第ニ部 第19話:三連星の影と、若き皇帝のチェックイン
国際学園サミットの開催地、リンデアのゾウムハーバーにある大迎賓館。その一角にある重厚な会議室において、ミルキーウェールズ使節団は最初の大きなハードルを越えようとしていた。
大国ブリデン代表との事前擦り合わせ会議――。
サミットの主導権を握るための極めて緊迫したこの外交交渉は、概ねミルキーウェールズ側が用意していた事前の提案通りに事を進めるという、理想的な形で合意を取り付けることに成功した。
この外交的大勝利の裏には、間違いなく彼女の血の滲むような奮闘があった。
前夜の温泉事件においてルスカ副会長の呪い(ラックアップ)の直撃を受け、「みんなに裸を見られた……」と完全に精神崩壊を起こしていたデネブ先輩。彼女はミーティングが始まった瞬間、アークウィザードとしての驚異的なプライドと気力を振り絞って脳細胞を覚醒させ、交渉がスムーズに進むよう完璧な論理展開で立ち回ってくれたのだ。
(デネブ先輩……本当に頭が下がる思いだ。サミットが終わったら、国費で最高級のマカロンを山ほど進呈しなくては)
隣の席で書類を整理しながら、カノープス中尉は心の中で先輩魔導士へ最大の敬意と感謝を捧げていた。
しかし――。
ゾウムハーバーに到着してから一晩が明けた、翌朝のことである。
迎賓館の廊下を歩いていたカノープスは、背後から音もなく近寄ってきた魔法学園ゼンビヤ代表のジョーンズ君にガシッと肩を掴まれた。振り返れば、あの知性派のアークウィザードが、何故かその眼鏡の奥の瞳をボロボロと涙で濡らし、絶望的な表情で訴えかけてきたのだ。
「……カノープス君。ちょっと聞いてくれ……。なんだか今朝から、女子陣営の私へ向ける視線が、揃いも揃って『ゴミを見るような目』になっている気がするのだが、僕の気のせいだろうか……!?」
「えっ?」
突拍子もない訴えにカノープスは目を丸くしたが、言われてみれば、自身の身の回りにも奇妙な違和感があったことを思い出す。
「そう言えば……さっき朝食の席でハダル君に挨拶をしたら、いつもなら『先輩、おはようございます』って微笑んでくれるのに、今日はなんだか一言も目を合わせてくれなくて、少し冷たかったような……」
「やっぱりか! 一体何が起きているんだ……! 私が温泉で少し視線を泳がせていた(、、、、、、、、、、)のを見咎められたとでも言うのか!?」
「いや、まさか……あの一瞬の出来事がそんな正確にバレるわけが――」
男子たちが前夜の「恐怖の女子会」による完全な情報共有(社会的死の宣告)に気づく由もなく、ただただ理不尽な冷気に身を震わせるばかりであった。
しかし、そんな彼らのプライベートな悲哀を吹き飛ばすほどの「巨大な激震」が、その直後、ゾウムハーバー全域を駆け巡った。
サミット本番は、明日。
そして今日――世界中がその動向に注目する超大国、ロメーダ帝国陣営がこのゾウムハーバー入りするというのだ。
しかも、その帝国使節団の来訪に伴い、各国使節団の間で一気に血の気が引くような物騒な噂が駆け巡っていた。
なんと、若きロメーダ皇帝レグルスは、今回の学園サミットの護衛として、あの『ロメーダの三連星 』を直々に連れてくるというのだ。
『ロメーダの三連星』――。
それは、帝国が世界に誇る最強の武の象徴であり、圧倒的な戦闘能力を持つ三人の凶悪な騎士たちの総称である。
彼らはただの儀礼的な騎士ではない。ロメーダ帝国がこれまで軍事介入してきた数々の過酷な辺境紛争において、その絶対的な武力をもって叛徒を悉く、容赦なく鎮圧してきた「本物の戦場の武人」たちなのだ。
そんな戦争の申し子のような物騒な連中を、いくら国際親善のためとはいえ、基本的には若者や学生が主体となるはずの「国際学園サミット」の場にあえて同伴させてくる。
帝国側は一体、何を企んでいるのだろうか。武力による無言の威嚇か、あるいはサミットそのものを力技で乗っ取る算段か。その不穏すぎる噂のせいで、迎賓館に滞在する各国の代表たちの間に、張り詰めたような極限の緊張が走った。
さらに運命の悪戯か、そのロメーダ帝国陣営の一行は、我がミルキーウェールズ一行と全く同じ迎賓館に宿泊することが決定していた。
国際法上の儀礼として、また友好国である建前上、シリウス王子を筆頭とするミルキーウェールズ一行は、到着するロメーダ帝国使節団を正面車寄せで出迎えることとなったのである。
◇◇◇
出迎えの準備が進むなか、スピカは自室の窓辺から、遠くに見える美しいゾウムハーバーのビーチを眺めながら、明日のサミットについて深く、静かに思案を巡らせていた。
(明日から、いよいよ始まるんだ……)
世界中から集まった、同世代のエリートや未来を担う若者たち。きっと誰もが、この世界を少しでも良くしよう、自分の国を豊かにしようと思って、それぞれの正義や意見をぶつけ合うのだろう。
そんな歴史的な大舞台のなかで、特別な力を持たない、ちっぽけな自分に一体何ができるだろうか。
スピカ自身、専門的な深い知識があるわけでもなければ、世界の複雑な政治情勢について全てを理解できているわけでもない。
分からないことだらけのスタートだった。
でも、「まずは世界を知ろう」という純粋な気持ちから始めて、ここまで必死に準備を重ねてきたのだ。
(だから……明日の会議でも、まずは『相手を知ろう』ということから始めよう。それぞれの国に事情があって、それぞれの思惑がある。でも、その複雑な損得勘定の泥のなかでも、絶対に動かすことのできない、人間として守らなきゃいけない『真実』がきっとあるはずだから)
スピカの瞳に、まっすぐな強い光が宿る。
(私は、その大切な真実を守りたい。もし私じゃなくても、誰か他の国の人が同じように正しい考えを持っているなら、私は全力でその人を支えたい。……だけど、もし誰もその真実を言おうとしないのなら、その時は、私が――)
それは、かつて世界を救ったとされる聖女の系譜に連なる者としての、無自覚ながらもあまりにも気高く、美しい覚悟の萌芽であった。
しかし、明日からの会議において、世界中の名だたるエリートたちがこぞって説得を試みようとし、同時に最も警戒している最大の壁――ロメーダ帝国皇帝、レグルス。
「一体……どんな人なんだろう?」
スピカがそんな思いを馳せていた、まさにその時。
地響きのような厳かな蹄の音が響き渡り、ロメーダ帝国使節団の豪華絢爛な馬車列が、リンデア迎賓館の正面車寄せへとついに到着した。
中でも一際巨大で、帝国の黒い双頭鷲の紋章が刻まれた特等馬車の扉が、恭しく開かれる。
周囲の全国家の使節団が息を呑み、三連星の放つ圧倒的なプレッシャーに身を硬くするなか、馬車からその男が堂々たる姿を現した。
「――久しぶりだな、シリウス!」
第24代ロメーダ帝国皇帝。
レグルス・ギャランディッシュ
若くして巨大帝国の頂点に君臨するその覇王は、出迎えの最前列で完璧な接遇の礼を取っていた第一王子シリウスの姿を認めるなり、不敵で傲岸な、しかしどこか親しげな笑みを浮かべて、傲然と声をかけたのだった。
宿命の二人の天才が、ついに決戦の地で交錯する――。
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