第47話 カイの知り合い
そんなやり取りをしていると、不意に近くから低い声がした。
「……カイか」
その声は低く、掠れていて、完全に年季の入った大人の男の声だった。
私は反射的にそちらを見た。
そこにいたのは、金髪ツインテールの幼女だった。
ふわふわの髪、ぱっちりした目、丸い頬、小さな身体。
服装は黒を基調にしたゴシック風のドレスで、手には大きめの杖を持っている。
見た目だけなら、いかにも可愛らしい魔法少女系の幼女アバターだ。だが、声が完全におっさんだった。しかもかなり渋い。声だけなら酒場の奥で葉巻でも吸っていそうである。
情報量が多い。
隣のカイが、一瞬で雰囲気を変えた。
さっきまで「必要経費かぁ」とか言いながら犬のように目を輝かせていた男が、すっと表情を消す。
水色の瞳が冷え、口元から余計な感情が抜け、背筋が静かに伸びる。黒い翼も無駄に動かなくなった。黙っていれば近寄りがたい美形、冒険者ギルドで周囲が距離を取っていたあの空気だ。
「……二週間ぶりか?ガルム」
誰?
私は本気でそう思った。
この冷たい声を出している水色の美形は誰だ。
私の知っているカイは、びっくりコイン生成機で、踊れる水色の犬で、川へ飛び込みたがる好奇心の塊である。今目の前にいるのは、完全に別人だ。
いや、ギルドで初めて会った時は確かにこうだった。こうだったけど、中身を知ってしまった今となっては逆に違和感がすごい。
ルーザもわずかに目を細めていた。
彼女はカイの外向けモードを知らないわけではないが、ここまで徹底した切り替えを目の前で見るのは初めてなのだろう。
「相変わらず愛想がねぇな」
幼女アバターの渋いおっさん声が言う。
「必要ない」
「それだよ、それ。ギルドでもそうだが、お前はもう少し喋った方がいいぞ。怖がられてる」
「面倒が減る」
「否定できんがな」
ガルムと呼ばれた幼女は、肩をすくめた。
見た目は完全に幼女なのに、動きと声が完全におっさんである。しかも名前がガルム。いや、プレイヤーネームは頭上に《ガルムソース》と出ていた。
ガルムソース。名前も濃い。見た目も濃い。声も濃い。ついでに味も濃い。妖精の市場にいても埋もれない濃さだ。
「そちらは?」
ガルムソースが私へ視線を向ける。おっさん声の幼女に見上げられるという、かなり妙な状況だ。
「ラウラです。カイの友人です」
「友人?」
ガルムソースは少しだけ目を丸くした。
「こいつに友人がいたのか」
「失礼だな」
カイが低く言う。外向けモードを崩さない。だが、その直後、私の視界にメッセージが飛んできた。
『犬って言うなよ』
『絶対言うなよ』
『今は外向けだからな』
私は笑いそうになった。顔は無表情に近い冷たい美形なのに、メッセージが必死すぎる。ずるい。これはずるい。
『わかっています。水色の犬』
『わかってない!!!!』
カイの表情は一切動かなかった。すごい。だがメッセージでは叫んでいる。器用すぎる。
ルーザが私とカイを交互に見た。何か察したらしい。彼女は静かに言った。
「カイさん、別人のようですね」
「……普段からこうだ」
カイが短く答える。
嘘だ。いや、ギルドではそうなのだろうが、私たちの前では違う。ルーザもたぶん同じことを思っている。ガルムソースは腕を組んで頷いた。
「まあ、こいつは昔からギルドじゃこんなもんだ。必要なこと以外喋らんし、パーティにもあまり入らんし、面倒そうな連中は全部無視する。おかげで妙に怖がられとる」
「怖がられているんですか」
「そりゃそうだろう。見た目がこれで、愛想がなくて、ソロでそこそこ動ける。話しかけても『別に』『興味ない』『必要なら動く』くらいしか返さんし、そりゃ近寄りにくい」
私はカイを見た。
「カイ」
「何だ」
「怖がられているそうですよ」
「知ってる」
「知ってるんですね」
「その方が楽だからな」
外向けのカイは本当に不愛想だった。だが、視界の端ではまたメッセージが飛んでくる。
『いやでも怖がられすぎるのも困る』
『話しかけられないのは楽だけど情報が入らない』
『でも知らん奴と話すのだるい』
『ラウラ、笑うなよ』
笑うなという方が無理だ。だが、ここで笑ったらカイの外向けモードが崩れるかもしれないので、私は必死で堪えた。
ガルムソースは私をじっと見てから、渋い声で言った。
「で、お前さん、カイの連れにしては随分と上品だな」
「ありがとうございます」
「異界人か?」
「はい」
「見た目は男だが、中身は?」
私は一瞬だけ目を細めた。かなり踏み込んだ質問だ。だが、ガルムソースの声音に嫌な感じはなかった。単純に確認しているだけらしい。
「中身は一応、女です」
「ほぉ……そうか。なら、こいつが無愛想でも気にするな。悪気はない。だいたい面倒を避けてるだけだ」
「知っています」
「知ってるのか」
「はい」
かなりよく知っている。中身が犬だということまで知っている。もちろん言わない。
ガルムソースは満足そうに頷いた。
「儂はガルムソース。ギルドで何度かこいつと顔を合わせた程度だ。よろしくな」
「よろしくお願いします。……ちなみに、その名前の由来は?」
「忘れた」
「忘れたんですか」
「二十年近く使っとるからな」
「重いですね」
幼女アバターから二十年という言葉が出ると、妙な重みがある。
というか二十年前というとまだVRゲームも普及していない時代ではないか。声がおっさんなので納得感はあるのだが、見た目との落差がすごい。
「妖精イベントには参加しているのですか?」
「一応な。だが面倒そうだから帰ろうかと思っとる」
「市場のど真ん中にいますよ」
「来てから面倒だとわかった」
「早いですね」
「妖精に三回ほど帽子を盗まれた」
「それは面倒ですね」
「今かぶっている帽子も四代目だ」
ガルムソースの頭には小さな黒い帽子が乗っている。
よく見ると、帽子の端を小さな妖精が狙っていた。ガルムソースは振り向きもせずに杖でその妖精を軽く払った。動きが慣れている。
「お前らは奥へ行くのか?」
「その予定です」
「物好きだな」
「否定はできません」
「カイ、お前もか」
「ああ」
「珍しい。誰かと組んで遊ぶとはな」
「成り行きだ」
カイは淡々と答えた。だがメッセージが飛んでくる。
『成り行きだけどめちゃくちゃ楽しい』
『でも今は言えない』
『外向けだから』
私はもう口元が危なかった。ルーザが横から小さく咳払いした。おそらく「笑わないでください」の合図だ。助かる。
ガルムソースはしばらく私たちを見た後、軽く肩をすくめた。
「まあ、せいぜい気をつけろ。妖精は面倒だ。特に、あそこの奥の店はやばい」
「あそこの奥?」
私が尋ねると、ガルムソースは市場のさらに奥、他の店より少し静かな一角を指した。そこには、黒い布の天幕がかかった小さな店があった。周囲の賑やかな店とは違い、音が少ない。看板には銀色の文字で《夜空の欠片》と書かれている。
「天体系の店だ。売り物は強い。だが、要求が面倒くさい」
「強い」
私は反射的に反応した。
「ラウラリア様」
ルーザがすぐに警戒した。
「まだ何もしていません」
「今、かなり興味を持ちました」
「持ちましたね」
「認めるのですね」
「はい」
カイも目を輝かせている。外向けモードはどこへ行ったのか、と思ったが、ガルムソースの前なので表情は抑えている。だが、メッセージは来た。
『絶対行くやつ』
『天体アイテムとか強そう』
『星とか月とか絶対良い』
『行こう』
犬である。外面は冷たい美形、中身は全力で尻尾を振っている犬である。尻尾はないけど。
ガルムソースは渋い声で笑った。
「やめとけと言う気はない。だが、行くなら覚悟しろ。儂は面倒だから買わん」
「面倒だから買わないんですか」
「ああ。強いものほど面倒だ。妖精の国では特にな」
それだけ言うと、ガルムソースは小さな手をひらひら振って去っていった。
背中は幼女なのに、漂う雰囲気は完全に歴戦のおっさんだ。
たぶんまた会うだろう。というか、会いたい。カイの外向けモードを引き出せる貴重な存在だからだ。
そして私たちは、《夜空の欠片》へ向かった。
店の周囲だけ空気が違った。
市場の喧騒が少し遠のき、足元に淡い星屑のような光が散っている。黒い布の天幕には小さな星の刺繍があり、近づくとその星が本当に瞬く。
店内には棚が少なく、商品も多くはない。だが、一つ一つの存在感がすごかった。
店主は、小さな妖精だった。黒いローブをまとい、髪には星屑のような光が混じり、目は夜空のように深い。
眠そうで、やる気があるのかないのかわからない顔をしている。
「いらっしゃい」
声は小さいが、よく通った。
「商品を見せていただいても?」
「見て。買えるなら」
店主妖精はそれだけ言って、カウンターに頬杖をついた。
私は棚を見る。
最初に目に入ったのは、《月読のレンズ》。片眼鏡のような形で、薄い銀色の縁取りがある。説明札には「隠れた道、嘘の輪郭、夜にだけ開くものを少し見る」と書かれていた。
欲しい、非常に欲しい。妖精の国攻略にも赤の塔にも使える。
次に、《星明かりの羅針盤》。小さな円盤状の羅針盤で、針の代わりに小さな星が中を回っている。説明は「迷った時、面白い方角を指す」。
危険だけど欲しい。面白い方角というのが、実用的なのか事故誘導なのかわからないが、妖精の国ではたぶん重要だ。
《夜空の小瓶》は、瓶の中に小さな夜空が閉じ込められていた。開けると短時間だけ周囲を夜にできるらしい。暗所フィールド生成。絶対使える。
《流星のピン》は、一度だけ短距離を高速移動できる髪飾り。移動後に少し目立つらしい。流星だからだろう。目立つのは困るが強い。
《星屑の砂時計》は、短時間だけ行動順を少しずらす。説明を読んだ瞬間、ルーザが「危険です」と言った。私もそう思う。だが強い、強すぎる。
《欠け月の鍵》は、閉じたものを一度だけ少しだけ開ける。完全には開かない。「少しだけ」というところが妖精らしいが、逆に応用範囲が広そうで恐ろしい。
「全部欲しいですね」
「ラウラリア様」
「言っただけです」
「顔が本気でした」
「本気ではあります」
「隠してください」
「努力します」
店主妖精が眠そうな目でこちらを見た。
「買う?」
「買いたいですね」
「じゃあ、星を採ってきて」
私は一瞬だけ瞬きをした。
「星、ですか?」
「うん」
「どこの?」
「夜の湖」
「星は湖にあるのですか?」
「落ちるから」
「なるほど」
納得しかけたところで、ルーザがすっと前に出た。
「ラウラリア様、今、納得しかけましたね」
「少し」
「妖精の国で『星を採ってきて』と言われて即座に納得するのは危険です」
「ですが、落ちるなら採れるのでは?」
「落ちる星を採るという時点で十分おかしいです」
正論だった。だが、店主妖精は眠そうな顔のまま、カウンターの下から二つの道具を取り出した。
一つは、小さな籠。黒い蔓で編まれていて、内側に星空のような光が揺れている。もう一つは、銀色の網。柄は細く、先端の網目は光で編まれているように見えた。
「星拾いの籠。流れ星掬い網」
「掬うんですか?」
「うん。夜の湖に行く。星が落ちる。掬う。籠に入れる。それだけ」
「簡単そうですね」
「ラウラリア様」
ルーザの声が低かった。
「はい」
「妖精の国で『それだけ』と言われた案件で、簡単だった例を私はまだ知りません」
「確かに」
カイが横で小さく言った。
「でも星だぞ?」
「星ですね」
「夜の湖だぞ?」
「夜の湖ですね」
「網で掬うんだぞ?」
「掬いますね」
「行くだろ」
「行きますね」
「ラウラリア様」
ルーザが今度は完全に頭を押さえた。
かなり珍しい。私は少し申し訳なくなったが、それ以上に好奇心が勝っていた。
夜の湖で流れ星を掬う。しかも報酬は月読のレンズや星明かりの羅針盤級の天体系アイテム。行かない理由がない。いや、危険な理由は山ほどあるが、それでも行きたい。
店主妖精は少しだけ目を細めた。
「星を三つ。できれば、まだ誰にも願われていない星」
「誰にも願われていない星」
「願われた星は重い。籠が嫌がる」
「籠が嫌がる」
「うん」
籠が小さく震えた。生きている。やはり生きている。道具まで自己主張する国だ。
「報酬は?」
ルーザが確認する。
「星一つで、星屑商品一つを割引。三つで、一つあげる。おまけもつける」
「おまけ」
「秘密」
「その秘密は危険ですか?」
「たぶんね」
「正直ですね」
「秘密だから」
私は籠と網を見た。店主妖精がこちらをじっと見ている。眠そうなのに、目の奥だけは星のように光っていた。
星を採ってきてほしい。
妖精の国に来てから聞いた依頼の中でも、かなり無茶な部類だった。だが困ったことに、私はもうかなり乗り気だった。
「受けます」
「ラウラリア様」
「受けます」
「二回言いましたね」
「はい」
カイが隣で拳を握った。
「星採りだ!」
「カイさんは静かにしてください」
「無理!」
ぽん。
《びっくりコインを獲得しました》
店主妖精はそれを見て、少しだけ笑った。
「びっくりの星も、たまに落ちるよ」
「何それ欲しい!」
「カイさん」
「……はい」
ルーザの声に、カイは即座に少し落ち着いた。落ち着きの石には拒否されたが、ルーザの声には効くらしい。
私は《星拾いの籠》と《流れ星掬い網》を受け取った。
籠は私の手の中で軽く揺れ、網は淡く銀色に光った。これだけで、もう夜の湖へ向かう準備が整ってしまったような気がする。
もちろん、実際には何も整っていない。夜の湖がどこにあるのか、どんな危険があるのか、星を掬うとは具体的にどうするのか、願われていない星をどう見分けるのか、何もわからない。
だが、妖精の国では、何もわからないことは珍しくない。
むしろ、わからないからこそ面白い。
ルーザは深く息を吐き、カイは完全に目を輝かせ、私は籠の中に揺れる小さな夜空を見下ろした。
今日の予定が、また一つ増えた。
普通に考えれば意味がわからない。
だけど、今の私はもう、意味がわからないことにかなり慣れてしまっていた。妖精の国、恐るべしである。




