メレンヘア学園の編入生(後)
天井裏の公務
(……しくじった)
その頃、女子更衣室の天井裏、梁の死角に張り付いていたカノープスは、己の未熟さに歯噛みしていた。
本来の任務は、編入生スピカ・マセットの動向監視。
しかし、彼女がトグへもんのジョブ適正診断後、シャワー室へ向かった時点で、彼は監視を一時中断すべきだったのだ。
壁の向こうから聞こえてきた、もう一人の編入生の、呪詛のようにご機嫌な鼻歌。それを聞いたスピカが、慌ててシャワーを止めて飛び出してきた気配。
カノープスは彼女と更衣室でかち合わないよう、とっさに天井裏の梁へと飛び退いて避難したのだが——。
(……っ!)
下を見下ろした瞬間、カノープスは息を止めた。
スピカが、濡れた髪のまま、バスタオル一枚を体に巻き付けた姿で更衣室に戻ってきたのだ。
不本意ながら、天井裏から彼女の肢体を眺める格好となってしまった。
(これは公務だ…)
と自分にに言い聞かせるカノープスだったが視線は彼女に釘付けだった。
窓の隙間から差し込む光に照らされた彼女の肌は、輝くばかりに白く美しかった。その神聖なまでの美しさに魅了されてしまう感情は、アークプリーストの適正を持つ彼女の神秘性ゆえなのか、それとも己の未熟さからくるものなのか。
トグへもんに舐め回され、モブの鼻歌に怯え、湯上がりの上気した顔で「最悪……」と呟くスピカの姿。
そのあまりの神々しさと、年相応の少女としての無防備さのギャップに、カノープスの心臓が、早鐘のように音を立てる。
(自分としたことが……。任務中に、なんという……失態……)
顔が熱い。忍びの極意である「平常心」が、砂の城のように崩れ去っていく。
もし今、彼女がふと上を見上げれば、凄腕忍者カノープスが、天井柄のぬなの顔を真っ赤にして天井裏で固まっているという、末代までの恥晒しな姿が露見するだろう。
スピカが手早く着替えを終え、更衣室のドアを閉めるまでの数分間。
カノープスにとって、それは地獄のようでもあり、永遠に続いてほしい瞬間であった。
「…………ゲコ」
突然、カノープスの懐から、空気を読まないカエルの使い魔が間の抜けた声を上げた。
「……黙れ」
カノープスは、これまでで最も殺気のこもった声で使い魔を黙らせると、自身の昂りすぎる心音を隠すように、闇の奥深くへと身を沈めた。
(このひとは……自分が、お守りせねば……)
それが任務なのか、それとも私情なのか。彼自身にも、まだその答えはわからなかった。
隣の男子はモンスター
着替えを終えて集会室の廊下に戻ると、周囲の生徒たちの視線が妙に熱かった。
「凄いよ君、アークプリースト『かな?』なんて、この学園に君を含めて三人しかいないんだよ!」
「うちのパーティに入らない?」
女性ウケしそうなスマートな出立ちの男子生徒が、爽やかな笑みを浮かべてスピカに声をかけてきた。
「今は分からない事が多いから、考えさせて」
「前向きに頼むよ」
男子生徒が去った後、スピカは小さく息を吐いた。
(……あれ、ちょっとチヤホヤされてる? 悪い気はしないけど……まぁ『かな?』だし、不確定要素だしね)
「はい、静粛に! 各自教室に戻ってください!」
先生の怒声が響き、生徒たちが散っていく。スピカはホッと胸をなでおろし、隣にいたクレアに尋ねた。
「ねぇクレア。パーティってなになに?」
「パーティね。必須ではないけど、パーティを組んで擬似冒険をする人たちもいるわ。薬草を取りに行ったり、ちょっとした洞窟を探検したり。まぁ、今の時代モンスターなんか出ないけどね。……ただ、なかには女子を連れ出したい目的でパーティーに誘う輩もいるから、気をつけたほうが良いかもね。隣の男子がモンスター、なんてね」
「なるほどね……。」
「それにしても、ジョブ適正診断って、古代魔道具とかを使ってもっとスマートにする物じゃないの?」
スピカの率率直な疑問に、クレアは苦笑する。
「そうね、うちは独特よね。でも、下手な魔道具よりも精度は高いって言われているのよ」
(あれが?)とツッコミたい気持ちをスピカがおさえていると、
ナンシーも横から優しく微笑んだ。
「でもスピカさん、凄いわ。アークプリーストだなんて」
「(……『かな?』だけどね)」
ひとまず教室へ戻る道中、スピカは二人に声をかけた。
「あっ、化粧室ってどこかしら」
「教室を出て右の突き当たりよ。一緒に行く?」
「ありがとう、一人で大丈夫」
みんな良い人で良かった。でも、朝から目まぐるしい展開が続きすぎて少し疲れてしまった。一息つきたいわ、どこか静かな所はないかしら……。スピカは化粧室へ寄ったあと、少し遠回りをして、静かな場所を探すことにした。
忍者の伝言ゲーム
その頃、生徒会長室。
「ゲコ」
生徒会室の窓に、カノープスの使い魔である大きなカエルが音もなく現れた。そして、カエルは口からベトベトのメモを吐き出した。
(少しなまぐさいな……)
「……カノープスの奴、もっとマシな使い魔はいないのか」
シリウスは嫌そうな顔で指先でメモを広げ、そこに書かれた文字を読んだ。
『編入生が一人でバラ園へ』
「ふっ、新しい子猫ちゃんの顔でも拝みに行くか」
シリウスが生徒会室を出て廊下を歩けば、すれ違う女子生徒たちから次々と黄色い声が上がる。
「シリウス様よ!」
「今日も、麗しいわ!」
"「お声をかけてくださらないかしら?」"
そんな羨望の言葉を背に受けながら、シリウスは自らの境遇の恩恵に深く酔いしれていた。
(成績優秀、眉目秀麗。この国の第一王子にして生徒会長。適正は魔法剣士。……さあ、これ以上何が欲しい?)
彼は自惚れと共に、まずは指定されたバラ園へと向かった。
だが、そこでベンチに座り、くつろいでいたのは——。
「……誰、あいつ」
そこには、なにやら虚ろな目で宙を見つめ、黄昏れているモブ君の姿があった。
「ゲコ」
再び現れた使い魔ガエルが、新しいメモを差し出す。またしても少しなまぐさいメモを広げると、そこにはもったいぶったメッセージが書かれていた。
『あぶりだし』
「忍者めんどくせー」
シリウスは深いため息をつくと、懐からライナー(火打ち石)を取り出す……ような殊勝な真似はしなかった。
「ファイヤーボール!」
彼が呪文を唱えると、手元に小さな火球出現する。あぶり出しのメモを、慎重にその熱に近づけた。(燃やさないように……)と注意深く熱をあてたが、手元が狂って端が少し焦げてしまう。
じわじわと茶色い文字が浮かび上がってきた。
『もう一人の編入生は裏庭へ』
シリウスは焦げかけたメモをその場に放り捨てると、今度こそお目当ての「子猫ちゃん」が待つ裏庭へと、少し足早に向かうのだった。
激突と、聖女?の奇跡
裏庭の木陰で風に吹かれていると、前方から一人の男子生徒が歩いてくるのがスピカの目に入った。
そのあまりに整った容姿と、自信に満ち溢れた歩き方に、スピカは心の中で呟く。
(うわ、すごい美形……。でも、なんか凄くナルシストっぽそう)
一方のシリウスも、佇むスピカを見つめていた。
(ふーん、まぁまぁかな。挨拶くらいはしてやるか)
彼が優雅に歩み寄り、声をかけようと口を開きかけた、その時だった。
上空から、凄まじい速度で何かが落下してくるのが視界の端に見えた。校舎の窓際に置かれていたであろう、陶器の分厚い花瓶だ。それが丁度、彼の頭上へと真っ直ぐ落ちていく。
「危ない!」
スピカの叫びと同時に、鈍い音が響き渡った。
ガっ!!
「いでっ! な、なんなんだ……!」
シリウスは頭を押さえたが、その指の間から鮮血がどっと溢れ出し、彼はその場にバタリと倒れ込んだ。
「凄い血! 私に任せて!」
「バカっ、お前みたいな素人に、高貴な俺を触らせる……ぐっ、医者か、アークプリーストを……」
意識が遠のきかける彼を見て、スピカは覚悟を決めた。トグへもんの診断が正しければ、自分にはあの力が使えるはず。
「じっとしてて!」
スピカは倒れる彼の頭上へと、鋭い眼差しで両手をかざした。心の中で、本能が知っている呪文を紡ぐ。
「——《ラージヒール(大回復)》ッ!」
刹那、スピカの手から温かな光の奔流が溢れ出し、シリウスの身体を優しく包み込んだ。
五感を満たす神々しいまでの膨大な魔力。意識が朦朧とする中で、シリウスは光の中に聖なる幻影を見た。
(えっ……これは……本物の、聖女さま……?)
数分後。
「——ねえ、気がついた?」
鼓膜を揺らす、鈴を転がすような澄んだ声に、シリウスはゆっくりと瞼を持ち上げた。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた裏庭の景色。いや、違った。最も見慣れないのは、先ほどの少女——スピカがすぐ間近から、満面の笑みで自分を覗き込んでいるという状況だ。
そして、後頭部に伝わる、柔らかくも温かい感触。
シリウスは、自分が彼女の太ももの上——世に言う『膝枕』の体勢で横たわっているのだと理解した。
「あ、ぼくは確か……。……って、治っているのか?」
呆然としながら、シリウスは自分の頭に触れた。べっとりとついていたはずの血は綺麗に消え失せ、傷跡一つ残っていない。
完全に回復したのを見届けると、スピカは膝枕をあっさりと解消し、立ち上がって腰に手を当て、ジロリと彼を睨みつけた。
「殿方? 私のこと、さっき『バカ』っておっしゃいましたよね?」
「……ッ。フッ、何のことかな」
シリウスは咄嗟に起き上がり、前髪をかき上げて格好をつけたが、スピカの目は完全に据わっていた。容赦なく、冷ややかな視線を突き刺してやる。
「フン、そういうことにしておきます。私、これでもアークプリーストの『卵』ですからね! ――それじゃあ私は教室に戻ります。次からは頭上には気をつけてくださいね、ハンサムさん!」
スピカはスカートをひるがえし、颯爽と裏庭を後にした。
芝生の上に立ち尽くしたままのシリウスが、小さく何かを呟いた気がしたが、振り返らずに歩き続けた。
「……ありがとう」
ぽつりと溢れた彼の呟きは、初夏の風に溶けて消えた。
エピローグ:
生徒会室に戻ってからも、シリウスは裏庭での短いやり取りを何度も反芻していた。
額に残る、あの温かい手の温もり。そして、あの柔らかい膝の感触——。
思考の海に深く溺れかけていたその時、部屋の隅の影が不自然に揺らめいた。
「会長。……報告書です」
音もなく現れたカノープスが、一枚の書状を差し出す。その立ち姿はいつも通り完璧だったが、心なしかいつもより殺気立った、ツンとした気配を纏っているように見えた。
「お、おう。カノープス君、ありがとう。ご苦労様」
シリウスが動揺を隠しながら静かに礼を言うと、カノープスは一言も発さず、再び音もなく闇の奥へと退室していった。
一人残されたシリウスは、机の上の書状を見つめる。
(ついに、あのスピカという少女の素性が明かされるのだな……)
期待に胸を膨らませ、厳重に封をされた報告書を一気に開いた。
そこには、達筆な文字でこう記されていた。
【報告書】
編入生:モブ・デュラン
好きな食べ物:カレー
生徒会室の静寂を破り、シリウスは全力でツッコミを入れた。
「だから、こいつは誰だよ!!」
挿し絵も含めて色々思考錯誤しています。
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