第二部 第4話『聖女の血脈と、制服の隠密計画(タクティクス)』
昨日の嵐のような緊急会議が明けた生徒会室は、朝から戦場さながらの忙しさに包まれていた。
俊英の令嬢デネブ書記が瞬時に集めてきた膨大な情報をもとに、サミットに参加する各国の思惑を分析・整理したり、他国の目を『賢者の書』から逸らすための世界情勢のトピックスを精査したりと、やるべきことは山積みだった。
そんな怒涛の作業の合間を縫って、スピカは自分に課せられた宿題である『賢者の書』についての勉強を始めていた。分厚い資料をめくる中、やはり彼女の目を引いたのは、自らの身体に眠る曖昧な伝承――『聖女』についての記述だった。
【賢者の書 第20項】
『 ep.20 ―― ロメーダとミルキーウェールズの間に争いが起こる。聖女現る。 』
かつてロメーダ帝国の猛攻を退け、伝説の怪物クラーケンをも鎮めて国を救ったという、我がミルキーウェールズ王国の初代聖女。彼女は下級貴族の出身で当時の王子――つまりはシリウスの遠い先祖と結婚し、なんと8人もの子宝に恵まれていた。そのため、聖女の血筋自体はこの国においてさほど珍しいものではなく、現在において正統な聖女の血を引くとされているのは、王家であるランスター家そのものだった。
さらに資料をめくると、不穏な記述がスピカの目に飛び込んでくる。
【賢者の書 第49項・50項】
『 ep.49 ―― エキティカ全世界を巻き込む大戦が勃発する。 』
『 ep.50 ―― ロメーダに聖女現る。 』
かつて、ロメーダ帝国に対して結成された「六ヶ国包囲網」という絶望的な国家存亡の危機。それを驚異的な手腕で解消して帝国を救い、さらには邪神龍の封印にも多大な寄与をしたとされる『二代目聖女』。
だが、その正体もまた、我がミルキーウェールズ王国からロメーダ帝国へと婚約者として嫁いだ、ランスター王家の姫君だったのだ。
「うわぁ……」
スピカは思わず、開いた口が塞がらなかった。
(聖女様って……ただ戦場で派手な『チートスキル』をブッパして、ドカンと敵を倒すだけの存在じゃあなかったのね……。婚姻外交の道具として大国に飛び込んでいったり、国際的な包囲網を言葉一つで解消させたり……とんでもない政治交渉の怪物じゃないの!)
歴史に名を残す本物の聖女たちのあまりのキャパシティの大きさに、スピカは眩暈を覚えた。
(凄い。凄すぎるわ、歴代の聖女様。私には絶対にそんなキャパない……)
特に彼女たちの持つ、冷徹で巧みな「政治交渉力」の高さ。昨日、国のあり方を巡って「たぬき」だの「オオカミ」だのと童話レベルの会話しかできなかった自分とは、あまりにも世界の住人が違いすぎる。
(だけど……っ。聖女様みたいな歴史的な大偉業は出来なくても、私にだって、世界の平和のために何か少しでも出来ることはあるはず。しっかり勉強して、せめてシリウス殿下たちの足を引っ張らないようにしなきゃ!)
スピカはパチパチと自分の両頬を叩いて気合を入れ直すと、目の前の難解な外交資料との格闘を再開した。
◇◇◇
そんなスピカの席から少し離れた、部屋の対角線上にある別のデスク。
そこでは、カノープスと、彼の後輩であるくノ一のハダルが、大きな大陸地図を広げてサミット遠征のルートの擦り合わせを行っていた。
実は、今回のサミット遠征を機に、ハダルはミルキーウェールズ王国諜報部の軍属へと正式に採用されていた。
『忍者』の上位ジョブを冠する者の初任階級は「伍長」。実戦経験こそまだないものの、学園での優秀な成績と潜在能力を買われ、諜報部の上層部は彼女を有望な次世代のエージェントとして、大切に、かつ厳しく育て上げたい方針のようだ。
そして、このサミットこそが、ハダルにとっての「記念すべき初ミッション」。その大事な初陣の教育係に選ばれたのが、他ならぬカノープスだった。
物理的な距離の近さに少しばかり調子を狂わされつつも、カノープスは真剣な素顔を大陸地図へと向けた。
二人が頭を突き合わせて隠密ルートを確認していると、ハダルがふと、周囲に聞こえないほどの小声で、悪戯っぽくカノープスに問いかけた。
「――ねぇ、先輩。こうして私の初めてのミッションで、先輩と一緒に大事なお仕事ができて、私とっても嬉しいです。……あ、これからは『中尉』ってお呼びした方がいいですか?」
ハダルがクスクスと嬉しそうに笑う。
そうなのだ。カノープスは先のロメーダ帝国での命懸けのミッションを見事に成功させた功績により、従来の「曹長」から、なんと二階級特進という異例のスピード出世を果たし、現在は「中尉」の階級に就いていた。学生の身でありながら幹部候補生、名実ともにトップエージェントの仲間入りである。
しかし、カノープスは真面目な顔のまま、ハダルを真っ直ぐに見つめて小さく首を振った。
「馬鹿を言うな。僕たちが諜報部に属していることは、この学園内では絶対の機密だ。軍属の呼称をここで使うことは固く禁止されている。……今まで通り、先輩でいい」
「――はいっ! わかりました、カノープス先輩!」
ハダルは「叱られちゃいました」とでも言うように、しかしどこかとても嬉しそうに、可憐な笑顔を彼に返した。
遠征の擦り合わせを続けている間、カノープスは自分の心臓が、さっきから妙にうるさい音を立てていることに気づいていた。
なぜなら、机の上の地図を覗き込むハダルとの距離が、物理的に異様に近いのだ。さらに言えば、任務の時は身に纏うであろう黒い忍者装束ではなく、学園指定の清楚な『制服姿』の彼女は、新鮮であると同時に、妙に刺激が強かった。初ミッションの緊張からか、ほんのりと頬を染めているのも視覚的に大変よろしくない。
(……気のせいか? なんだか、もの凄くいい香りがする……)
ふわりと鼻腔をくすぐる、柑橘系のような甘い蜜のような芳香。
視線を落とせば、柔らかそうな亜麻色の髪が自分の肩に触れそうな位置にあり、その下には淡いピンク色をした、瑞々しい唇。
さらに、制服のブラウスの上からでもはっきりと分かる、出るところが出て引き締まるところが引き締まった、均整の取れた抜群のボディライン。
学園祭の一件(※第一章参照)を経て、二人の精神的な距離はかなり近くなっている。ハダルが自分に向ける視線に、ただの先輩以上の「熱」が含まれていることくらい、超一流の偵察能力を持つカノープス中尉が気づかないはずもなかった。
(……待てよ。彼女の初任務を完璧にサポートするのは当然として……)
カノープスはすっと目を細め、プロの冷徹な思考回路を稼働させた。
(僕たちもいい年齢だ。そろそろ、この焦れったい男女の関係を一歩前へと進め、距離を縮めてもバチは当たらないんじゃないか……?)
今回の遠征は、表向きは華やかな国際サミット、裏では帝国の影を追う危険なインテリジェンス戦。
だが、ミルキーウェールズ王国諜報部が誇るハイクラス忍者でありトップエージェントであるカノープス中尉は、地図の上の隠密ルートを指差しながら、頭の中ではそれとは全く異なる、個人的かつ公私混同極まりない『プライベート・ミッション(恋の作戦計画)』を、秘密裏に立案し始めてしまうのだった。
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