第ニ部 第13話:温泉郷シマフクワイアンと、災厄の幸運呪文(ラックアップ)
ミルキーウェールズの王都を出発してから、数々の危機を乗り越えて9日目。
大旅団の一行は、今回の長きにわたる旅路において、最後の宿泊地となる場所にたどり着いていた。
そこは、新興国ミドルドアが世界に誇る一大温泉リゾート地――温泉郷『シマフクワイアン』。
サミットの開催地であるリンデアまでは、ここから馬車であと一日の距離。長旅の精神的な疲労に加え、どこを見渡しても風情ある湯煙が立ち上る極上の温泉地というシチュエーションも手伝って、使節団のメンバーには、そこはかとなくリラックスした穏やかなムードが漂っていた。
――だが、そんな緩みきった空気のなか、一人だけ、この世の終わりかというほど不服そうに唇を尖らせているお姉さんがいた。
「温泉だよ!? 日本情緒あふれる、じゃなかった、情緒あふれる最高のお風呂があるんだよお!? なのになんで、どーしてお酒が一杯も飲めないのぉぉぉーーーっ!?」
頭を抱えて悶絶しているのは、騎士の名門ガンデッシュ家の令嬢、シャーロット嬢である。厳格なミドルドアの法律は、温泉の夜であっても彼女に一滴のアルコールも許さない。湯上がりのビールも、夕食の日本酒もすべてお預けを食らった聖騎士は、この世の終わりのような世を徹した愚痴をこぼしていた。
そんな彼女の様子を、周囲の生徒会メンバーたちは「まあまあ……」と苦笑しながら見守るほかなかった。
しかし、そんな使節団のあまりにも緩みきった雰囲気を、国家の危機と捉えた硬派な男がいた。
メレンヘア学園生徒会副会長――
聖騎士ルスカ・ルマンデイである。
ルスカは宿の廊下でシリウス王子の前に立つと、いつになく真剣な表情で直訴した。
「――シリウス殿下。長旅の疲れに加え、この温泉郷という環境のせいで、皆の気が完全に緩んでおります。明日には決戦の地へ入るというのに、これでは有事の際に遅れを取りかねん。……つきましては、ゆうげの宴(夕食会)の折、ここは私が『激励の言葉』をもって、皆の気を今一度引き締め直してもよろしいでしょうか」
シリウスは、ルスカのその熱い忠義の眼差しを見つめ、一切の迷いもなく爽やかに返答した。
「なるほど、確かにルスカ副会長の言う通りだね。分かった、よろしく頼むよ」
「はっ! お任せを!」
その様子を物陰から見ていたカノープス中尉は、言い知れぬ、胸がざわつくような強烈な胸騒ぎを覚えていた。
◇◇◇
そして迎えた夕食の席。
豪華なミドルドアの山の幸、海の幸がテーブルにズラリと並び、使節団全員の注目が中央に集まるなか、ルスカ副会長が満を持して立ち上がり、重厚な声を響かせた。
「――みんな! いよいよ我々は明日、サミットの開催地であるリンデアの『ゾウムハーバー』へと入る!」
ルスカの厳格な声に、スピカもベガも、ゼンビヤのジョーンズたちもピシッと背筋を伸ばす。
「これまでに数々の未知なる苦難、ロメーダの刺客たちを乗り越え、我々はここまでたどり着いた。だが……ここで気を緩めてはならない! これから始まる国際サミットこそが、我々の本当の闘いだ! ――そこでだ。これからの議論において、皆の叡智が我が祖国ミルキーウェールズに最高の幸福をもたらすよう、ここで私に『祈り』を捧げさせてくれ」
(ま、まさか……ッ!?)
ルスカが「祈り」と言った瞬間、カノープスは恐怖のあまりガタガタと椅子を鳴らして戦慄した。脳裏に、第一部のあの忌まわしき光景が鮮烈に蘇る。
しかし、そんなカノープスの必死の静止の気配(殺気)をものともせず――ルスカ副会長は、大真面目な顔のまま、両腕を広げて使節団全員へ向けて広域祝福呪文を堂々と唱え放ったのだ!
「――【ラックアップ(幸運上昇)】ッ!!!」
カノープスは、絶望のあまりその場でおののき、頭を抱えた。
(全員にラックアップだとおおおおおおおーーーっっっ!?)
カノープスの脳内解説によれば、ルスカ副会長が放つこの【ラックアップ】というスキルは、ただの幸運上昇魔法ではない。
対象となった人間たちの『尊厳』と『プライド』を引き換えにし、空間の確率論を強制的にねじ曲げて、不可抗力な【ラッキースケベ】をドカンと誘発させる、恐るべき魔の呪文なのだ!!(※注:これはカノープス君の完全な被害妄想に基づく感想です。実際には、ルスカ副会長のラックアップは何故か純粋にラッキースケベなハプニングを引き起こすだけの、無害(?)なスキルです。一部参照。)
(いったい……いったいこの後、どうなってしまうんだ!? ここは温泉宿だぞ!? 物理的なハプニングの弾薬がそこら中に転がってるじゃないか!)
カノープスは冷や汗を滝のように流しながら、隣の席に座るツンデレ公爵令嬢に視線を走らせる。
(ベガさんに……今すぐベガさんに、この呪文を【ディスペル(解呪)】してもらうか!? いや、でも『ルスカ先輩の親切な激励魔法を今すぐ解除してください』だなんて、流石に失礼すぎて言えるわけがない……っ!)
「えーい、もう、なるようになれ……!!」
カノープスは考えるのをやめた。神に祈るように両手を合わせ、そっと現実から目を背けたのだった。
だが、そんなカノープスの最大級の心配をよそに、驚いたことに夜の宴会は、何一つのトラブルもなく至ってつつがなく、平和に和やかに執り行われた。誰も転ばないし、誰の服も破けない。スピカも美味しそうにミドルドアのご馳走を食べている。
(呼、一安心か……? なんだ、流石にここまでの高級旅館ともなると、ラッキースケベが発動するような構造上の欠陥(段差)はないということか。僕の取り越し苦労だったな)
カノープスがホッと胸を撫でおろし、ようやく一息ついた、その時だった。
大満足の夕食の宴が終わり、全員が席を立とうとしたタイミングで、最上席のシリウス王子が、キラキラとした完璧な笑顔をメンバー全員へ向けてパンッと手を叩いた。
「――せっかくの最高級温泉宿だ! みんな、この後は予定を変更して、男子も女子も『みんなで一緒に温泉(大浴場)』に行こうじゃないか!」
「…………」
その場にいた全員が「おー!」と歓声を上げるなか、カノープス中尉だけは、完全に石化していた。
カノープスの天才的な脳細胞が、一瞬にして未来の破滅的な映像を弾き出す。
【温泉郷】+【全員にラックアップ(ラッキースケベ誘発状態)】+【みんなで温泉へ行く】
「あー……」
カノープスは、乾いた笑いを漏らした。
(――もうこれ、最悪のフリでしか無いんですけど…)
迫り来る圧倒的な「王道ラブコメの波動(地獄)」を前に、カノープスは「どうか僕の尊厳だけは守られますように」と、ただただ静かに天を仰ぐのだった。
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