第ニ部 第10話『金髪碧眼の戦術眼と鋼鉄の叱責』
聖騎士ルスカの巨大な体躯の影から、静かに姿を現したメレンヘア学園生徒会書記、デネブ・アーテュス。
流れるようなブロンドの髪を荒野の風に揺らし、冷徹なブルーグレーの瞳を宿した四天王美女の一人。
――彼女が放つ魔力は、荒野の夜気をビリビリと爆縮させていた。
その頃、特等馬車の窓から冷徹に戦況を見つめていた第一王子シリウス・ランスターは、ふっと視線を外すと、手元に置かれたサミット用の外交資料を静かに広げた。
そのあまりに淡白な態度に、隣に座るゼダル卿が怪訝そうに声をかける。
「……シリウス殿下。最後までご覧にならないのですか?」
シリウスは手元の資料に視線を落としたまま、当然のように、柔らかな笑みを浮かべて答えた。
「デネブ君が呪文を唱えているんだ。――もう、この件はかたがついたよ」
それは、戦況を確認する必要すら否定する、圧倒的な強者への絶対の信頼だった。
戦場の中央、デネブが練り上げるただ事ではない異様な魔力の気配に、アルタイルと対峙していた汚れた鎧の騎士3騎が、本能的な恐怖とともに気づいた。
「おのれ、あの女を止めろ!!」
3騎の騎士はアルタイルを引き剥がし、デネブに向けてそれぞれの凶悪な獲物を凄まじい速度で投げつけた。空を切り裂き、完璧超人の美貌へと肉薄する鉄塊。
――しかし、もう、何もかもが遅すぎた。
金髪を夜風にたなびかせ、吸い込まれそうな碧眼を冷徹に輝かせたデネブが、白皙の唇を開く。
「――『タイム・ストップ(時間停止)』」
刹那、荒野のすべてを真っ白に染め上げる、一瞬の神聖な閃光が世界を駆け抜けた。
音が消え、大気が凝固し、世界の歯車が完全に静止する。
投じられた武器の軌道も、騎士たちの驚愕の表情も、すべてが漆黒の闇の中へと置き去りにされ――。
「……え?」
次にカノープス中尉が意識を取り戻し、視界を戻した時、世界は何事もなかったかのように動き出していた。
眼前には、先ほどまで手の付けられなかったあの屈強な3騎の騎士たちが、いつの間にか出現した巨大な茨の棘にぐるぐる巻きにされ、荒野の土の上に転がって無様にうめき声を上げている光景が広がっていた。
当のデネブはといえば、まるで散歩の途中で花でも摘んだかのような涼しい顔をして、すでに自分が乗る一等二号馬車の中へと静かに戻っていくところだった。その立ち振る舞いは、どこまでも優雅で、完璧だった。
カノープスは、背筋を伝う強烈な悪寒とともに戦慄していた。
(タイム・ストップ(時間停止)だと……!? 神話の時代に失われたはずの『いにしえの禁呪』。)
(魔法庁長官アーテュス公爵令嬢、デネブ・アーテュス。)
(アーテュス家は……そして我が国の魔法の頂点は、一体どれほど恐ろしい禁忌の呪文を歴史の裏に秘匿しているというんだ……!)
国家の闇の深さに圧倒されそうになりながらも、カノープスは即座に頭を振り、エージェントとしての冷徹な指揮官の顔に戻って大声を張り上げた。
「――賊をすべて拘束せよ! プリースト(聖職者)は負傷者の救助に急行! 手の空いている者は馬車の復旧にあたれ!」
「はっ!」
中尉の的確な指示により、混乱に陥りかけていた使節団の兵士たちが一斉に統制を取り戻す。
一通りの迅速な事後処理が終わり、周囲の安全が完全に確保された頃、シリウス王子とゼダル卿が特等馬車からゆっくりと降りてきた。
シリウスは、傷ついた前衛の戦士たちを見回すと、王族としての至高の笑みを浮かべて深く頭を下げた。
「皆の者、命がけの働き、誠に大義であった! このシリウス、此度のみなの忠義の働きをしかとこの胸に留めておこう。改めて、心からの感謝の意を表する」
「おお……! 勿体なきお言葉……!」
王子の直々の労いに、騎士や兵士たちの士気が一気に跳ね上がる。
カノープスたちの手によって拘束された賊は、囮も含めて計23名。
全員が黒い覆面をつけた状態だ。
カノープスの迅速な指揮と、スピカたちの防御、そしてデネブの禁呪のおかげで、幸いにもミルキーウェールズ側に大きな怪我人は出ずに済んでいた。
ゼダル卿が、拘束された覆面の男たちを一瞥し、シリウスに問いかける。
「殿下、どうなされますか?」
シリウスは即座に、冷徹な大人の外交官の目で答えた。
「この先にある馬車駅の警察署へ、『不審な賊を捕獲した』とだけ連絡を入れておけ。そこに突き出す」
「おや。……彼らの素顔(正体)を、ご覧にならないのですか?」
ゼダルが意地の悪い笑みを浮かべて重ねて訊ねる。どこの国の息がかかった密偵か、剥ぎ取れば一発で分かる状況だ。しかし、シリウスはフッと首を横に振った。
「あとあと、公式の場で顔を合わせたときに『気まずい事』があるかもしれないからね。やめておこう」
流石はたぬき王子の異名を持つシリウス。相手がロメーダ帝国の息がかかった者だと分かっていても、あえて「正体不明の野良の賊」として処理することで、国際問題化を避けてサミットでの交渉カード(貸し)にする腹積もりなのだ。
シリウスはそのまま、近くにいたカノープスにも声をかけた。
「――カノープス中尉。見事な指揮だった。良くやってくれたね」
「はっ! 有り難きお言葉、いたみいります」
カノープスは「平凡な少年」のポーカーフェイスを崩さぬまま、完璧な軍人の礼をとった。
一仕事終えたカノープスは、共に汗を流した周囲の隊員たちに声をかけ、最後に、前物見席から駆け戻ってきていたハダルへと視線を向けた。
「ハダル君。君の千里眼の索敵のおかげで助かった。良くやってくれたね」
するとハダルは、キュッと身を硬くして敬礼のようなポーズをとった。
「いえいえ! 私は中尉の指示に従っただけですから。……でも、本当に色々と勉強になりました!」
秀麗な、完璧な部下としての挨拶を終えた次の瞬間――ハダルはふにゃりと頬を緩め、いつもの見慣れた、カノープスだけに見せる可愛いらしい笑顔を浮かべた。
「やっぱり、カノープス先輩は流石ですね!」
「……っ」
ハダルのその混じり気のない笑顔と声を聞いた瞬間、カノープスの胸の奥に、張り詰めていた緊張が綺麗に溶けていくような、なんとも言えない心地よい安堵感が広がっていった。
(ああ、やっぱりハダル君は癒やしだな……。よし、この調子でサミット中のプライベート・ミッションも進めて――)
そんな淡い期待を抱き、人知れず心が緩みかけていたカノープスへ、ドカドカと激しい足音を立てて近づいてくる影があった。
ハッとして視線を向ければ、そこには腕を組み、美しい眉根をこれでもかと不機嫌そうに歪めた公爵令嬢――ベガ様が立っていた。
(……ん? あれか? あのプライドかき集めて鋼鉄で固めたようなベガ様も、さっきのアルタイルさんを助けた件とかで、僕に感謝を述べにきてくれたのかな?)
カノープスはほんの少しだけ期待した。
だが、そんな甘い考えは、次の瞬間に木っ端微塵に打ち砕かれることになる。
「――カノープス庶務。……
いえ、カノープス中尉。
今回のあなたの作戦指揮について、未熟者の私から、一つだけ『一言』申し上げててもよろしいかしら?」
ベガ様から放たれる、明らかに穏やかではないピリピリとしたオーラ。
カノープスは本能的な危険を察知し、短い首をすくめた。
「は、はい……何でしょうか、ベガ様」
ベガ様は、カノープスの「平凡で特徴のない顔」をこれでもかと鋭く睨みつけると、荒野全体に響き渡るような声で、容赦のない戦術的ダメ出しを言い放った。
「――あの極限の状況で、アークプリースト(高位聖職者)を遊ばせておくなんて……貴方、バカなの!?」
「…………ぶふっ」
後ろでハダルちゃんが慌てて口を押さえる。
ぐうのねも出ないほどに正論な戦術評価。
せっかくハダルちゃんに褒められて良い気分になっていたカノープス中尉の「トップエージェントとしてのプライド(強者どもの夢)」は、鋼鉄の令嬢の容赦ない一言によって、荒野の砂塵と共に儚く打ち砕かれるのだった。
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