第ニ部 第12話:ミドルドアの迎賓館、あるいは若き獅子(シリウス)のチェスゲーム
ミルキーウェールズを出発してから、早くも7日が経過していた。
不思議なことに、あの馬車駅での23騎による激烈な襲撃以来、ロメーダ帝国は使節団に対して一切の手を出してこなかった。
あえて「正体不明の野良の賊」として処理したシリウスの思惑が効いたのか、あるいはデネブの禁呪という想定外の戦力に二の足を踏んだのか。
何はともあれ、大旅団は大きなトラブルもなく広大なロメーダ帝国を無事に抜け、次なる目的地――『ミドルドア』へと足を踏み入れていた。
ミドルドア。
かつて激しい革命の嵐が吹き荒れ、革命軍によって政権が交代した激動の歴史を持つ国家である。かつての王族たちは一族もろとも他国へと亡命を余儀なくされており、現在のこの国は新体制を維持するためか、周辺諸国に比べても極めて法律が厳格なことで知られていた。
例えば、法律による年齢規制もその一つだ。
先ほどまで通過していたロメーダ帝国では「18歳からの飲酒」が合法的に許されており、それをいいことに我が旅団の誇る名門聖騎士・シャーロット先輩は、ここぞとばかりに毎晩のように豪快にお酒を嗜んでいたのだが……このミドルドアではそうはいかない。未成年(20歳未満)の飲酒など見つかれば即座に厳罰である。
(……シャーロットさん、今頃馬車の中で、アルコールが切れて干からびてなきゃいいけどな)
カノープスはふとそんな風に、数日前のロビーでの酔いどれお姉様の姿を思い出して苦笑した。ここでの彼女は、サミットが終わるまで大人しくお預けを食らう他ないだろう。
とはいえ、現在のミドルドアは、かつての閉鎖的な革命直後のイメージを完全に払拭しつつあった。
近年では積極的な経済規制の緩和や、他国との活発な文化・技術交流を推し進めており、近代化の発展は目を見張るものがある。その凄まじい成長国力は、今や北の大国レーシアを追い抜き、我がミルキーウェールズをもその視界に捉え、超大国ロメーダにすら肉薄せんとする猛烈な勢いを見せていた。
国民性としては、どこか「大人気質」とでも言うべきおおらかさがあり、細かいことは気にしないフレンドリーな人々が多い。その一方で、「自らの家族や守るべき境界は断固として守る」という、革命を生き抜いてきた者特有の泥臭くも強い芯の強さを併せ持っているのも、この国の特徴だった。
そんな今最も勢いのあるミドルドアのサミット代表から、我がミルキーウェールズの代表へ向けて、事前に「ある共闘の打診」が持ちかけられていた。
――街道沿いに佇む、厳重に警備されたミドルドアの迎賓館。
重厚なマホガニーの円卓が置かれた会議室にて、両国の命運を握る代表3名ずつによる、非公式の戦術擦り合わせ会議が執り行われようとしていた。
ミルキーウェールズ側から出席したのは、第一王子シリウス、その補佐たるカノープス中尉、そして生徒会書記にしてアークウィザードのデネブ・アーテュスの3名。
今回のサミットにおける最大の議題は、世界を揺るがす【賢者の書】の開示についてだ。
事前にカノープスが頭の中で整理していた世界情勢のチェス盤は、非常に複雑怪奇な様相を呈していた。
まず、目の前のミドルドアは、すでにレーシアとの間で「開示要求」の共闘の取り付けに成功している。
その他の国を見れば、議長国であるリンデアは中立。旧大国としてのプライドを持つブリデンは、開示自体は求めているものの、帝国への無用な刺激を恐れてかミドルドアからの共闘の誘いには応じていない。
大国レーシアとロメーダの狭間に位置するソビヤにいたっては、完全に態度を保留して日和見を決め込んでいる。
帝国の今後の出方も不気味だが、同じ「情報の開示を求める」という立場であっても、サミットにおいて今後の世界の主導権をどの国が握るかという点において、この舵取りは極めて難しい。
このままミドルドアの申し出を無条件で受け入れれば、すでにレーシアを従えているミドルドア側に、全ての主導権を握られてしまう可能性が高いのだ。我が国としては、あくまで穏便に、かつ対等以上の権利を確保したいところだった。
だが――こちらにも、完璧な主導権を握るための「隠しカード」が存在していた。
何を隠そう、我が使節団の美しき魔導士デネブ書記が、事前の外交ルートを通じて、ブリデン代表との擦り合わせを個人的に完了させていたのだ。
『もし、ミルキーウェールズが正式に開示を求めるならば、我が国もあなた方と共闘しても構わない』という、極秘の密約(下約束)を取り付けていたのである。
互いに腹の内を隠した状態で、いよいよ対談の幕が上がった。
司会を務めるのは、ミドルドア代表、大武道家のヤン・チヨウセイだ。高名な武闘家でもある彼は隙のない素振りで、親しみやすい笑顔の裏に鋭い光を宿しながら、静かに切り出してきた。
「――現在、大陸全土を不必要な疑心暗鬼に陥れている、ロメーダ帝国による『賢者の書』の秘匿、および隠蔽についてです。我がミドルドア、およびレーシアと共に、ミルキーウェールズにおかれましても、足並みを揃えて帝国へ情報の開示を求めていただきたい」
直球の提案。これに対し、シリウス王子は至って優雅に、微笑みを絶やさずに応じた。
「確かに、帝国の現在の不透明な状況は、国際社会にとっても誠によろしくない。我が国としても、基本方針としては情報開示を求める立場にあります。……しかし、その前に一つお尋ねしたい。仮に情報が開示された場合、その後に生じるであろう様々な『問題』に対し、貴国は一体どのように対処されるお考えか?」
ヤンは、待ってましたとばかりに胸を張る。
「問題の内容にもよるでしょうが、基本的には我々ミドルドア、そしてレーシア、さらにはミルキーウェールズ殿の3カ国が中心となって、事に当たりたいと考えております」
つまり、自分たちがトップに立ち、ミルキーウェールズをその派閥に組み込みたいという宣言だ。
「……なるほど、それは素晴らしいご提案だ」
シリウスは深く感嘆の声を上げた。まるで相手の器の大きさを称賛するかのように。しかし、すぐさまその端正な唇の端を滑らかに上げ、極上の毒を忍ばせた一言を付け加えた。
「――しかしながら。同じ主要国である『ブリデン』を、最初からその枠組みから外してしまうというのは、国際的なバランスの観点から見ても、いかがなものでしょうか?」
ヤンは、一瞬だけ痛いところを突かれたように眉をひそめ、声を落として答えた。
「……おっしゃる通りです、シリウス殿下。実は我々も、当然ブリデン殿にはお声をかけたのです。しかし、あちらの旧大国としての複雑な事情もあるのか、残念ながら我々の申し出には応じていただけませんでした」
「なるほど、そうでしたか」
シリウスはさも同情するように頷くと、懐から極上のカードを、さも何でもないことのように盤上へ提示した。
「実は、我が国のデネブ書記が事前にブリデン側と個人的な対話を持っておりましてね。彼らが言うには――『ミルキーウェールズが賛同し、共に動くのであれば、我が国も共闘の席に着こう』とのことでした。よろしければ、こちらから改めてブリデンへ働きかけ、この枠組みに引き込みましょうか?」
「何……っ!?」
ミドルドアの代表3名が、一斉に目を見張った。
あの気難しいブリデンを、ミルキーウェールズが既に一本釣りしていたという事実に、明らかな衝撃が走る。
「そ、それは有り難い……! もしブリデンも加わるとなれば、帝国への情報開示の圧力はもちろん、その後の問題解決の基盤も、より強固なものになるでしょう!」
ミドルドア代表は興奮を抑えきれず、思わずポンと膝を叩いて喜んだ。完全にシリウスのペースに巻き込まれている。
相手のガードが完全に下がったその瞬間を、シリウスは見逃さなかった。
彼はこれ以上ないほど懃懃に、そして極めて自然なトーンで、決定的な「大枠」の提案を突き刺した。
「そこで、開示後の問題解決についての具体的な役割分担ですが……。各国の取りまとめや大枠の政治的な交渉に関しては、声を発しやすい『ミドルドア』と『レーシア』が中心となって華々しく行っていただく。――そして、その実際のシステム運用や、実務の決定的な詳細に関しましては、我が『ミルキーウェールズ』と『ブリデン』が中心となって、責任を持ってお預かりする、というのはいかがでしょう?」
(……うわぁ、出たよ)
横で控えていたカノープスは、内心で冷や汗を流していた。
政治的な「表舞台(目立つだけの役割)」をミドルドアとレーシアに押し付け、実質的な世界のルール作りや利権のコントロールを行う「実務の主導権」を、ミルキーウェールズとブリデンの連合で完全に握ってしまおうという、恐るべき肉を切らせて骨を断つ交渉術だ。
ミドルドアの代表たちは、慌てて席を外して3人でひそひそと短い話し合いを行った。だが、ブリデンを引き込めるという破格のメリットと、自分たちが「中心となって大枠をまとめる」という名誉を提示された彼らに、拒否する選択肢など最初から残されていなかった。
席に戻ったミドルドア代表は、晴れやかな顔でシリウスへと右手を差し出した。
「――分かりました。その条件で、よろしくお願い申し上げます。共に手を携え、このエキティカをより良い形にいたしましょう!」
「ええ、もちろんですとも」
シリウスは完璧な王子の微笑みを浮かべ、その手をしっかりと握り返した。
張り詰めていた会議室の空気が一気に緩む。
その様子を特等席で眺めていたカノープス中尉は、ただただ圧倒されながら、心の中で最大級の敬意(と、ちょっぴりの恐ろしさ)を込めて、深く呟くのだった。
(……やっぱりシリウス殿下、流石ですね❤️(敵に回したくなさすぎる……!!))
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