第54話 妖精王の余韻
夢見る茨の庭の茨がくすくすと笑うように揺れている。
妖精王が消えたあとも、庭全体には妙な余韻が残っていた。
先ほどまで寝ぼけていた道は静まり、半透明の花たちも目を閉じるように花弁を伏せ、白と薄紫の茨は私たちを見送るようにゆっくりと道を開いている。
「正式な招待は、まだ、か」
カイがぽつりと言った。
いつもの勢い任せの声ではなく、少しだけ落ち着いた声だった。
妖精王に会った衝撃は、さすがのカイにも効いているらしい。
「ええ。顔見せ、あるいは事前接触ですね」
「事前接触って言うと急に仕事っぽいな」
「実際、かなり重要な接触だったと思いますよ。正式ではないとはいえ、妖精王がこちらを認識した。しかも、こちらの所持品や行動履歴、ひみつの扱いまで把握している。つまり、今後の妖精の国での行動は、王側の評価対象になっている可能性が高い」
「うわ、急に緊張してきた」
「今更ですか」
「いや、王様が子供みたいな顔してたからさ。なんか一瞬、警戒が緩んだ」
「それが一番危ないですね」
ルーザが静かに言った。
その声には、いつも以上に鋭さがあった。
妖精王の言葉の成果、表情は普段通りでも内側には少し波が立っているように見える。もちろん、そこを突くつもりはない。
「妖精王は、子供のように振る舞っていましたが、この国の中心に近い存在であることは間違いありません。無邪気に見えるからといって、無害とは限りません」
「だよなぁ」
カイは頷いたあと、少しだけ口元を歪めた。
「でも、面白かったな」
「はい」
「……面白かったんだよなぁ」
「そこは否定しません」
私はそう返しながら、妖精王が消えた犬小屋のような扉をもう一度見た。
そこにはもう何もない。ただ、夢の道が静かに眠っているだけだ。けれど、月読のレンズで見た《正式な招待は、まだ》という文字は、頭の中にしっかり残っている。
正式な招待。
それが次の目的になる。
妖精王に見つかり、正式にはまだだと言われた以上、こちらとしては正式に招かれるところまで行きたい。
ただし、焦るのは危険だ。妖精の国は急げば急ぐほど変なところへ足を取られる。これまでの経験で嫌というほどわかった。
「まずは戻りましょう」
私はそう言った。
「夢見る茨の庭は、正式攻略前に一度情報を整理した方がいいです。五つの道も気になりますが、今の状態で続けると判断が雑になります」
「ラウラが自分から撤退を言うとは」
「私だって撤退判断くらいします」
「いや、できるのは知ってるけど、妖精王に会った直後だぞ? テンションで突っ込むかと」
「突っ込みたい気持ちはあります」
「あるのかよ」
「あります。ですが、突っ込むとたぶんルーザに止められます」
「止めます」
ルーザが即答した。
その即答ぶりに、カイが少し笑った。
「ルーザさん、今日ずっと大変だな」
「今日だけではありません」
「ごめん」
「謝罪は受け取りますが、明日以降の改善を望みます」
「努力します」
「その返答は信用できません」
「俺もそう思う」
「自覚があるなら改善してください」
夢見る茨の庭の帰り道は、不思議なほど素直だった。
行きは道が寝ぼけたり、茨が揺れたり、夢の気配が足元にまとわりついたりしていたが、帰りはまるで「今日はもうおしまい」とでも言うように、一本道になっている。
門番羊のところまで戻ると、羊は完全に寝ていた。
首から下げた門番札には、いつの間にか《勤務中》の文字の下に小さく《夢の中で対応中》と追加されている。
寝ながら仕事をしているらしい。妖精の国における労働倫理、だいぶ自由だ。
「戻りました」
私が声をかけると、羊は目を閉じたまま「おかえりなさいませぇ……」と返した。
「王さまに会えましたかぁ……?」
「会いました」
「早かったですねぇ……」
「あなたが言ったのでは?」
「言いましたっけぇ……?」
「言いました」
「夢かもぉ……」
「職務発言を夢扱いしないでください」
ルーザが静かに指摘する。羊は「むにゃ」と鳴いた。
「でもぉ……王さまが先に顔を出したならぁ……正式な招待状が必要ですねぇ……」
「正式な招待状」
「はいぃ……招待状がないとぉ……お茶席には入れませんぅ……」
「入るにはどうすれば?」
「欠片を集めますぅ……」
「欠片」
私は少しだけ身を乗り出した。
羊は寝たまま、前足で空中に三つの丸を描いた。丸は夢色の光になってふわふわ浮かぶ。
「夢の庭にはぁ……招待状の欠片が三つありますぅ……見る夢、演じる夢、守る夢ぅ……」
「三つ」
「はいぃ……見る夢は書庫の道ぃ……演じる夢は劇場の道ぃ……守る夢は騎士剣の道ぃ……」
私は思わずカイを見た。
「犬小屋の道は?」
「待つ夢ですぅ……王さまが寝ぼけてたから開いただけですぅ……正式な欠片とは違いますぅ……」
「つまり、今日は例外接触だったわけですね」
「そうですぅ……水色の待つ夢が面白かったからぁ……王さまが覗いたんですぅ……」
「俺のせい!?」
ぽん。
《びっくりコインを獲得しました》
「便利ですねぇ……」
「また!」
カイが頭を抱える。門番羊は寝たままにこにこしていた。目を閉じたままにこにこできる羊、地味に怖い。
「では、正式な招待状を得るには、書庫、劇場、騎士剣の三つの道を攻略する必要があると」
「たぶんですぅ……」
「たぶん?」
「夢なのでぇ……順番や形は変わりますぅ……でもぉ……今のところは三つですぅ……」
「今のところ、というのが妖精らしいですね」
私は頭の中で整理した。
正式招待状の欠片は三つ。見る夢、演じる夢、守る夢。書庫の道、劇場の道、騎士剣の道。
「今日は戻りますが、次は書庫の道から行きましょう」
私がそう言うと、カイが「やっぱり」と頷いた。
「ラウラ向きだもんな」
「はい。見る夢、と言われると私が最初に行くべきでしょう」
「本とかいっぱいありそうだしな」
「本が喋る可能性が高いですが」
「むしろ喋らない本の方が少なそう」
「同感です」
ルーザも頷いた。
「書庫であれば、情報収集にも適しています。正式招待状の条件だけでなく、妖精王に関する情報も得られる可能性があります」
「ただし、夢の書庫ですから、読まれたくない夢や読むべきでない夢もありそうですね」
「はい。無差別に本を開くのは避けるべきです」
「本が勝手に開いてくる場合は?」
「閉じてください」
「閉じられるでしょうか」
「閉じます」
ルーザの声に力があった。本を物理的に閉じる気だ。頼もしい。
門番羊は満足そうに前足を動かした。
「ではぁ……また夢を持ってきてくださいぃ……重すぎずぅ……軽すぎずぅ……ちょうどよくぅ……」
「わかりました」
「あとぉ……水色の人はぁ……びっくりしすぎると夢が起きますぅ……」
「俺にだけ注意事項多くない?」
「便利だからですぅ……」
「便利じゃない!」
ぽん。
「ほらぁ……」
「ほらじゃない!」
門番羊に見送られ、私たちは夢見る茨の庭を出た。
木の実の扉をくぐると、笑う木の市場のざわめきが戻ってくる。先ほどまでの眠った庭とはまるで別世界だ。
笑う木は、当然のように待っていた。
「見つかったねぇ」
「見ていたのですか」
「木だからねぇ」
「木であることと見ていることに関係がありますか?」
「根が広い」
「便利ですね」
「便利さ」
笑う木は得意げに枝を揺らした。
「正式な招待状を集めるんだろう?」
「はい。欠片が三つあると聞きました」
「見る夢、演じる夢、守る夢。いいねぇ。君たちにはよく似合う」
「犬小屋の道は?」
「待つ夢だねぇ。あれは王さまが寝ぼけて扉を開けた。珍しいことだよ」
「つまり、カイのおかげですか?」
「水色の待つ夢は、よく響いたからねぇ」
カイが少しだけ照れたように視線を逸らした。犬扱いではなく「待つ夢」と言われると、どう反応していいかわからないらしい。
「俺、何か待ってたのかな」
「さあ」
私はあえて軽く返した。
「それはカイの夢ですから、私が勝手に決めるものではありません」
「……だな」
「ただ、犬小屋ではなかったですね」
「それは言うなよ!」
ぽん。
「言うから出るんですよ」
「ラウラが言ったんだろ!」
笑う木が大きく笑った。市場の妖精たちもつられて笑う。
びっくりコインがまた一枚出た。もうどこから出ているのかよくわからない。
その後、私たちは笑う木の根元にある少し広めの席を借りて、今日の情報を整理することにした。
妖精の市場に作戦会議席があるのも不思議だが、最近ではもう「必要ならあるだろう」と思えるようになってきた。
実際、笑う木が枝を少し下げると、根元に小さな丸テーブルと椅子が生えた。椅子が生える。妖精の国では家具も生える。
「椅子が生えましたね」
「座り心地は良さそうだぞ」
「いきなり座らないでください」
ルーザがまず椅子を確認した。
魔力、状態、座った時に尻尾が生えないかなど。
最後の確認は私が勝手に想像しただけだが、妖精の国ならあり得る。カイが座った瞬間に犬尻尾が生えたら、本人の尊厳が大変なことになる。
いや、ちょっと見たい。見たいが言わない。私にも理性はある。
安全確認の後、私たちは席に着いた。
「整理しましょう」
私は指を一本立てる。
「第一に、妖精王とは正式ではない形で接触しました。会うのと招かれるのは違う。これは重要です」
「正式招待状が必要」
カイが続ける。
「第二に、正式招待状の欠片は三つ。見る夢、演じる夢、守る夢。対応する道は書庫、劇場、騎士剣」
ルーザが頷く。
「第三に、犬小屋……待つ夢の道は例外的な接触であり、正式招待状の欠片とは関係しない。ただし、妖精王の興味を引く要素になった可能性が高い」
「第四に、幸運の星はまだ使用しない。妖精王の言葉では、運を欲しい時ではなく、運に選ばれたい時に食べる」
私はそう言って、少しだけ黙った。
運に選ばれたい時。
やはり意味がわからない。だが、妖精王がわざわざ言った以上、かなり重要なヒントだろう。今は保留。使わない。食べない。カイにも食べさせない。
「第五に」
ルーザが続ける。
「今後、妖精王に正式に招かれるまでの行動は、王側に見られている可能性が高いです。軽率な行動は控えるべきです」
「ルーザさん、それ絶対俺向けに言っただろ」
「カイさんにも言いました」
「にも?」
「ラウラリア様にもです」
「ですよねー」
軽率という意味では、私も十分危険だ。
カイが頬杖をつきながら言った。
「次は書庫なんだよな?」
「はい」
「喋る本がいっぱいありそうだな」
「かなりの確率でいますね」
「本に怒られるかな」
「カイさんが不用意に本を開けば、怒られる可能性はあります」
「本にも怒られるのか、俺」
「落ち着きにも拒否されましたし、看板にも犬扱いされましたし、川にも喜ばれましたし、星にも影響しましたから、本くらいは想定内では?」
「俺の妖精の国での扱い、だいぶひどくない?」
ぽん。
《びっくりコインを獲得しました》
「ほら」
「何がほら?」
私は笑いを堪えながら、星明かりの羅針盤を取り出した。
中央の星はくるくる回り、最初はカイを指した。安定のカイである。次に私の手元を指し、そして、笑う木の奥にある木の実の扉へ向いた。
「羅針盤も、次は夢の庭を示していますね」
「でも最初に俺指したよな」
「面白い方角としては常にカイが候補なのでしょう」
「候補に入れないでほしい」
「諦めてください」
ルーザが淡々と言った。
カイはしょんぼりしたが、すぐに復活した。
「じゃあ次回は書庫だな。見る夢。ラウラか」
「そうですね。おそらく私の夢や目的に触れることになるでしょう」
「魔王とか?」
カイが軽く言った。
その言葉に、私は一瞬だけ目を伏せた。
魔王になる。
このゲームの、魔族側プレイヤーの大目的。支配、征服、頂点へ至ること。
最初はイベント目標のように捉えていた。
けれど領主家に入り、赤の塔を管理し、父上に教育され、レアやルーザと関わり、カイと一緒にダンジョンや妖精の国を見て回る中で、その言葉の重さは少しずつ変わってきている。
ただ強くなって魔王になるのではない。
この世界の仕組みを知り、制度を掴み、人を動かし、資源を扱い、物語そのものの中枢へ入っていく。
その先に魔王という到達点があるのなら、私が目指すべき魔王は、たぶん単なるラスボスではない。
「魔王も、関係するでしょうね」
私は静かに答えた。
「でも、今の私が見せた夢は『この世界の仕組みをもっと見たい』です。書庫の道で問われるのは、たぶんそこだと思います」
「見た後、どうするか、とか?」
カイが言う。
私は少し笑った。
「そこまで問われたら、少し困りますね」
「困るんだ」
「ええ。見るだけで終われる性格ではないので」
「知ってた」
カイがにやっと笑う。
ルーザも、ほんの少しだけ目を細めた。
「ラウラリア様は、見たものを動かそうとされる方です」
「そう見えますか?」
「はい。知識を集めるだけではなく、制度や人の動きに接続しようとされます。赤の塔の件でもそうでした」
「なるほど」
そう言われると、自分でも納得してしまう。
情報は好きだ。仕組みを見るのも好きだ。
けれど、私は見て満足するタイプではない。
面白そうな仕組みがあれば触りたいし、動かしたいし、できれば有利に使いたい。とても行儀が悪い。ラウラリア・ラ・ヘルとしては、きっとそれくらいでちょうどいいのだろう。
「書庫の道、かなり楽しみですね」
「その顔です」
「はい?」
「妖精王に見つかった時と同じ顔です」
「そんなに?」
「そんなにです」
カイも頷いた。
「うん。だいぶ悪い顔してる」
「失礼ですね」
「褒めてる」
「最近それで何でも通そうとしていませんか?」
「通るかなって」
「通しません」
ぽん。
「今の何に驚いたんですか」
「通らなかったことに」
「驚くことではありませんよ」
市場の妖精たちがまた笑った。
カイはびっくりコインを拾いながら「俺の尊厳、今日も順調に削れてるな」と呟いた。削れているが、収入にはなっている。
その後、私たちは一度妖精の宿へ戻ることにした。夢見る茨の庭の正式攻略は次回。イベント期間はまだあるし、急ぐ必要はない。何より、妖精王に会った余韻をきちんと消化しておきたかった。
宿へ戻る途中、笑う木が背後から声をかけてきた。
「見る子」
「はい」
「書庫の夢は、読むだけじゃないよ」
「でしょうね」
「読まれることもある」
私は足を止めた。
「私たちが、本に読まれるのですか?」
「夢の書庫だからねぇ」
「……なるほど」
カイが嫌そうな顔をした。
「俺、本に読まれるの嫌なんだけど」
「本側もカイを読むとびっくりするかもしれませんね」
「本がびっくりしたらコイン出るかな?」
「出たらすごいですね」
「試す価値ある?」
「ありません」
ルーザが即答した。
私は笑いながらも、笑う木の言葉を心に留めた。
読むだけではない。読まれることもある。
ならば、書庫の道では、私の夢や目的だけでなく、私そのものが本に見られる可能性がある。ラウラリアとしての私と、麗としての私。その二重性まで覗かれるのかもしれない。
少し怖い。
だが、やはりそれ以上に面白い。
私は自分の口元が少しだけ緩むのを感じた。ルーザが隣からこちらを見たので、私は咳払いして表情を整える。
「何でもありません」
「何でもある顔でした」
「明日のことを考えていただけです」
「それを何でもあると言います」
「はい」
否定できなかった。
花の宿に着くと、宿帳が眠そうにページをめくった。
《おかえり》
《夢くさい》
《王さまくさい》
「王さまくさいとは」
《会ったでしょ》
「会いました」
《いいな~》
「宿帳も会いたいんですか?」
《宿帳は動けない》
「そうですよね」
《たまに家出するけど》
「しないでください」
宿帳は《たぶん》と表示した。
やめてほしい。宿帳が家出したら、宿泊管理が終わる。妖精の宿だからどうにかなるのかもしれないが、どうにかなる過程が絶対に面倒だ。
部屋へ戻る前に、ルーザが改めて言った。
「今日は、これ以上新しいものを試さないでください」
「はい」
「月読のレンズも短時間だけにしてください」
「はい」
「幸運の星は食べないでください」
「もちろんです」
「カイさんにも渡さないでください」
「はい」
「俺、信用ないな」
「ありません」
「即答!」
ぽん。
「はい、今日の締めコインですね」
「締めにするな!」
そんなやり取りをして、それぞれの部屋へ戻った。
私は花のベッドに腰掛け、今日の出来事を一つずつ思い返す。
「明日は書庫、ですね」
枕が「ら?」と小さく鳴いた。
「ええ。書庫です。たぶん、本に読まれます」
「らぁ……」
「不安そうですね」
「ら」
「大丈夫ですよ。たぶん」
自分で言っておいて、たぶんという言葉があまり信用できなかった。
明日は夢の書庫。
そしてきっと、私はそこで、自分が何を見たいのか、見たあとに何をしたいのかを問われるのだろう。




