第ニ部 第11話:大人の階段と、酔いどれ聖騎士(シャーロット)の夜間戦術講義
ロメーダ帝国領内、三日目の夜。
使節団が旅の疲れを癒やす宿のロビーは、昼間の激闘が嘘のように静まり返っていた。その片隅で、カノープス中尉は一人、深い思案に暮れていた。
昼間、ベガ様に浴びせられた容赦のない言葉が、今も耳の奥でリフレインしている。
『あの極限の状況で、最高峰の回復職を遊ばせておくなんて……貴方、バカなの!?』
(……ベガ様の言う通りだ。僕の判断がほんの少しでも遅れていたら、あるいは、ベガ様たちの機転がなかったら、僕は本当にアルタイルさんを死なせていたかもしれない)
スピカやベガは、本来であれば最優先で「保護」すべき対象だ。けれど、裏を返せば、あの異常な戦闘空間においては、彼女たちの強力な防壁魔法こそが戦況を維持する「最強の盾」でもあった。
守るべき対象すらも駒として数え、最適解を導き出さなければならない。僅かな判断ミス、慢心、想定の甘さが、瞬時に味方を死の危険へと晒す。
カノープスは今日、指揮官という立場が背負う本物の「怖さ」を、身に沁みて思う存分に味わったのだった。
それにしても――デネブ先輩だ。
カノープスは遠征前に有事の際にアークウィザードであるデネブに対して、【スリープ(睡眠呪文)】から【パラライズ(麻痺呪文)】へと繋ぐ、彼女だからこそ扱える高等技術『二重詠唱』での予期せぬ強敵の無力化を擦りあわせていた。
しかし、そのプランは効果が出るまでに「2手」かかる上に、あの汚れた鎧の騎士たちの精神耐性を考えれば、確実性には程遠いものだった。それほどまでに、敵の3騎士はカノープスの予想を遥かに上回る強さだったのだ。
デネブ先輩は、カノープスが指示を出す前に自らの頭で戦況を判断し、その不確実なプランを即座に捨てた。そして、【タイム・ストップ】という確実かつ規格外の「究極の1手」を選択し、盤上の全てをひっくり返したのだ。
(……あの胆力、そしてあの瞬時の戦略眼。見事と言うほかない。それに、自らの判断で動き、アルタイルさんを救ったベガ様とスピカ君にも……僕は助けられたんだ)
自分は人より少しばかり小賢しく、チェス盤を操るように戦えると思い上がっていた。だが、蓋を開けてみれば、自分はまだまだ周囲の人間に助けられてばかりだ。
(僕は、まだまだ弱い。――大切なものを、この手で守り抜くためには。もっと、もっと賢く、強くならなければならない……!)
宿の薄暗いロビーで、カノープスが拳を握り締め、胸の内でそう固く心に誓った、その時だった。
「――おやぁ? そこにいるのは、我らが指揮官殿ではありませんかぁ?」
夜の静寂を破るように、やけに明るく、心なしかふわふわとした上機嫌な声がかけられた。
驚いてカノープスが顔を上げると、そこに立っていたのはシャーロット・ガンデッシュであった。
流れるような美しいブロンドの髪に、神秘的な紫色の瞳。整った目鼻立ちは文句なしに美人の部類に入り、どこか大人の色香を漂わせる、騎士団防衛学園ギルマッシュの誇る精鋭聖騎士だ。
ガンデッシュ家といえば、王国でも知らぬ者のいない高名な騎士の名門。
だが、その名門の騎士たるお姉様は、今、その美しい顔を明らかにぽうっと赤く染め、足元を僅かに千鳥足にさせていた。
カノープスは引きつった笑みを浮かべつつ、慎重に尋ねた。
「あのー……シャーロットさん。お酒を、飲まれたのですか?」
「これはこれは指揮官殿! 流石の慧眼! ひっく……。今日の大勝利、本当に見事な采配でございましたぁ!」
シャーロットは何やらご機嫌な様子で、自分の胸元を叩いて大きな身振り手振りで返してくる。ふわりと、葡萄の甘い香りがカノープスの鼻腔をくすぐった。
「あの、シャーロットさん。僕ら、まだ法的には『未成年』ですよね……?」
カノープスの冷ややかなツッコミに、シャーロットはビシッと、ろれつの回らない動きで綺麗な敬礼をしてみせた。
「はいっ! 健全なる未成年でありますっ! でもねー、ここはロメーダ帝国の領内ですから! 郷に入っては郷に従え、帝国の法律ではもうお酒はオッケーなのであります!」
(……あ、これ、一番面倒くさくて、あんまり関わってはいけないタイプのやつだ)
カノープスが静かに撤退の機会を窺い、思案していると、シャーロットは急にその紫色の瞳を真面目に細め、カノープスの顔をじっと覗き込んできた。
「……ところで指揮官殿。さっきから、なにやら随分と暗い表情をしておられましたが、いかがされたのですか?」
思いがけない、案外まともな問いかけだった。
カノープスは少しだけ警戒しつつも、自分の胸の内にあった澱みを、ぽつりと吐き出した。
「……今日の采配について、自分の至らなかった所を、色々と反省していたところです。僕の判断ミスで、みんなを危険に晒した」
すると、シャーロットはフハッと小さく笑い、宿のソファーの背もたれにゆったりと身体を預けた。
「指揮官殿。私はね、指揮官殿はあの場でできる、文字通りの『最善の指揮』を執られたと思いますよ。後から思い返せば、あれが足りなかった、これがダメだったと思うことは、そりゃあ誰にだってあります」
彼女はそこで言葉を区切り、赤い顔のまま、けれど真っ直ぐな目でカノープスを見つめた。
「ですが、今日、戦場にいた私たちはみんな、指揮官殿の指示の元で『自分の役割を全うしよう』と必死に動いていました。それはなぜだと思いますか? ――指揮官殿自らが、誰よりも自分の役割を全うしようともがいている必死な想いが、私たち全員に伝わっていたからですよ」
「え……」
「指揮官殿。あなたは、全てを自分一人で背負ってはいけません。そして同時に、私たちも、全てをあなたに背負わせてはならないのです。私たちは駒じゃない。我々騎士も、指揮官の指示の意図を正しく理解し、現場で自分で考え、自分の責任で行動しなければならない……私は、そう考えます」
酔っ払ってろれつが余り回っていない、名門の聖騎士の言葉。
けれど、それがなぜか、今のカノープスの傷ついた心に、妙にしっくりと、驚くほど温かく染み渡っていくのが分かった。不思議と、肩の荷がふっと軽くなったような気がした。
「……ありがとうございます、シャーロットさん。少し、救われました」
カノープスが心からの感謝を込めて、柔らかな笑みを浮かべた。
すると、シャーロットは一通りの大真面目な考えを述べ終えた後、じーっとカノープスの顔を凝視し、その綺麗な唇をだらしなく緩めた。
「……それにしてもぉ、指揮官殿は…よくよく近くで見ると……案外カワイイ顔をしておられますなぁ?」
「は!?」
「なにかこう、母性本能をくすぐるというかぁ……。ちょっとこっちに来て、お姉さんに抱っこされてみませんかぁ、指揮官殿~?」
シャーロットが、すっかり据わった目で、両腕を広げてゆらゆらと迫ってくる。
カノープスは一瞬にしてトップエージェントの危機管理能力を最大値まで跳ね上げた。
(――察した! これは、深夜のラノベやラブコメで、絶対に深く踏み込んではいけない致命的なパターンだ!!!)
ここでこの名門の美貌の聖騎士とスキャンダルを起こせば、明日からの使節団の軍規は崩壊する。何より、前物見席のハダルちゃんにどんな目で見られるか分かったものではない!
「シャーロットさん! 本日は貴重なお言葉、本当にありがとうございました! おやすみなさい!」
カノープスは、男としてのほんの僅かな未練と、目の前の美女からの甘い誘惑を全力で振り切り――背後から「あー! 逃げたな指揮官殿~!」という不満げな声を置き去りにして、一目散に自分の部屋へと全速力で逃げ戻るのだった。
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