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第53話 待っていた夢の道


 近づくと、小さく見えていた犬小屋は少しずつ形を変えた。

 屋根はそのままだが、奥へ続く道が広がり、犬小屋というより小さな家の入口のようになっていく。扉には丸い札があり、そこにはこう書かれていた。


《ここは、待っていた夢の道》

「待っていた夢」


 カイの声が少しだけ落ち着いた。


 さっきまで犬小屋扱いに文句を言っていたのに、今は不思議と真面目な顔をしている。水色の瞳が、夢の道の奥を見ていた。


「カイ?」

「いや」


 彼は少しだけ肩をすくめた。


「なんか、変な感じがする」

「怖い?」

「怖くはない。けど、面白いだけでもない」

「なら、慎重に行きましょう」

「おう」


 その時、道の奥から、鈴の音がした。


 ちりん、と一つ。

 すると、犬小屋の扉が勝手に開いた。


 中から出てきたのは、犬ではなかった。


 小さなティーカップを持った、金色の髪の子供だった。

 性別はよくわからない。少年にも少女にも見える。白い服を着て、裸足で、頭には小さな王冠のような花冠が乗っている。

 瞳は緑とも金ともつかない色で、見ていると少しだけ焦点が合わなくなる。


 その子供は、私たちを見て、にっこり笑った。


「やっと来た」

 私は息を止めた。


 カイも黙った。

 ルーザが即座に警戒姿勢を取る。


「まだ呼んでないのに」

 子供はそう続けた。


 声は幼い。けれど、その声がした瞬間、周囲の茨が一斉に頭を垂れた。

 寝ぼけていた道が静まり、花たちが目を閉じる。門番の羊の寝息すら遠くなる。


 私は理解した。

 これは、ただの妖精ではない。


「……妖精王、ですか?」

 私が尋ねると、子供は嬉しそうに笑った。


「会うのは早いね」

「こちらとしても、予定より早いです」

「予定通りに来る客はつまらないよ」

「それは、褒め言葉として受け取っておきます」

「そうするといい」


 妖精王はティーカップを持ったまま、犬小屋のような入口に腰掛けた。


「君、ひみつを持ってるね」

「何のことでしょう」

「いい顔」


 妖精王は笑った。


「見つけたのに、言わなかった。欲しいのに、追わなかった。食べられるのに、食べなかった。使えるのに、使わなかった。妖精はね、我慢できる欲張りさんが好きなんだ」

「それはまた、難しい評価ですね」

「君は欲張りさんだよ」

「否定はしません」

「でも、全部を今ほしがらない。だから面白い」


 私は何も言えなかった。


 妖精王は私を見ている。いや、私だけではない。カイを、ルーザを、私たちの持っている夢やひみつや星や買い物まで見ている。そんな感覚があった。


 カイが小さく息を吸う。


「えっと、王様?」

「なぁに、水色の待つ夢」

「その呼び方は犬よりましか?」

「犬も好きだよ」

「そういう問題じゃない!」


 ぽん。

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 妖精王は目を輝かせた。


「わぁ。便利だね」

「王様にまで便利って言われた!」

「だって便利だもの」

「否定できないのが悔しい!」


 妖精王がころころ笑う。

 王というより、子供のようだ。だが、その笑いに合わせて庭全体が小さく揺れたので、やはりただの子供ではない。むしろこの無邪気さが一番怖い。


 ルーザが一歩前へ出た。


「妖精王。ラウラリア様に何をお求めですか」

「守る夢の人だ」


 妖精王はルーザを見た。


「君は守りたいんだね。でも、守られたい夢も少し持ってる」


 ルーザの表情が固まった。

 私は思わず妖精王を見た。妖精王はそれ以上は言わなかった。ただにこりと笑う。


「言わないよ。まだ夢だから」

 ルーザは少しだけ目を伏せた。


「……ご配慮、感謝いたします」

「配慮じゃないよ。まだ言ったらつまらないだけ」

「妖精らしいですね」

「王だからね」


 妖精王はそう言って、ティーカップの中を覗いた。


「今日は、正式なお茶会じゃない。君たちはまだ庭を抜けていない。だから、これはたまたま。夢の道の角で王さまが寝ぼけて顔を出しただけ。面白そうな夢に来てみただけ」

「つまり、正式な謁見ではない」

「そう。会うのと、招かれるのは違うよ」


 私はゆっくり頷いた。


 これなら納得できる。妖精王には会った。けど、攻略完了ではない。

 正式に招かれるには、夢見る茨の庭を抜ける必要がある。


「では、私たちは改めて庭を進めばいいのですね」

「うん。でも、今日はここまで」

「ここまで?」

「夢はね、初めて会った日に長く話すと、朝になっちゃう」

「朝になると?」

「夢が逃げる」

「なるほど」


 妖精王はティーカップをこちらへ傾けた。中にはお茶ではなく、星のような光が一滴だけ入っていた。


「またおいで、見る子。水色の待つ夢と、守る夢の人も一緒に」

「その呼び方、固定ですか?」

「気に入った」

「そうですか……」


 カイが微妙な顔をしている。

 犬よりはましだと思っているのか、待つ夢という呼び方が少し照れくさいのか、判断しにくい。

 ルーザは静かに受け止めていたが、守る夢の人という言葉は少し深く刺さったようだった。


 妖精王は最後に、私の方へ身を乗り出した。


「星は、まだ食べちゃだめだよ」

 私は一瞬、息を止めた。


「やはり、ご存じなのですね」

「妖精の大切なおまけだもの。王さまは知ってる」

「いつ使うべきかも?」

「知ってるけど、言わない」

「でしょうね」

「でも、ヒント。君が運を欲しい時じゃなくて、運に選ばれたい時に食べるといい」


 意味深な言葉だった。

 運を欲しい時ではなく、運に選ばれたい時。

 今はまだわからない。だが、いつかこの言葉の意味がわかる場面が来るのだろう。そういう確信だけがあった。


 妖精王は満足そうに笑い、ティーカップを軽く鳴らした。


 ちりん。


 その音が響いた瞬間、犬小屋の入口が閉じ、周囲の茨がふわりと揺れた。妖精王の姿は消えていた。まるで最初からそこにいなかったように。


 だが、夢見る茨の庭の空気は変わっていた。

 私たちは、確かに妖精王に会った。


 正式ではない。招かれてもいない。けれど、見つかった。


「……ラウラ」

 カイが小さく言った。


「会ったな」

「会いましたね」


「早くない?」

「早いですね」


「でも、攻略完了じゃないんだよな」

「ええ。会うのと、招かれるのは違うそうですから」

「面倒だよな」

「妖精の国なので」


 私は月読のレンズをそっと取り出し、妖精王が消えた場所を覗いた。

 そこには、細い金色の文字が一つだけ残っていた。


《正式な招待は、まだ》


 私はレンズを外し、小さく息を吐いた。


「では、次は正式に招かれに行きましょうか」

「行く気満々だな」

「もちろん」

「ラウラリア様」


 ルーザが呼ぶ。


「はい」

「今日は、ここで一度戻りましょう。情報量が多すぎます」

「……そうですね」


 さすがに私も頷いた。


 夢見る茨の庭に入り、条件を満たし、妖精王に見つかった。これ以上進めるのは危険だ。何より、今の出来事は整理が必要だった。


 カイも珍しく反対しなかった。


「まあ、今のはちょっとすごかったしな」

「カイが止まるなら相当ですね」

「俺でもわかるわ」

「偉いです」

「褒め方が子供扱い!」


 ぽん。

《びっくりコインを獲得しました》


 夢見る茨の庭の茨が、くすくす笑うように揺れた。

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