第49話 星採りの条件
それは落ちたというより、空から水面へ糸を引くように降りてきた。
流星の尾は淡い金色で、湖に触れる直前、ぽちゃんという音はしなかった。代わりに、鈴を小さく割ったような、澄んだ音が響いた。
水面に、小さな星が浮かぶ。
《星採りを開始します》
《星には条件があります》
《条件を満たした星のみ、掬うことができます》
ウィンドウが出た。
やはり条件制なんだ。
私は小さく息を吐き、星へ近づく。
湖の上へ出る必要があるのかと思ったが、岸辺から網を伸ばすと、意外と届きそうだった。星は水面の少し上でふわふわ揺れている。
星の上に文字が浮かんだ。
《この星は、静かな本音を聞きたがっています》
「本音ですか」
「いきなり精神系か」
「静かな本音、という指定です。大声で叫ぶものではないのでしょう」
私は少し考えた。
誰が言うべきか。
カイを見ると、彼は少し困った顔をしている。ルーザは無言で私を見た。
いや、なぜ私を見るのか。
こういうのは私向きだと思われているのだろうか。まあ、言葉を扱うのは確かに嫌いではない。
私は湖面の星へ向かって、静かに言った。
「私はこの国がかなり面倒だと思っています。けれど、その面倒さをかなり気に入っていますよ」
星が、ふっと明るくなった。
《条件達成》
網を伸ばすと、今度は星が逃げなかった。
銀の網目が星を柔らかく包み、私はそれをそっと掬い上げる。
星は軽かった。まるで小さな光の実のように網の中で震え、籠へ入れると、籠の内側の夜空へぽんと浮かんだ。
《静かな本音星を獲得しました》
「一つ目ですね」
「綺麗だな」
「順調です。ただし、次も同じとは限りません」
ルーザが言った直後、湖面がぼこりと膨らんだ。
星がもう一つ落ちる。今度は青白い星だった。湖に触れると、水面から黒い影が立ち上がる。魚のような、スライムのような、月の欠片を背負った妙な魔物だ。
《この星は、守られないと採れません》
《月影フィッシュが出現しました》
「戦闘系ですね」
「来た!」
「カイさん、楽しそうにしないでください」
カイはすでに武器を構えていた。
外向けでも犬でもなく、純粋に戦闘を楽しむプレイヤーの顔だ。
私はレイピアを抜き、ルーザは魔力を整える。月影フィッシュは水面を跳ね、尾から月光の刃のようなものを飛ばしてきた。
戦闘は長くはなかった。
敵の動きは幻想的だが、単体でそこまで強くはない。
ただ、水面を利用して位置をずらすので少し厄介だった。
カイが素早く回り込み、私が牽制し、ルーザが魔力の流れを読んで水面から出る瞬間を捉える。
最後はカイの一撃が月影フィッシュを弾き、私の風魔術がその動きを止め、ルーザの魔術が綺麗に締めた。
魔物が水へ溶けると、青白い星が静かに浮かんだ。
《条件達成》
《守られた星を獲得しました》
「二つ目」
「いい感じだな!」
「まだです。一つ目以降が問題でしょう」
ルーザの予想は当たった。
三つ目に落ちた星は、淡い桃色をしていた。水面に触れた瞬間、周囲の空気が少し甘くなる。私は嫌な予感がした。星の上に文字が浮かぶ。
《この星は、愛の言葉を聞きたがっています》
沈黙。
カイが固まった。
私も固まった。
ルーザは、少し離れた。
「ルーザ?」
「安全確認です」
「なぜ三歩下がったんですか」
「周囲の確認です」
「耳が赤いですよ」
「夜なので」
「夜関係あります?」
返事はなかった。
ルーザは完璧な無表情で湖の反対側を確認している。だが、耳が赤い。
これはもう確定では?言わないけどさ。ひみつは言わないほど近づく。何に近づくのかは知らない。
「……どうする?」
カイが妙にぎこちない声で言う。
「どうするも何も、条件を満たすしかないでしょう」
「愛の言葉って」
「言葉です。言葉なら処理できます」
「処理って言い方よ」
私は咳払いをした。
これはただのイベント条件である。
妖精の国の星が要求している形式的な言葉であって、告白ではない。
そう自分に言い聞かせる。中身が女子高生で相手の外見が男性アバターであることは今は考えない。
考えると少し変な感じになるので考えない。
私はカイへ向き直り、ラウラリアとしての表情を整えた。
「カイ」
「お、おう」
「あなたと共にいる時間は、退屈を忘れさせてくれます。騒がしく予想外で、時々とても手がかかりますが、それでも私はあなたと見るこの世界を面白いと思っていますよ」
カイが完全に固まった。
桃色の星が、ぱぁっと輝いた。
《条件達成》
《愛を聞いた星を獲得しました》
湖面から星を掬い、籠へ入れる。桃色の星は籠の中で少しだけ跳ねた。成功だ。成功なのだが、横のカイが動かない。
「カイ?」
「……ラウラ」
「はい」
「今の、イベント条件だよな?」
「もちろんです」
「だよな」
「はい」
「……めちゃくちゃ王子様だった」
「貴族ですので」
「そういうとこだぞ……」
カイが顔を片手で覆った。耳が少し赤い。
ルーザは離れた場所で湖面を見ている。だが肩がほんの少し震えている。
興奮しているのか、耐えているのか、両方なのか。見なかったことにする。妖精の国では見ないふりも重要だ。
その後、星はさらにいくつか落ちた。
笑い星はカイが変な顔をしても笑わず、最終的にルーザが真顔で「カイさんは水色の犬ではありません」と言った瞬間、カイが「そこは断言してくれるんだ!?」と叫んで星が笑い、無事に採れた。
褒め言葉を求める星には、カイがルーザを「冷静で頼れるけど時々圧が強い」と褒め、ルーザに「褒め言葉の後半が余計です」と返され、ごきげんコインが出た。
本当のことを求める星には、カイが「逆流川、また行きたい」と正直に言って星が即座に光った。本人の欲望が真っ直ぐすぎる。
そして、最後に落ちた星は、透明だった。
ほとんど見えない。湖面の揺らぎかと思うほど薄く、ただ、確かにそこにある。私は息を止めた。
表示は出ない、条件も出ない。
カイが何か言いかける前に、私は指を一本立てて制した。ルーザもすぐに察したらしい。沈黙が落ちる。
ひみつは、言わないほど近づく。
私は見つけていないふりをした。
網を構えない。籠を向けない。視線を合わせない。ただ、湖面の揺らぎを景色の一部として覚えておく。
忘れない。けれど言わない。追わない。欲しがらない。
すると、透明な星がゆっくり動いた。
こちらへ、近づいてきた。
私は何も言わない。カイも、今度は黙っている。ルーザも静かに見守っている。
透明な星は岸辺まで来ると、まるで自分から入るように、星拾いの籠の中へふわりと沈んだ。
《静かなひみつ星を獲得しました》
その表示は、私にだけ見えたような気がした。
私は瞬きをし、何事もなかったように籠の蓋を閉じる。
「……採れたのか?」
カイが小声で聞く。
「何がでしょう」
「なるほど」
カイは頷いた。理解が早い。ルーザも何も言わなかった。
籠の中には、静かな本音星、守られた星、愛を聞いた星、笑い星、いくつかの小さな星、そして言わないひみつが揺れていた。依頼の数は十分すぎるほど満たしている。
「戻りましょうか」
「だな」
「はい。長居は危険です」
夜の湖を離れる時、私は一度だけ振り返った。
湖面には、また星が落ちている。
けれど今は追わない。妖精の国は寄り道だらけだが、すべての寄り道をその場で拾う必要はない。拾わなかったものも、いつか別の形でこちらへ来るかもしれないのだから。
市場へ戻ると、《夜空の欠片》の店主妖精は眠そうな顔のまま、しかし明らかに待っていたようにこちらを見た。
「採れた?」
「採れました」
私は籠を差し出す。店主妖精は中を覗き込み、星を一つずつ確認した。
「静かな本音星。守られた星。愛を聞いた星。笑い星。びっくりの気配がついた星。あと……」
そこで、店主妖精は少しだけ目を細めた。
「余計なのもある」
「余計ですか?」
「うん。いい余計」
「それは報酬に関係しますか?」
「するかも。しないかも。まだ秘密」
店主妖精は小さく笑った。夜空のような瞳の奥で、星が一つ瞬く。
「約束通り、商品を一つあげる。割引もする。おまけもつける」
私は棚を見た。
月読のレンズ。星明かりの羅針盤。夜空の小瓶。星屑の砂時計。欠け月の鍵。
どれも欲しい。全部欲しい。だが、一つ選ぶなら。
「月読のレンズを」
「見る子だと思った」
店主妖精はそう言って、《月読のレンズ》を私の手に置いた。冷たい銀色の片眼鏡は、触れた瞬間に淡く光った。
《月読のレンズを獲得しました》
さらに店主妖精は、小さな黒い包みを差し出した。
「おまけ」
「中身は?」
「夜に開けて」
「今も夜では?」
「もっと夜に」
「もっと夜」
「うん」
また曖昧な条件が増えた。けれど、私は包みを受け取った。
カイは満足げに笑い、ルーザは疲れたように息を吐き、私は手の中のレンズと、言わなかった星の気配を静かに意識した。




