第7話 宝物庫と進化
中へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。
ひんやりとして、静かで、長い時間が沈殿しているような空間。
部屋はかなり広かった。壁際には重厚な棚や台座が並び、その上には一つひとつ厳重なガラスケースに収められた品々が整然と飾られている。
剣。槍。盾。王冠。ティアラ。指輪。宝玉。首飾り。古びた書物のようなものまである。
どれもただ高価そうというだけではない。見た目の華美さ以上に、ひと目でただならぬものだとわかる圧があった。
これ絶対やばいやつがいっぱいある部屋じゃん。
ゲーム的に言えば激レア装備とかユニークアイテムとか、最悪国宝級のイベントアイテムとかが並んでる場所じゃないのこれ?
初心者プレイヤーが初日で立ち入っていい空間じゃないと思うんだけど。
「驚いておるな」
「ええ。正直に申し上げれば」
私は周囲を見渡しながら、素直に頷いた。
「想像していたよりも、ずっと……壮観です」
「そうじゃろう」
バルタザールは少しだけ胸を張るように顎を上げた。
「ヘル家が代々集め、守り、受け継いできたものどもじゃ。武具もあれば、装飾品もある。魔道具もあれば、儀式具もある。使い道が明確なものもあれば、もはや用途すら失われた古き遺物もある」
「なるほど。では、ここは単なる財宝の保管庫というより、家の歴史そのものというわけですね」
「……ふ、言うではないか。その通りじゃ」
やっぱりこの人、こういう言い回しが好きなんだな。
そのまま彼は迷いなく部屋の奥へと進んでいき、私もそれに続く。
やがて視界の先に、大きな箱――いや、箱というより長櫃に近いものが見えてきた。古びているのに異様な存在感を放つ箱だ。
バルタザールはその前で立ち止まると、膝を折り、迷いなく蓋を開いた。
中には布に包まれた小物や、細長いケース、封をされた筒状の容器などがいくつも収められている。彼はその中を慣れた手つきで探り、やがて一つの小瓶を取り出した。
それは掌に収まるほどの大きさの、細身のガラス瓶だった。
瓶の中には、青い半透明の液体が満ちている。
ただ青いだけではない。光の角度によって、深い群青にも、澄んだ蒼にも見える不思議な色だ。微かにとろみがあるらしく、バルタザールが手にした動きに合わせて、ゆっくりと瓶の内側を滑る。
「……これは?」
私が問うと、バルタザールは小瓶を目の高さに掲げるようにして、静かに告げた。
「青い血じゃ」
青い血。
いや、言葉だけなら知っている。現実でも高貴な血筋を指してそう表現することがあるし、創作でも貴族性とか神秘性の象徴として使われがちだ。
でも、目の前のこれは比喩じゃない。本当に青い液体が瓶の中に入っている。
「これを用いれば、高貴なる者となる」
バルタザールはゆっくりと続ける。
「すなわち、貴族となる。ヘル家の者として相応しき器を得るのじゃ」
その言葉に、私の頭の中でいくつもの単語が高速で弾けた。
高貴なる者。貴族となる。器を得る。
ほぼ反射的に、私はゲーム的な解釈へと辿り着いていた。
――種族進化アイテムだ。
たぶん間違いない。貴族、というのはこの世界の単なる爵位や身分の話じゃなくて、もっとシステム的な上位存在への変化を含んでいる。
だって器を得るなんて言い方、明らかにステータス変化とか種族変化が発生するやつでしょ。吸血鬼が真祖になるとか、鬼人が王族になるとか、魔族系統の上位派生とか、そういう類の。
いや待って、でも序盤で?本当に?そんなのアリ?
私は表情には出さないよう注意しながらも、内心ではかなりの勢いで動揺していた。
チュートリアル放棄して路地裏を歩いて、倒れてる領主を助けたら、屋敷に連れ込まれて、家督の話をされて、いま宝物庫で種族進化アイテム出されてる。
さすがに展開が跳びすぎていて、もはや隠しルートとかいうレベルじゃない。
これ、攻略情報が出回ってたら絶対掲示板が祭りになってるやつでは?
「……驚いておるようじゃな」
バルタザールがこちらを見る。
「はい」
私は素直に答えた。
「ええ、さすがに。ここまでのものをいきなり見せていただけるとは思っておりませんでしたから」
「当然じゃ。これを使うということは、おぬしが真にヘル家の者となるということでもある。見せるだけ見せて、やはりやめるという類の話ではない」
なるほど。これはかなり重要な選択だ。
単なるいいアイテムあげるよではない。ヘル家の養子となることの象徴であり、たぶんシステム的にも後戻りしにくい変化を伴うものだ。だからこそ宝物庫の奥に保管されていたし、正式に家へ迎える手順の一部になっている。
つまり、これを飲む=私はこのルートに本格的に乗る、ということ。
……いやでも、乗るよね?
ここまで来て乗らない選択ある?
だって普通に考えて、序盤で貴族化アイテムとか大当たりすぎるし、何よりロールプレイ的にも強すぎる。異国風王子様RPをしていたら本当に高貴な存在になれるかもしれないって、そんなのもう運命じゃん。
さっき自分で言った運命が急にブーメランみたいに刺さってきたんだけど。
私は小瓶を見つめたまま、ゆっくりと息を整える。
「……一つ、伺ってもよろしいでしょうか」
「なんじゃ」
「これを用いた場合、私は具体的にどのように変わるのですか?」
バルタザールは少しだけ考えるような間を置いてから答えた。
「変化は個体ごとに異なる。器に応じて、最も相応しき形に近づくからじゃ」
「……随分と曖昧ですね」
「曖昧ではあるが、偽りではない」
バルタザールは瓶の中の液体を眺めながら言う。
「じゃが、少なくとも格は上がる。存在としての位、血の質、魔力の巡り、肉体の器。そのどれもが、ただの者のままではおれなくなる」
「なるほど」
「そして、ヘル家の名を継ぐに足る者として、世界の側から認められる」
世界の側から。
その表現に、私は微かに眉を動かした。
ゲームシステムに認証される、みたいな意味にしか聞こえない。やっぱりただの演出じゃなく、がっつりシステム絡んでるなこれ。
「……危険は?」
「なくはない」
バルタザールはあっさりと言った。
「器が足りねば拒絶が起きることもある。耐えきれぬ者は壊れる」
さらっと怖いこと言ったなこの人?
「もっとも」
彼はそこで口元を少しだけ上げる。
「おぬしならば案ずる必要はないと、わしは見ておる」
「随分と買ってくださっているのですね」
「当然じゃ。でなければ、ここまで連れては来ぬ」
その断言には妙な説得力があった。
……いや、信用しきっていいわけじゃないんだけど。この人の見立てが正しい保証なんてどこにもないし、そもそもここまでの展開自体がうますぎて怖い。でも同時に、今この瞬間の私は、このルートの先にあるものを見てみたいと思っている。
ゲーム的な利益もある。
ロールプレイ的な旨味もある。
物語的にも、ここで進まないラウラはたぶん面白くない。
だったら答えは、もう決まっていた。
「……承知しました」
私はゆっくりと顔を上げ、バルタザールを真っ直ぐに見た。
「ヘル家の一員となる証として、それを受け取りましょう」
静かに、だがはっきりと告げる。
バルタザールは満足そうに頷くと、小瓶をこちらへ差し出した。
「よい」
その声には奇妙な期待と愉悦が混じっていた。
「ならば飲め。青き血をその身に取り込み、おぬしの器が何へと至るか――わしに見せてみよ」
ずいぶんと観客席が近いな。
内心でそんなことを思いつつ、私は差し出された小瓶を受け取る。
ひやりとしている。見た目通りガラスの表面は冷たいのに、内側の液体だけが微かに体温を持っているような、不思議な感触が指先越しに伝わった。
小瓶を持ち上げると、青い液体が揺れる。
近づけるとかすかに甘い香りがした。花のようでもあり、夜気のようでもあり、雨上がりの石畳みたいでもある。はっきりと何かに例えられない奇妙で上品な香りだ。
……なんか、思ったより飲み物っぽいな。
もっとこう、禍々しいとか、薬臭いとか、そういう方向を想像していたから少し意外だった。
「躊躇わぬのだな」
「ここまで来て迷うのは、あまり美しくありませんから」
私は小さく微笑む。
「それに――差し出された運命を、受け取ってみるのも悪くないでしょう?」
バルタザールが、くつくつと楽しげに笑った。
「本当に面白い男よ、おぬしは」
その言葉を最後に、私は瓶の封を切った。
微かな音。
ふわりと立ち上る甘い香り。
中身をそっと傾けると、青い液体は驚くほど滑らかに喉へ落ちていった。
「――っ」
冷たい、と思ったのは最初だけだった。
口に含んだ瞬間は確かに涼やかな感触だったのに、喉を通った瞬間、それは一気に熱へと変わる。
熱いというより、強い。液体そのものが燃えているわけではないのに、身体の奥へ入り込んだ途端、一本の線となって胸へ落ち、そのまま心臓を中心に弾けるように広がった。
「……っ、ぅ……!」
息が詰まり、心臓が大きく脈打った。
どくん、と一度。次いで、どくどく、と異様な速さで。
全身の血が一斉に巡り始めたような感覚があった。腕の先、指先、脚、爪の先、髪の一本一本にまで、熱を帯びた何かが駆け抜けていく。
視界が揺れる。
私は咄嗟に踏みとどまろうとしたが、膝がかすかに折れた。
「ラウラ」
すぐ近くで、バルタザールの声が聞こえる。
落ち着いた声だった。焦りはない。つまりこれは想定内。
「力を抜くでない。意識を保て。己が何者であるかを手放すな」
簡単に言ってくれる。
いや、でも――これは、ちょっと……!
熱が渦を巻く。
身体の内側が作り替えられていくような、奇妙な圧迫感。痛みがないわけじゃない。けれど耐えられないほどではなくて、その代わり、逃げ場のない違和感が延々と全身を満たしていく。
耳鳴りがした。
視界の端に、淡い光の粒がちらつく。
指先が痺れる。
背筋に冷たいものが走る。
なのに心臓の周りだけがひどく熱い。
わけのわからない確信があった。
身体の深いところで、何かの条件が書き換わっていく感じ。システムメッセージが見えているわけでもないのに、明らかに自分が別の段階へ移ろうとしているのがわかる。
「……ぅ、く……」
呼吸が乱れる。
目の前の空気が、ゆらりと歪んだ。
するとその瞬間、視界の中央に淡い光のウィンドウが弾けるように現れた。




