第8話 進化の確認
『特殊条件を確認しました』
『高位血統因子を検出』
『適性判定を開始します』
『対象個体:ラウラ』
『現種族:インキュバス』
『追加属性:ヘル家継承』
『高位階梯への接続を試行します』
……出た!やっぱりシステムだった!
驚く余裕すらほとんどないまま、次々と光の文字が走る。
『適性照合中』
『精神位階――適合』
『魔力回路――適合』
『血統受容器――適合』
『外格因子・人格傾向を反映します』
最後の一文で、一瞬だけ頭のどこかが冷静になった。
人格傾向を反映しますってなに。
いや待って、それ下手したら私の甘い異国風王子様RPがそのまま反映されるってこと?
え、ちょっと、それはかなり面白いけど、同時にだいぶ恥ずかしいんだけど?
だが次の瞬間、そんなことを考える余裕は吹き飛んだ。
背中の奥が、熱い。
肩甲骨のあたりに、何かが押し広げられるような感覚が走ったのだ。
「――っ!?」
反射的に身体が震える。
熱が胸から背へ、背から腰へ、腰から首筋へと一気に駆け上がる。呼吸をするたびに、喉の奥が甘く焼けるようだった。
『進化方向を確定します』
『個体ラウラは高位魔族系統へ遷移します』
『派生結果――』
そこでウィンドウの文字が、一度、大きく揺らいだ。
まるで複数の候補が競り合っているように、光が明滅する。
『――再計算』
『血統因子を優先』
『外見因子を補完』
『人格演算を上位反映』
『最終確定』
次の瞬間、強い光が弾けた。
私は思わず目を閉じる。
『新種族を獲得しました』
『【ノーブル・インキュバス】へ進化しました』
その文字を認識した瞬間、身体を満たしていた熱が、すっと一本の流れになって落ち着いていくのを感じた。
激しく打っていた心臓も、少しずつ元のリズムへ戻っていく。痺れは消え、代わりに妙な軽さが残った。
私は荒くなった息を整えながら、ゆっくりと目を開ける。
宝物庫の空気は変わらない。
目の前には、変わらずバルタザールが立っている。けれど、彼の目だけが少し大きく見開かれていた。
「……ほう」
低く、感心したような声。
その声音に混じる驚きは、これまでの彼からはあまり感じたことのないものだった。
「これは……想像以上じゃな」
「……何が、です?」
まだ少し掠れた声で尋ねると、バルタザールは口元をゆっくりと吊り上げた。
「鏡を見よ」
そう言われて、私は自分の姿を映すものを探す。
すると、部屋の壁際に飾られていた装飾鏡が、ちょうどこちらを映しているのが見えた。
私はふらつかないよう気をつけながら数歩進み、その前に立つ。
「……え?」
鏡の中の自分を見た瞬間、思わず言葉を失った。
そこに立っていたのは、確かに私が作った【ラウラ】だった。
長い髪。編み込んだ意匠。褐色の肌。柔らかな垂れ目と、整えた顔立ち。そこまでは変わらない。
けれど、細部が明らかに違う。
まず、髪の色。
アッシュグレーだったはずの髪は、光を受けるたびに銀青へと揺らぎ、毛先の深い青は以前よりも鮮やかで、夜の海みたいな透明感を帯びていた。
瞳もそうだ。
琥珀色の金のはずだったそれは、中心に青い光を宿している。金と青が溶け合い、見る角度によって色を変えるその目は、元の作ったイケメンを遥かに飛び越えて、なんというか……異様に完成されていた。
耳元には、見覚えのない小さな青銀の装飾が浮かぶように付いている。
いや、装飾じゃない。これはたぶん、種族由来の何かだ。耳の輪郭そのものが少し鋭く、美しく変わっている。
そして何より。
「……牙」
口元に手をやって、そっと触れる。
上の犬歯が、少しだけ長く鋭くなっていた。
吸血鬼ほどではない。けれど笑えばたぶん、確実に人ではないとわかる程度には、妖しい鋭さが増している。
背中に違和感があって振り向こうとすると、鏡の中で肩甲骨のあたりから淡い青黒い紋様が首筋へと這い上がっているのが見えた。刺青のようにも見えるが、皮膚の下で光っているようでもある。
……え、なにこれ。めちゃくちゃ格好よくない?
いや、ちょっと待って。格好いいどころじゃない。
これはもう、私が時間をかけて頑張って作った甘い異国風王子様を、プロの神デザイナーが「方向性はそのままで百倍よくしときました」ってブラッシュアップしたみたいな見た目なんだけど?
ラウラくん、完成しすぎでは?
「気に入ったようじゃな」
背後からバルタザールの声がする。
私は鏡越しに彼を見た。その顔には、明確な満足の色がある。
「……ええ、かなり」
「ならばよい」
彼はゆっくりと私の隣まで来ると、鏡の中の私を眺めながら続けた。
「ノーブル・インキュバス。高位血統と器が噛み合った結果じゃ。インキュバスの艶やかさと魔性は残しつつ、そこへ家格に相応しき威と品が加わった」
「……すごい説明ですね」
「事実じゃ。見ればわかる」
「否定はしませんけど」
だって本当にすごいし。
その時、再び視界の端にウィンドウが現れた。
《種族進化に成功しました》
《新種族【ノーブル・インキュバス】》
《称号【ヘル家の養子】を獲得しました》
《称号【高貴なる青血】を獲得しました》
《固有特性【高位魅了】【魔性の所作】【青血の器】を獲得しました》
……特性までついた。
私は喉の奥で小さく息を呑みつつ、できるだけ涼しい顔を保つ。
だが、その努力も次の一文で少し揺らいだ。
《ヘル家継承イベントシナリオが開放されました》
あっ、やっぱり専用ルートだった。
理解した瞬間、背筋にぞくりとした震えが走る。
これは本当に、最序盤で踏んでいいルートなのか?いや、もう踏んだんだけど。しかも全力で。
「どうした」
「……いえ」
私はゆっくりと息を吐いてから、鏡の中の自分にもう一度視線を向けた。
「想像以上に、とんでもないことになったな、と」
その言葉に、バルタザールは実に愉快そうに笑った。
「当然じゃ。おぬしはこれより、ただの異界人ではない。ただの魔族でもない。ヘル家の名を負い、この街の中枢に立つ者となるのだからな」
静かだが重い宣言。
その言葉は、今までのどのイベントメッセージよりもずっと現実味を持って、私の胸の奥に落ちた。
――ああ、本当に始まったんだ。
ただゲームを始めただけじゃない。
ただロールプレイを楽しむだけでもない。
私はいま、この街ヘルの中心に、自分の居場所を与えられようとしている。
それはたぶん、というか絶対。普通の初心者プレイヤーが辿るルートじゃない。むしろ普通からだいぶ外れている。
でも――だからこそ、面白い。
私がゆっくりと笑みを浮かべると、鏡の中のラウラもまた同じように甘く、どこか妖しく微笑んだ。
「……ええ」
私は静かに答える。
「でしたら、期待に応えるといたしましょう」
声は以前より少し低く、滑らかで、耳に甘く残る響きを帯びていた。
うわ、声までちょっと良くなってる。
そんなことを思いながらも、私はそれを表に出さず、あくまで優雅に一礼する。
「改めて、よろしくお願いいたします。父上」
バルタザールの目がわずかに見開かれた。
そしてその後、彼は堪えきれなくなったように、低く深く笑い出した。
「く、くく……はは……! よい、実によい!」
肩を揺らしながら、彼は心底愉快そうに言う。
「そう呼ぶか、ラウラ! ますます気に入ったぞ!」
よかった。これはかなりウケた。……一発ギャグじゃないんだけどさ。
私は柔らかく目を細める。
「お気に召したのなら幸いです」
「うむ、幸いとも。よい、よいぞ……」
バルタザールはしばらく笑ったあと、ようやく息を整え、満足そうに頷いた。
「では行くぞ。マルコスたちにも見せねばなるまい」
「この姿を、ですか?」
「無論じゃ。正式に迎えた以上、屋敷の者どもにも知らせる必要がある。それに――」
彼は意味ありげに口元を上げる。
「やつらの驚く顔を見るのも、なかなか愉快であろう?」
……この人ちょっとそういうおちゃめなところもあるんだ。
私は思わず小さく笑いそうになるのを抑えながら、改めて鏡の中の自分を一瞥する。
青を宿した金の瞳。
妖しく整った顔立ち。
高貴さと魔性が同居した、新しい姿。
そして視界の端には、まだ消えずに残るイベントライン解放の表示。
――うん。
これはもう、間違いなく大当たりだ。
たぶん地雷でもある。でも、こんなに美味しそうな地雷なら、踏み抜いた先まで見に行くしかないだろう。
そうして私は、バルタザールの後に続いて、宝物庫を後にした。




