第48話 いざ星採りへ!
夜の湖へ向かうことが決まった瞬間、カイのテンションは目に見えて上がったが、当然ながらルーザはそのまま出発を許してくれるほど甘くはなかった。
というより、星拾いの籠と流れ星掬い網を受け取った直後にカイが「じゃあ行くか!」と半歩踏み出し、私も私で「行きましょうか」と自然に続きかけた瞬間、ルーザが一歩も動かずに「待ってください」と言ったのである。
その声はいつものように静かだったが、静かすぎて逆に圧があった。
妖精の国へ来てから何度目かわからない、護衛兼常識係兼突撃防止係の制止である。
私は足を止めた。カイも止まった。
店主妖精は眠そうな顔のままこちらを見ている。籠は小さく揺れ、網は銀色に光っている。
全員が、というか道具まで含めて全員が「何?」という空気になっていた。
「夜の湖、星、籠、網。説明が少なすぎます」
「掬うだけって言ってましたよ」
「妖精のだけを信用しないでください」
ルーザの言葉は非常に正しかった。
非常に正しいのだが、正しすぎて少しだけつらい。
私は籠を見下ろした。籠は「私は悪くない」とでも言いたげに、内側の星空をちらちら揺らしている。
「店主さん、夜の湖へ行く前に追加で確認しても?」
「いいよ。聞かれたら答える」
「聞かれなかったら?」
「答えない」
「でしょうね」
私は諦め混じりに頷いた。
妖精の国の住人は大体この調子だ。説明不足なのではなく、聞かれなければ説明しない文化なのだろう。
いや、文化というより、遊びの一部かもしれない。こちらが何を聞くか、何を聞き忘れるか、その時点で試されている。
「星を採る時、ただ網で掬えばいいのですか?」
「掬える星なら」
「掬えない星がある?」
「ある」
「条件が必要?」
「必要な星もある」
「先に言ってください」
「今聞かれたから言った」
ルーザが無言でこちらを見た。ほら見なさい、という目だった。
私は素直に少しだけ頭を下げる。カイも「うわ、やっぱあるんだ」と目を輝かせている。なぜそこで喜ぶのか。
店主妖精は指を一本立てた。
「星には気分がある。願われた星は重い。泣いてる星は水を呼ぶ。笑ってる星は逃げる。怒ってる星は熱い。黙ってる星は掬いやすい。でも見つけにくい」
「びっくりの星は?」
カイが即座に聞いた。
「うるさい」
「うるさい星なのか」
「違う。お前がうるさそう」
「俺!?」
ぽん、と音がしてびっくりコインが出た。店主妖精はそれを見て、眠そうな目のまま少しだけ満足げに頷く。
「びっくりの星、たぶん来る」
「呼び水にされてるじゃないですか」
「俺、星も呼べるのか……?」
「カイさん、誇るところではありません」
ルーザの声は冷静だったが、ほんの少しだけ疲れている。私は改めて店主妖精へ尋ねた。
「条件というのは、具体的にはどのようなものですか?」
「いろいろ。倒さないと採れない星。笑わせないと採れない星。褒めないと採れない星。本当のことを言わないと採れない星。愛を囁かないと採れない星。黙って見つけないと採れない星」
「途中に変なのが混ざりましたね」
「全部変だよ」
「否定できません」
私は少しだけ額に手を当てた。
愛を囁かないと採れない星。妖精の国らしいと言えばらしいが、条件として出されるとかなり困る。
隣でカイが「愛?」と素の顔になっていた。ルーザは一瞬だけ、本当に一瞬だけ、まばたきの速度が乱れた。あまりにも些細な変化だったが、私は見逃さなかった。
「ルーザ?」
「何でしょうか」
「今、反応しました?」
「していません」
「本当に?」
「していません」
耳が少し赤い気がする。
妖精の国の光のせいかもしれない。
本人は隠しているつもりだし、私も確信を持っているわけではないが、これまでの微妙な反応を見る限り、かなり怪しい。
そういえば私とカイが妙に近い距離で会話した時、彼女は冷静な顔を保ちながらほんの少しだけ視線を逸らすことがあった。あれは警戒ではない。たぶん別ジャンルの反応だ。
ただしここでそれを突くと大変なことになる気がするので私は何も言わなかった。
ひみつは言わないほど近づく。
こういう時にも使える便利な教訓である。
「夜の湖は、他の異界人もいるのですか?」
「いない」
店主妖精はあっさり言った。
「いないんですか?」
「星が嫌がる。静かな場所だから。夜の湖は、星を採りに行く人だけが行く。星を採らない人は、別の湖に着く」
「別の湖」
「うん。綺麗だけど星は落ちない湖」
「つまり、今回の依頼を受けた者だけが入れる特殊エリアのようなものですね」
「たぶん」
たぶん、で済ませていいのかは微妙だが、少なくとも他プレイヤーで混雑することはなさそうだ。少し安心した。
星を掬う場所で真・円卓騎士団が「星に誉れを!」とか叫び、関西弁侍集団が「風流やなぁ」とか言い、姫プレイ集団が「姫に星を!」と騒ぎ始めたら大変だからだ。
見たい気もするが、星採り回としては静かな方がいい。カイがいる時点で完全な静寂は無理かもしれないけれど。
「行き方は?」
「市場の奥、夜になる道を進む。月明かりのランタンを持ってるなら迷わない。たぶん」
「買っておいてよかったですね」
「本当に必要経費だったな」
カイが感心したように言う。ルーザもそこは認めざるを得ないようで、小さく頷いた。
「では、準備を整えてから向かいましょう。ラウラリア様、星拾いの籠と流れ星掬い網は不用意に他者へ渡さないでください。カイさん、星を見つけても飛び込まないでください。ラウラリア様、条件が面白そうでも即答しないでください」
「私だけ二つありませんでした?」
「必要です」
「否定しにくい」
「俺は一つだけなの信頼されてる?」
「カイさんは一つに集約されています。飛び込まないでください」
「信頼じゃなかった」
店主妖精は小さく笑い、籠の縁を指で叩いた。
「星を三つ。できれば、願われていない星。でも、余計なのが入ってもいいよ」
「余計なの?」
「余計な星は、あとで困るか役に立つ」
「どちらですか」
「どっちも」
嫌な予感しかしない。だが、もう受けてしまった。私は籠と網を持ち直し、ルーザとカイを見た。
「では、夜の湖へ行きましょう」
「おう!」
「承知しました」
私たちは《夜空の欠片》を出て、市場の奥へ向かった。
昼間のように賑やかだった笑う木の市場も、奥へ進むにつれて少しずつ音が遠ざかる。
吊り看板の声も、妖精たちの笑い声も、カイが犬と呼ばれて反応するたびに出るびっくりコインの音も、少しずつ薄れていった。
いや、最後の音はまだ出ていない。
市場の妖精が「水色犬、星採るの?」と言ったせいで一枚出たけど、それを最後にしておきたい。
月明かりのランタンを取り出すと中の淡い光がふわりと揺れた。
すると、市場の奥にあったはずの黒い布の間に細い道が浮かび上がる。
石畳ではない。花道でもない。夜そのものを細く敷いたような道だった。足元に小さな星屑が散り、踏むと音はしないが、わずかに光が跳ねる。
「これは……綺麗ですね」
「すごいな」
「足元の光に気を取られすぎないでください。道が消える可能性があります」
「ルーザ、こういう時も冷静ですね」
「冷静でなければ同行者として役に立てませんので」
頼もしい、非常に頼もしいが、声の奥にほんの少しだけ緊張がある。
夜の湖という未知の場所へ向かうのだから当然だろう。
私も胸の奥がざわざわしている。怖さではない。期待と警戒と好奇心が混ざった、少し落ち着かない感覚だ。
道は長くなかった。市場の喧騒が完全に消え、周囲が深い夜色に包まれた頃、視界の先がふっと開けた。
そこに、湖があった。
言葉を失うほど、静かな湖だった。
水面は黒く、けれど暗いわけではない。夜空をそのまま磨いた鏡のように、無数の星を映している。
いや、映しているのか、本当に水の中に星があるのか判別できない。
湖の縁には白い草が生え、風もないのにゆっくり揺れている。
遠くには低い丘があり、その上に細い月が浮かんでいた。空にも星があり、湖にも星がある。
上も下も夜で、私たちはその境界に立っているようだった。
音が少ない。
カイでさえ、最初の数秒は何も言わなかった。
「……すげぇ」
やがて、彼が小さく呟く。その声すら湖に吸い込まれるようだった。
「静かですね」
「はい。音が沈みます」
ルーザが周囲を確認しながら言う。
警戒はしているが、さすがにこの景色には少しだけ目を奪われているようだった。
私は星拾いの籠を手に持ち、流れ星掬い網を構える。
すると、籠の内側の小さな星空が湖面と同じように揺れた。網の先端も銀色に光り、湖へ向かって細く震える。
次の瞬間、空の星が一つ、すうっと落ちてきた。




