うわさの女
1. 錯綜する湯煙
【女子寮・デネブの部屋】
「なにか、胸騒ぎがして眠れないわ……」
深夜、公爵令嬢デネブはベッドの中で、言い知れぬ不安に襲われていた。寝返りを打ったその時、部屋の扉が慌ただしく開く。
「お嬢様! 大変でございます!」
息を切らせて飛び込んできたメイドの言葉に、デネブは跳ね起きた。
「例の編入生の娘とシリウス王子が、一緒にお風呂に入ったとうわさになっております!」
「っ!?」
デネブの脳裏に、あの小生意気な編入生――スピカの顔が浮かぶ。一瞬の絶句の後、怒りが頂点に達した。
「あの小娘ーー! やってくれたわね!」
掛け布団を跳ね除け、デネブは寝台から飛び降りる。
「今から私も殿下と一緒にお風呂に入るわ!!」
「お嬢様! 落ち着いてください!」
メイドが必死になってデネブの腕を掴み、引き留める。その必死の形相に、デネブはハッと我に返った。
「そ、そう……。ふん、殿下のお遊び好きにも困ったものね」
努めて平静を装い、フッと息を吐く。しかし、その内心はとても正気ではいられなかった。
(よりによって殿下と一緒にお風呂なんて……よりによって殿下と一緒にお風呂なんて、よりによって殿下と一緒にお風呂なんて……!)
呪詛のような言葉が、デネブの頭の中でいつまでも、いつまでもリフレッシュされることなくぐるぐると渦巻いていた。
2. 尾ひれ、背ひれ、胸ビレ
【学園・廊下】
翌朝、スピカが登校すると、学園の廊下はすでに異様な熱気に包まれていた。すれ違う生徒たちが、スピカをチラチラと見ながらコソコソと囁き合っている。
「おい聞いたか!」
「うん聞いた! あの娘、二人の王子と一緒にお風呂に入ったらしいぜ!」
(えっ!?)
スピカは思わず足を止めた。だが、うわさはそれだけに留まらない。斜め後ろからも別の声が聞こえてくる。
「えっ! 俺はあの娘とカノープスと第二王子が一緒にお風呂に入ったって聞いたぜ!」
「俺はあの娘とシリウス王子とモブ君が一緒にお風呂に入ったって聞いたけど」
「僕は、あの子とシリウス王子が一緒にお風呂に入ってケンカしたって聞いたよ」
(……何故、カノープス君やモブ君まで巻き込まれているの!?)
登場人物が勝手に増え、もはや混浴パーティー状態である。
(私はうわさの女!)
スピカは天を仰ぎ、心の中で全校生徒に向けて叫んだ。
(みんなー。一旦、お風呂から離れようかー!)
どうしてそこまで頑なにお風呂にこだわるのか。
「あー、みんなの視線が、痛い、痛い……」
好奇と羨望、そして少しの軽蔑が混じった視線に晒され、スピカはすっかり小さくなっていた。そこへ、友人のナンシーとクレアが駆け寄ってくる。
「スピカさん、元気だして!」
「うわさの鎮火はまかせて!」
クレアは力強く胸を叩いた。
「一緒にお風呂に入るのは弟さんだって、みんなに伝えるから!」
(まぁ、それはそれで恥ずかしいのだけど……)
年頃の姉が弟とお風呂に入っているというプライベートな情報をバラまかれるのも、それはそれで複雑な心境のスピカだった。
3. 黄色の令嬢、白馬の生徒会長
「ちょっといいかしら?」
ツカツカと鋭い足音を響かせてスピカたちの前に立ちはだかったのは、高飛車な令嬢、イザベラだった。
「貴方ね! 殿下と一緒にお風呂に入って、殿下をたぶらかしたのは!」
「違うわ! スピカは殿下と一緒にお風呂には入っていないわ!」
すかさずクレアがスピカの前に割って入る。
「一緒にお風呂に入るのはスピカの弟さんよ!」
(だから、それはそれで恥ずかしいってば……!)
スピカが心の中で頭を抱えるのを無視して、イザベラは扇子を強く握り締め、フンと鼻を鳴らした。
「それはどうだか。聞けば貴方、半年前までは庶民の暮らしをしていたそうね。下々の殿方ともお盛んじゃあなかったのかしら?」
あまりに露骨な物言いに、後ろに控えていたイザベラのお供が慌てて進み出る。
「イザベラ様! その発言は少しお上品ではないかと!」
「コホン!」
イザベラはわざとらしい咳払いで誤魔化すと、再びスピカを睨みつけた。
「とにかく、色香で殿下をたぶらかすなんて言語道断! 学園の風紀も乱れますわ! 貴方のような者がなんでこの学園に入学したのかしら?」
「お取り込み中失礼するよ」
その場に、冷ややかでありながらも気品に満ちた声が響いた。
生徒たちの間から現れたのは、うわさの渦中の人であるシリウス王子だった。
「殿下!!!」
イザベラは一瞬で顔を真っ赤にし、狼狽した。
「あのーそのー、殿下がお盛んとかそういう事ではなくて、一緒にお風呂に入りたいとか、そう言うのでもなくて……」
完全に墓穴を掘り始めている主人を見て、お供がそっと肩を引く。
「イザベラ様! 少し混乱されてます。ここは引き下がりましょう」
シリウスはイザベラたちを一瞥すると、集まった生徒たちを見渡すように声を張った。
「みんな聞いてほしい。僕が彼女と一緒にお風呂に入ったと言うのは、神に誓って事実無根だ。彼女になんの罪もない!」
その毅然とした態度に、周囲のざわめきがピタリと止まる。
「これ以上この事について、悪い風評をたてる者がいたら、僕は生徒会長として厳しい処分を下す事を厭わないよ」
検察のようなシリウスの警告に、野次馬たちは蜘蛛の子を散らすように視線を逸らした。シリウスはそこで、一転して優しい眼差しをスピカに向ける。
「スピカ君。放課後、生徒会室に来てくれるかな」
「はい」
スピカは小さく頷いた。去ろうとする彼の背中に、スピカは呼びかける。
「あのー、シリウス会長!」
「なんだい?」
「ありがとうございます」
シリウスは振り返り、悪戯っぽく微笑んだ。
「放課後、生徒会室で待ってるよ。それじゃあ」
4. 提出された紙一枚
【生徒会室】
放課後。静まり返った生徒会室のドアを、スピカは重い気持ちでノックした。
「シリウス会長」
「入って、スピカ君」
デスクに座るシリウスの前まで歩み進めると、スピカはポケットから一通の封筒を取り出し、そっと机の上に置いた。
「これを……」
「なんだい? これは」
シリウスが眉をひそめる。
「私は生徒会役員の職務を放棄しました。メレンヘア学園生徒会役員として失格です」
学園祭での一件、そして今回の騒動。自分の存在が周囲に迷惑をかけているという自責の念が、彼女に辞表を出させたのだ。
「……」
シリウスはしばらく無言でその封筒を見つめていたが、やがて小さく息を吐いてそれをスピカの方へと押し戻した。
「これは、受け付けられないな」
「え……?」
スピカが顔を上げると、シリウスは穏やかな、しかし確かな熱を帯びた目で彼女を見ていた。
「僕は学園祭の魔法生物部の展示を見学したんだ。子供たちとトグへもんが、笑顔でとても楽しそうにふれ合っている所を見たよ。トグへもんが鎖に繋がれていたら、あの子供達の笑顔は見られなかっただろうね」
「会長……」
「そのほかにも、君が報告書で知らせてくれた各展示の改善点も、みんなが安全に楽しく展示を楽しむために役立っていた事を確認したよ」
シリウスは立ち上がり、スピカの目の前まで歩いてきた。
「少なくとも、僕には君が必要だ。僕は君にこの生徒会に残って欲しい」
まっすぐに見つめられて、スピカの胸の奥がじんわりと熱くなる。
そのあまりにもずるい、断らせてくれない実直な言葉に、スピカは困ったように眉を下げて笑った。
「会長、ズルいです。そんな事シリウス会長に言われたら、辞められないじゃないですか」
「じゃあ、今日も仕事がたくさんあるよ」
シリウスはいつもの頼れる会長の顔に戻り、悪戯っぽく微笑む。
「はい!」
「まずは各展示で学園祭当日に不具合がなかったか、ヒアリングをしてもらえるかな」
「はい! お任せください。早速行ってまいります!」
スピカは先ほどまでのどんよりとした気分を吹き飛ばし、元気よく生徒会室を飛び出した。
「あれ? 編入生が凄い笑顔で出てきたぞ!」
「会長と仲直りしたのかな?」
廊下ですれ違った生徒たちがそんな声を漏らしていたが、今のスピカの耳には届かなかった。
5. 終わらない浴室
【女子寮・スピカの部屋】
その夜、女子寮の自室。
ベッドに大の字になって寝転びながら、スピカは天井を見上げていた。
(なんか色々あったけど、丸く収まって良かったかな)
会長に「必要だ」と言ってもらえた。明日からも、生徒会の一員として頑張れる。そんな充実感に浸っていると――。
コンコン。
「あのー、スピカ。ちょっといい?」
クレアの声だった。
「どうぞ!」
スピカが起き上がると、ドアを開けて入ってきたクレアは、なぜか非常に言いにくそうな、それでいて興味津々な、複雑な表情を浮かべていた。
「あのー、言いにくいんだけど……」
「なに?」
スピカが首を傾げると、クレアは意を決したように身を乗り出してきた。
「スピカがシリウス会長とお風呂で仲直りしたって本当!?」
スピカは動きを止め、遠い目をした。
(みんなーー!! とりあえずお風呂から離れようかーーー……!!)
ep.20いかがだったでしょうか?
個人的にデネブ様の「今から私も殿下と一緒にお風呂に入るわ!!」が好きです。
次回はep.1,ep.2の重要な?伏線回収があります。お楽しみに。
みんなーー!! とりあえず評価ポイントつけてみようかぁ。お願いします。




