メレンヘア学園の編入生(前)
貴族風異世界学園ラブコメ。
王子様や聖女様?といったキャラ達の地べたを這いつくばるような青春をご堪能ください。
貴族社会風の華やかさ、
学園ならではの日常、異世界ならではの非日常のハーモニーをご賞味ください。
プロローグ:邪神の眠る世界と、異邦の影
かつて世界を深い絶望と恐怖に陥れた「邪神龍」。その禍々しき存在が封印されてから、永い、永い時が流れた。
現在、世界「エキティカ」は、かつて戦火が絶えなかった血生臭い過去を忘れ去り、人々は泰平の世を謳歌している。
その世界に点在する国家の一つ、ミルキーウェールズ王国。
物語が動き出す少し前のこと、さほど特徴もない、ごく普通の青年が、隣国ロメーダ帝国の国境を越えてこの国へと足を踏み入れた。
まだあどけなさの残る顔立ちの青年は、今、胸の内に秘めた極秘情報に、抑えきれない興奮を震わせていた。
(このミルキーウェールズ王国に『聖女』が出現する!)
世界の勢力図を根底からひっくり返しかねない、あまりにも巨大な情報。
この国に間もなく舞い降りるという奇跡の少女の正体は一体誰なのか。そして、この情報を巡って、これからどれほどの陰謀が渦巻くことになるのだろうか。
暗闇の中にポツリと決意を秘め、青年はまるで夜風に溶けるように、王国の灯りへと向かって音もなく駆け出した。
スピカの旅立ち
半年前、父が死んだ。
父は、およそこの世の営みというものに向かない、ひどく不器用な人だった。浴びるほどの酒と、一銭の得にもならない天文学。その二つにばかり生涯を捧げ、まともに働きもしなかった。
「いいか、スピカ。嫌なことを忘れるにはな、酒と、ロマンスと、宇宙だ。」
それが、泥酔した父の口癖だった。
そんな破綻した生活を辛うじて支えていたのは、ずっと前に貴族へ嫁いだという叔母からの、細々とした経済的援助だけだった。
やがて父の葬儀がしめやかに終わり、ぽっかりと空いた日常に少しずつ慣れてきた頃。叔母からの使いが、スピカの元へとやってきた。
「スピカ様、お迎えに上がりました」
叔母の計らいで、スピカは生まれ育った土地を離れることになった。
長い旅路の果てに辿り着いたのは、どこまでも広がる青い海を望む、ミルキーウェールズ王国の東部――マセット伯爵領。
潮風に髪を揺らされながら、スピカはこれから始まる全く新しい生活に、期待で胸を膨らませていた。
生徒会室の退屈
ミルキーウェールズ王国の貴族子息たちが集う、名門「メレンヘア学園」。
その権力の中心たる生徒会室は、厳かな静寂に包まれていた。
部屋の主人であり、豪華な革張りの椅子に深く腰掛けた生徒会長――シリウス・ランスターは、退屈そうに頬杖をつき、窓の外を眺めていた。
第一王子にして、卓越した魔力を誇る魔法剣士。さらには学園を実質的に牛耳る若きプリンス。完全無欠な彼にとって、変化のない退屈な日常は、少々刺激に欠けすぎていた。
「シリウス会長」
静寂を破ったのは、聖騎士パラディンの修練を積む副会長のルスカの声だった。
「なんだい、ルスカ」
「本日、新しい編入生が入学するそうです」
「ふむ……。そうだったかな」
シリウスは興味なさげに応じたが、その切れ長の視線は、部屋の隅の暗がりに向けられた。そこには、まるで影そのもののように気配を消して潜んでいる少年がいた。
「カノープス君。君は確か、その編入生と同じ学年だったね」
「はい」
庶務を務める少年、カノープス・チュワートスが、感情の起伏が全く読めない声で短く応じる。
「どんな人物か、少し様子を観察してもらえると助かるよ。何か変わったことがあれば、報告して欲しい」
「……承知しました」
カノープスは音もなく一礼すると、まるで最初からそこに誰もいなかったかのように、文字通り影に溶けるようにして姿を消した。
聖女の血脈と、同調圧力
「初めまして。私がこの学校の校長、ドン・ウィリーだ。君がスピカ・マセット君だね」
「はい、ウィリー校長。お会いできて光栄です」
格式高い校長室でスピカを迎えたのは、白髭を蓄えた温和そうな老紳士だった。
「君のことは、お母様からよく聞いているよ。君のご先祖様には、『聖女』を輩出したらしいという言い伝えがある家系だそうだね」
(……いや、めちゃくちゃ曖昧な伝承なんですけど! ほぼおとぎ話レベルの!)
スピカが心の中で全力のツッコミを入れているのを知ってか知らずか、校長先生は好々爺とした笑みを崩さない。
「もしかしたら、君にもその気高き素質が眠っているのかもしれないね。まぁ、大いに励んでくれたまえ。……おっと、時間が惜しいな。今日は早速、学年集会で挨拶をしてもらうよ。しっかり頼むよ」
ウィリー校長は朗らかに笑うと、一人の女子生徒を部屋へと呼び寄せた。
「クレア、彼女を集会室まで案内してくれるかね」
「かしこまりました、校長先生」
案内役を引き受けてくれたクレア・シャーマルは、非常に気さくで人当たりの良い少女だった。長い廊下を並んで歩きながら、彼女はすぐにスピカに話しかけてくれた。
「私はクレア・シャーマル。クレアでいいわ。よろしくね!」
「私はスピカ・マセット。私もスピカって呼んで。よろしく、クレア」
「ねぇスピカ、知ってる? この学園は適正が認められれば、最高峰の『上級ジョブ』もマスターできるのよ。女子ならアークウィザードやアークプリースト、男子なら魔法剣士やパラディンがみんなの憧れの的なの!」
「へぇ……。どうすればその適正って認められるの?」
「今日の学年集会でその機会があるわ。編入生は漏れなく全員、その場で試されるシステムなのよ」
クレアはそこで少し声を潜め、きょろきょろと周囲を気にしながら囁いた。
「でもね……みんなの前でショボい適正が出ると、その後の学園生活が結構キツいものがあるわ。診断方法も、なんていうか独特だし……。私はただの『プリースト』だったんだけど、正直あの診断は二度と御免だわ。それにさ、この平和な世の中じゃ、上級ジョブなんてただのステータスみたいなものだしね」
そんな話をしながら集会室に到着すると、スピカはもう一人のクラスメイト,ナンシーを紹介された。
すると何を思ったのか、クレアが「ねぇみんな聞いて! 彼女、聖女を出したかもしれない高貴な家系なんですって!」と周囲に触れ回ってしまった。
その瞬間、集会室にいた生徒たちの視線が一斉にスピカに集まり、ざわざわと地鳴りのような私語が始まる。
「おい、聖女の末裔だってよ……!」
「すげー、これは期待大だな!」
(ちょっと待って! やめて、そんな曖昧な噂を大音量で広めないで……!)
ダラダラと冷や汗を流すスピカの心中を置き去りに、教師の厳格な声が響き渡った。
「静粛に! スピカ・マセット君、前へ。」
「本日は我が学年に二人の編入生を迎えた。では、それぞれ自己紹介をお願いする」
促されてステージに上がると、スピカの隣には、もう一人の編入生――モブ・デュランが立っていた。
(私の他にも編入生がいたんだ。っていうか、自己紹介!なに話そう……。前の人のフォーマットに倣って、無難に名前と趣味くらいにしておくのがマシかしら?)
スピカが頭の中でぐるぐると必死に思考を巡らせていると、隣のモブ君が、すっと一歩前へ出た。そして、全校生徒の前で堂々と胸を張り、声を張り上げた。
「モブ・デュランです。好きな食べ物は……カレーです」
(えっ……!? 自己紹介で、一番最初に好きな食べ物……!?)
呆然とするスピカを置き去りに、モブ君の挨拶はそれで綺麗さっぱり、あっさりと終了した。
(えっ、嘘でしょ、それで終わり!?)
チラリと横目で隣を見れば、モブ君は何故か「よし、自分の仕事を完璧にやりきったぞ」と言わんばかりの、実に満足げな、清々しいドヤ顔を浮かべている。
予想のはるか斜め上を行くシンプル極まるフォーマットに、スピカの脳内は大混乱の極みに達した。
(なんでそんなにやり切った感だしてるのよ!? 嫌よ、私はそんなダサい自己紹介したくないわ!)
しかし、無情にも進行役の先生の視線が、カチリとスピカを捉えた。
(あっ……でも、この空気、完全に次も同じ流れを期待されてる……! 逆らえない……!)
全校生徒の視線が、針のように突き刺さる。スピカはごくりとつばを飲み込み、震える口を開いた。
「す、スピカ・マセットです。好きな食べ物は……」
一瞬の、痛烈な沈黙。
「……私も、カレーです」
(終わった。私の学園生活、初日にして終わったわ。完全に同調圧力に屈してしまった……!)
せめて「あんみつ」とでも言っておけば、少しは個性を出せたのに……!
猛烈な後悔の念で打ちひしがれるスピカを余所に、学年主任の教師は何故かいきいきとした表情で、次の進行へと移った。
⚪︎恐怖!魔法生物トグへもん
「それでは、お待ちかねの適正診断を始めよう! 本日、診断を執り行ってくれるのは――我が学園の誇る魔法生物、トグへもんだ!」
先生の豪快な掛け声とともにステージに現れたのは、スピカの語彙力を一瞬で消し飛ばすほど、奇妙で、奇怪で、恐怖をそそる姿をした生物だった。
頭部の大きさは直径1メートルほどの巨大な球体。その中心で、ギョロリと大きく鋭い二つの眼光が怪しく光っている。口は耳元まで裂けるように大きく、中には獲物を噛み砕くための頑丈そうな牙がズラリと並んでいた。皮膚の質感は、まるで大型の肉食爬虫類のそれだ。
スピカは恐怖のあまり、本音が口から漏れた。
「怖っ……!!」
すると、その化け物が口を開いた。
「僕、トグへもん。少しだけ未来が見えるんだ~」
姿に反して、脳がバグりそうなほど愛嬌のある、可愛らしいアニメ声だった。だが、スピカが困惑する間もなく、先生はとんでもないアイテムを手にスピカの前へと躍り出た。
「さぁスピカ君、これを着て!」
「えっ? いや、何ですかこれ」
手渡されたのは、ピンク色のシャンプーハットに半透明のローブがくっついた、明らかに「液体の汚れ防止」を目的とした奇妙な雨具だった。
それを頭から強引に被せられ、スピカが完全に固まっていると、トグへもんが目の前で、自身の頭部と同じくらい大きな大口を開けた。
「いただきまーす!」
「えええええええええ!?」
直後、目の前が真っ暗になった。
トグへもんは、その巨大な口で、スピカの頭部をパクりと丸呑みにしたのだ。
外界の音が遮断され、生温かく、粘着質な感触が頭部を包み込む。
(ひーっ! 舐められてる! 凄く、凄まじい勢いで顔を舐め回されてる!!)
すると、暗闇の中にトグへもんの能天気な歌声が響き渡った。
『あんらほほひーな、へひはらひーな♪』
(なんか変な、歌まで歌ってるーーー!!)
トグへもんが妙なリズムを刻みながら、口の中でスピカをごろごろと転がす。恐怖と不快感が限界に達し、スピカの魂が口から抜けかけそうになったその時――パカッと口が開いて、スピカの頭部は解放された。
「うん。スピカちゃんの適正ジョブは……『アークプリースト』……かな?」
「『かな?』って何よ! 占いレベルなの!?」
極限状態からの生還により、思わず初対面の魔法生物に鋭いツッコミを入れてしまったスピカだったが、周囲の生徒たちはそれどころではなかった。
「おおおおーーーっ!」
「ま、マジかよ! 初手で最高峰の上級ジョブ、アークプリーストを引き当てただと!?」
「やっぱり聖女の血筋は本物だったんだ!」
割れんばかりの大歓声が体育館を揺らす。トグへもんは平然とした顔で、「未来は変えられるよ。心境が変わったらまたおいで」と意味深に告げた。スピカとしては、できれば二度と御免こうむりたい。
その後、隣のモブ君も同じようにパクりと丸呑みにされていたが、診断結果は「吟遊詩人」という何とも微妙なものだった。ちなみに、彼の時のトグへもんの咀嚼時間が、スピカの時よりも明らかに短かったのは、おそらく気のせいではないだろう。
⚪︎薄すぎる壁と、隣の吟遊詩人
「……もう、なんなのよ。なんなのよ、あのクソ診断」
放課後。スピカは誰もいない女子シャワー室で、力なく蛇口を捻った。
勢いよく飛び出した熱いお湯が、髪や肌にこびりついたトグへもんの粘着質な感触と、編入早々に「全身を舐め回された」という最悪の思い出を洗い流していく。
「アークプリースト……『かな?』って何よ、本当に……なんでここも曖昧なの。」
天を仰ぎ、お湯の温かさに身を委ねる。最悪な気分のモヤモヤが、少しずつお湯と共に排水溝へと流れていく――はずだった。
(……ん?)
ふと、ザーザーというシャワーの音の向こう側から、奇妙な雑音が聞こえてきた。
壁を隔てたすぐ隣――男子シャワー室から、なにやら楽しげな、妙に調子の外れた鼻歌が聞こえてくるのだ。この、信じられないほど気の抜けた声の主は……。
(モブ君……?)
というか、待って。
この学校、名門のくせに壁が薄すぎない!?
スピカの全身が凍りついた。慌ててシャワーの栓を閉める。
静寂が戻った室内。やはり聞き間違いではない。壁一枚隔てたすぐ先で、あのモブ君が、裸でご機嫌にフンフンと鼻歌を歌っているのだ。
彼が診断された「吟遊詩人」は、お世辞にも華やかで戦闘向きなジョブではない。先ほどクレアが言っていた「みんなの前で出ると結構キツい、ショボい適正」の部類に入っているはずだ。
(ジョブ適正診断の『吟遊詩人』、そんなに嬉しかったの!? メンタル鋼すぎない!?)
とツッコミたい衝動に駆られたが、そんなことをすれば自分がここにいることがバレる。何より、入学初日から「裸のモブ君と壁越しに密な会話を交わした」という、不名誉極まりない既成事実が出来上がってしまう。
「……さっさと帰ろう」
スピカは限界まで気配を殺し、まるで暗殺者のような忍び足で、音もなくシャワー室を後にするのだった。隣りの部屋の怪しい気配には気づかずに。
挿し絵も含めて色々思考錯誤しています。
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