第51話 幸運の金平糖
笑う木は、当然のように待っていた。
巨大な幹の顔がにんまりと笑い、枝に吊るされた店や看板がからからと揺れる。
夜の湖へ行く前より、市場の明かりは少し落ち着いていて、枝の間に吊られたランタンが星のように瞬いていた。
ここは市場でありながら、いつの間にか夜の森の一部でもあるように見える。
「星を採ったねぇ」
「採りました」
「余計なのも入れたねぇ」
「何のことでしょう」
「いいねぇ」
笑う木は満足そうに笑った。
「ひみつを持つ客は、少しだけ奥へ進める。嘘を見破る客は、少しだけ奥を覗ける。花を喜ばせる客は、少しだけ歓迎される。川に迷える客は、少しだけ道を曲げられる。星を採れる客は、少しだけ夜に好かれる」
「少しだけが多いですね」
「妖精の国で大きく進みたがる客は、大きく転ぶからねぇ」
「なるほど。耳が痛いです」
「自覚はあるんだねぇ」
「あります」
私は正直に頷いた。
笑う木はまた枝を揺らした。すると、枝の高いところから小さな木の実が一つ落ちてきた。
木の実は地面に落ちる直前で止まり、くるりと回って、薄い扉の形になった。扉といっても、実体があるわけではない。木の葉と光と夜を重ねたような、曖昧な門だ。
「次へ行くなら、夢見る茨の庭へ行ける」
「夢見る茨の庭」
私はその名を繰り返した。
名前からして、かなり妖精らしい。そしてかなり面倒そうだ。
「そこはどのような場所ですか?」
「夢を見る庭さ」
「それは名前でわかります」
「茨が夢を見る。花が眠る。道が寝ぼける。客は、自分の夢を少し持っていないと入れない」
「夢を少し」
「夢を持ちすぎると絡まる。夢がないと通れない。ちょうどいい夢がいい」
「また難しいことを」
ルーザが小さく呟いた。
カイは腕を組んで考え込んでいる。
「夢って、目標とか願いみたいな意味か?」
「たぶん。寝る時に見る夢でもあるし、叶えたい夢でもあるし、見たくない夢でもある」
笑う木が言う。
「妖精の国では、同じ言葉にいくつも意味が乗る。重くなると沈む。軽すぎると飛んでいく。だから、ちょうどよく持つんだよ」
「ちょうどよくが一番難しいですね」
「だから遊びになる」
私は扉を見た。
夢見る茨の庭。妖精王へ近づくための次の場所なのだろう。嘘、花、川、星。ここまでの遊びを経て、次は夢。少しずつ、妖精の国の奥へ入っている感覚がある。
ただし、今すぐ行くべきかは別問題だ。
「今日はここまでにした方が良さそうですね」
私がそう言うと、カイが少しだけ意外そうな顔をした。
「行かないのか?」
「行きたいです」
「だよな」
「ですが、今行くと情報を処理しきれません。夢が条件なら、疲れた状態で入るのは危険でしょう」
「確かに」
ルーザが深く頷いた。
「賢明です。今日得たものを整理し、黒い包みの条件も確認してから進むべきです」
「黒い包み!」
カイが思い出したように言う。
「もっと夜になったら開けるんだよな?」
「はい」
「宿で?」
「たぶん」
「食べ物だったら?」
「食べません」
「即答」
「妖精の国で得た正体不明のものを即座に食べるほど、私は無謀ではありません」
「でもちょっと気になるだろ」
「とても気になります」
「正直」
「正直さは大事です」
笑う木がけらけらと笑った。
「なら、宿へ戻るといい。もっと夜は、宿の窓辺に来る。星が黙って、枕が寝たふりをする頃さ」
「枕が寝たふり」
「歌うからねぇ」
「うちの枕、歌いますね」
「歌いたがりの枕は、夜が深くなると寝たふりをする。そこで開ければいい」
「わかるような、わからないような」
「妖精だからねぇ」
もう何度目かわからない便利な言葉である。
私たちは笑う木に礼を言い、妖精の宿へ戻ることにした。
市場を離れる途中、月読のレンズを一瞬だけ覗いてみると、夢見る茨の庭へ続く扉の周囲に、細い金色と薄紫の線が絡まっているのが見えた。
その線は、私たち三人の方へ少しだけ伸びている。まだ繋がってはいないけれど、待っている。
次はそこだ。
そう思った瞬間、胸が少しだけ高鳴った。
宿へ戻ると、花の宿は昨日よりも静かだった。
白い花弁の壁は夜色を少し含み、天井の光る種も控えめに瞬いている。受付の宿帳は眠そうに羽ペンを抱え、私たちが近づくと片目を開けるようにページをめくった。
《おかえり》
「ただいま戻りました」
《星くさい》
「星くさい?」
《夜に行ったね》
「行きました」
《いいな~》
宿帳に羨ましがられるとは思わなかった。
妖精の国では帳簿も出不精なのだろうか。宿帳が外出したらそれはそれで困る。宿泊客の名前を持ったままどこかへ行かれたら大惨事である。
部屋へ戻る前に、ルーザは今日の取得物を改めて確認した。
「月読のレンズ、星明かりの羅針盤、夜空の小瓶、逆流川の水滴、昼寝妖精の羽、嘘つき看板の欠片、歌う花びら、幸い未開封の黒い包み。これだけでもかなり多いです」
「買いましたねぇ」
「買いすぎでは?」
「必要経費です」
「その言葉で押し切れる範囲を少し超えている気がします」
カイが横で笑った。
その後、それぞれの部屋に分かれた。
私は花のベッドに腰掛け、インベントリから黒い包みを取り出した。
まだ開けない。もっと夜を待つ。
部屋の中は静かだった。枕は歌いたそうに震えていたが、私が軽く視線を向けると、大人しくなった。
昨日より聞き分けが良い。いや、もしかすると本当に「もっと夜」が近づいていて、枕が寝たふりを始めているのかもしれない。
しばらく待つ。
妖精の国の夜は、現実の夜とは違う。
暗くなるのではなく、音が少しずつ遠くなる。光が消えるのではなく、光が自分の内側へ戻っていく。
花弁の壁に浮かんでいた淡い模様が静まり、天井の光る種も瞬きをやめた。外から聞こえていた妖精たちの笑い声も、いつの間にか薄れている。
そして、ふっと、空気が変わった。
星が黙った。
なぜそうわかったのかはわからない。だが、わかった。
私は黒い包みを見下ろす。
「……今ですね」
隣室から小さなノックがあった。
ルーザだった。さらに少し遅れて、カイも来た。どうやら二人とも、同じ変化を感じたらしい。
カイは眠そうではなく、むしろ目が輝いていた。こういう時だけ本当に元気だ。
「開ける?」
「開けます」
「食べ物だったら?」
「食べません」
「確認早い」
ルーザが私の横に立ち、黒い包みをじっと見ている。警戒はしているが、さすがに興味もあるらしい。表情はいつも通りだが、視線が少しだけ鋭い。
私は包みを解いた。
中から出てきたのは、小さな小瓶だった。
透明な硝子の中に、大粒の金平糖が二粒入っている。
金色と、薄青。
それぞれが小さな星のように角を持ち、瓶の中で微かに光っていた。
見た目は完全に綺麗なお菓子だ。けれど、ただの菓子ではないことはすぐにわかった。瓶を傾けると、金平糖同士が触れて、ころん、と澄んだ音を立てる。その音が、妙に幸せそうなのだ。
視界に説明が浮かぶ。
《【幸運の星】
夜空から零れた小さな幸運》
食べると一定時間、運が少し良くなる
どのような幸運になるかは、食べた者の気質次第
幸運は、いつも欲しい形で来るとは限らない 》
沈黙。
カイが最初に口を開いた。
「……食う?」
「駄目です」
ルーザが即答した。
「私も同意見です」
「でも運が良くなるんだぞ?」
「だから今使うべきではありません」
「確かに」
カイは意外とすぐ納得した。そこは偉い。というか、効果が強すぎることを理解したのだろう。
運が良くなる。
シンプルだが、とんでもなく強い。
しかも、気質次第で幸運の出方が変わる。
私なら情報や隠し要素、交渉や発見へ寄るかもしれない。カイなら面白い事件やレア遭遇へ寄るだろう。ルーザなら危険回避や救助、安定した成功へ寄る気がする。
今、妖精の国で使えば、たぶん何かが起きる。
だが、それは今でなくていい。
むしろ今使うには早い。妖精の国の中で使うより、もっと切羽詰まった場面、どうしても欲しい結果がある時、あるいは予想外の突破口が必要な時に使うべきだ。
私は瓶をそっと握った。
「保管します」
「だな」
「賛成です」
ルーザが頷く。
私は念のため、月読のレンズを取り出して《幸運の星》を見た。
レンズ越しに見ると、瓶の中の二粒の金平糖は、それぞれ違う光をまとっていた。金色は道を照らすように、薄青は偶然を呼ぶように光っている。
そういう気配があった。
そして瓶の底に、細い文字が浮かんでいた。
《これは、まだ使う時ではない》
私はゆっくり息を吐いた。
「……やはり保管ですね」
「何か見えたのか?」
「まだ使う時ではない、と」
「それ、めちゃくちゃ重要なやつじゃん」
「はい」
私は《幸運の星》をインベントリの中でも分かりやすい位置にしまった。
カイは瓶がしまわれたのを見届けると、少しだけ名残惜しそうに言った。
「金平糖、うまそうだったな」
「食べ物として見るのはやめてください」
「でも金平糖だぞ」
「幸運です」
「幸運味の金平糖……」
「カイさん」
「はい」
ルーザの声に、カイはすぐ黙った。
私は思わず笑った。
その後、カイは自分の部屋へ戻り、ルーザも隣室へ戻った。私は一人になった部屋で、花のベッドへ腰掛ける。
私は花のベッドに横たわり、天井の光る種を見上げた。
枕が寝たふりをしている。
「……明日は、夢ですか」
夢を見る庭。
夢を持ちすぎると絡まり、夢がないと通れず、ちょうどいい夢が必要な場所。
ラウラリア・ラ・ヘルとしての夢と、麗としての夢。
ゲームの中で魔王を目指すという変な大目的と、現実の私がただ面白いものを見たいという欲望。
どちらが夢で、どちらが遊びなのか、少しわからなくなってきている。
でも、それでいいのかもしれない。
妖精の国では、言葉はいつも一つの意味だけではないのだから。
そう思いながら、私はゆっくりと眠りへ落ちていった。




