べれば、幾分か落ち着きを取り戻しているように見えた。
(あ、あわわわ……。私、これからこの二人に、一体どんな顔をして接すればいいのよ……!?)
一瞬、気まずさのあまりその場から回れ右をして逃げ出したくなったスピカだったが、ぎゅっと自分の両手を握りしめ、胸の中で強く首を振った。
(ダメよ、スピカ。それはそれ、これはこれ! 今日のサミットは、私にとっても、これまでの過酷な旅の中で一生懸命準備してきた、ものすごく大事な国を挙げた大舞台なんだから! ――私自身の個人的な動揺で、これ以上周りに迷惑をかけるわけにはいかない。気持ちを切り替えなきゃ!)
ミルキーウェールズ代表としての強い自覚が、スピカの迷いを打ち消した。
スピカが凛とした表情で作法を正し、覚悟を固めたその瞬間。使節団の先頭に立つ我が国の絶対的なカリスマ――シリウス王子が、全員を見渡して鈴を転がすような美声で声をかけた。
「――よし、みんな集まったようだね」
シリウスは細められた瞳の奥に、いつもの完璧な微笑みと、同時に一切の油断のない鋭い光を宿して一同を見据えた。
「僕たちはこれから、国際学園サミットの会場へと向かう。……相手はあのレグルス皇帝率いるロメーダ帝国だ。何が起こるか分からない。もしかしたら、僕たちの想像を遥かに超える『予期しない事態』が待ち受けているかもしれない。だからみんな、より一層気を引き締めて臨むように」
シリウスのその重みのある言葉を聞きながら、スピカは心の中で盛大に、しかし誰にも気づかれないように呟いた。
(――はい! 王子殿下! すでに私の身に、ものすごく予期しない事態がありましたー!!)
そんなスピカの内心の叫びを知る由もないシリウス王子は、使節団の前に立ち、華麗にマントを翻して高らかに号令をかけた。
「それでは、我がミルキーウェールズ王国使節団、国際学園サミット会場へ向けて出発する!」
シリウスは不敵に、そしてこの世界を統べる王者にふさわしい最高に華やかな笑みを浮かべ、右手を前に差し出した。
「みんな――さぁ、ショータイムだ!」
「「「――イエス、サー!!」」」
カノープスをはじめとする近衛隊、そして使節団の全員の力強い鬨の声がロビーに響き渡る。
スピカもまた、その声に合わせて力強く頷いた。
大迎賓館の車寄せから、ミルキーウェールズ王国使節団を乗せた重厚な馬車が、砂煙を上げて勢いよく走り出す。
様々な恋心、友情、そして国家の陰謀が複雑に絡み合う中、スピカたちの戦いの舞台――世界の未来を決める国際学園サミットの会場へと、馬車は突き進んでいくのだった。
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