第四部 第29話:恋のジェットコースターは終わらない
風を切る甲高い音がふっと止み、ニータイザンの砦の無機質な石畳にゆっくりと着地した瞬間、スピカの足元はどこかふわふわと浮き足立っていた。
「到着だよ、スピカ。……無事でよかった」
シリウスがそっと腰から手を離し、優しく微笑みかける。
背中から彼の温もりが離れていったはずなのに、抱きしめられた強い感覚と、耳元に残るあの甘い声は、消えるどころか熱を増してスピカの全身を駆け巡っていた。
「……っあ、ありが、とうございます……! シリウス様っ!」
真っ赤になった顔を隠すように、勢いよく深々と頭を下げたスピカは、逃げるように後ずさった。
「あ、あっちでデネブさんたちが待ってますから……っ!」
ぎこちない足取りで半ば走り出すスピカ。胸の奥で、心臓がまるで破裂しそうなほどドクドクと警鐘を鳴らしていた。
(『ずっとこうしていたい』って……『ずっとこうしていたい』って……ッ!?)
頭の中で、空の上で囁かれた言葉が何度も何度もリフレインする。
訓練だ。これはあくまで、津波の被害から人々を救うための真剣な撤退訓練だったはずなのだ。それなのに、あの時のシリウスの腕の力強さや、耳に吹きかかった吐息の温もりばかりが思い出されて、思考が全く追いつかない。
(違う、違う! 私はシャオハイユの街を守るために気合いを入れてたところで……! なのに、あんな……あんなの、ズルいですよシリウス様……!)
あの時、嫌だなんて微塵も思わなかった自分がいた。それどころか、抱きすくめられた瞬間に覚えた安心感と、胸がギュッと締め付けられるような甘いときめきに、自分自身が一番戸惑っている。
ふと視線を上げると、遠くでレグルスが「くそっ、シリウスめ……訓練にかこつけてあのような……!」と悔しそうに拳を握りしめて地団駄を踏み、その後ろでは不憫なジョニーがドン・ウイリー校長に肩を抱かれてぐったりとしていた。
さらに、デネブたちの元へと足を進めると、そこでもカオスな光景が広がっていた。
なんと、生徒会副会長であるあの凛々しいルスカが、デネブの太ももに必死にしがみついていたのだ。
デネブは白目をむき、金髪碧眼の美しい顔を派手に引き攣らせながらルスカに訴えていた。
「あのー……。ルスカ副会長……。そこに……しがみつくの……やめてもらえませんか……?」
ルスカは青ざめた顔で平謝りに謝る。
「すまん! デネブ書記! 私は高い所が苦手なのだ! すまぬ……すまぬ……!」
いつもなら思わずクスッと笑ってしまうような光景すら、今のスピカの目にはどこか遠い世界の出来事のように映る。
(私……次の訓練、ちゃんと集中できるのかな……)
両手で真っ赤に火照った自分の頬をギューッと包み込み、スピカは深く息を吐き出した。
訓練が終わった安心感と、街を守らなければという使命感。そのすべてを上書きしてしまうほど強烈な「シリウスからの好意」に、スピカの心はしばらくの間、甘いパニックから抜け出せそうにない――。
そう思っていた、まさにその時だった。
「――今の組み合わせで、シャオハイユ南壁に戻る!」
演壇の上から、レグルス皇帝の無慈悲な号令が響き渡った。
(((えっ……今すぐ戻るの!?)))
呆然とするスピカの隣に、すっと滑り込んでくる影があった。
シリウスが爽やかな笑みを浮かべ、甘い声音でスピカに手を差し伸べる。
「さぁ行くよ、スピカ庶務」
(((ひい〜〜〜〜〜〜っっっ!!)))
スピカの心の中の叫びも虚しく置いてけぼりにされ、逃げ場のない恋のジェットコースターは、再び空へと舞い上がっていくのだった。
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