第41話 花の舞踏会
「川は最後にしましょう」
私がそう言った瞬間、カイはものすごくわかりやすく肩を落とした。
「えー」
「えー、ではありません」
「いや、逆流川だぞ? 名前からして絶対面白いだろ。川が逆に流れてるんだぞ? 迷子コインも稼げるんだぞ? たぶん流されたら楽しいぞ?」
「その三つを並べて、どうして安全そうな響きになると思ったんですか」
「楽しいと安全は別だろ?」
「別だからこそ後回しです」
私はそう言いながら、笑う木が揺らしている二枚の葉を見比べた。
《歌う花の舞踏会》と《逆流川の渡し舟》。
どちらも明らかに妖精の国らしい面倒さと楽しさを含んでいるけれど、今の状況を考えるなら次は花の方がいい。
嘘つき看板の迷路で頭を使い、看板を泣かせ、カイがびっくりコインを量産し、さらに看板の欠片まで入手した直後だ。
ここでさらに逆流川に突っ込むと、たぶん勢いで流される。
流されると迷子になる。迷子になるとカイが喜ぶ。カイが喜ぶとたぶんもっと流される。悪循環。
いや、イベント的には循環していないから悪流かもしれない。
どちらにしても、今日の締めには少し刺激が強い。
それに対して《歌う花の舞踏会》はさっきの花畑の反応を見る限り、少なくとも即座に行方不明になる危険は低そう。
もちろん花が喋るし、私の微笑みに反応して花コインを落とすし、ルーザを花瓶扱いしかけるような連中なので油断はできないけれど、舞踏会という形式ならこっちの礼法や社交、立ち居振る舞いが活きる可能性がある。
そう考えると、かなり美味しい。
いや、花が私を取り囲んで大騒ぎする未来も見えているんだけど。
それはまあ……ルーザがどうにかしてくれるでしょう。ごめん、ルーザ。心の中でだけ謝っておく。
「次は《歌う花の舞踏会》で」
「妥当です」
ルーザが頷く。
「歌と踊りであれば、少なくとも川に流されるよりは制御可能です」
「制御可能ですかね?」
「川よりは」
「比較対象が低いですね」
「妖精の国ですので」
「便利な言葉になりすぎている」
笑う木がそのやり取りを聞いて、腹の底に響くような声で笑った。
「花に行くんだねぇ。いいよ、いいよ。青い王子は花に好かれそうだ。黒いお姉さんは花を困らせそうだ。水色の犬は……」
「犬じゃない」
「踊れるかなぁ?」
カイがぴたりと止まった。
その止まり方が、妙だった。普段なら「踊れるわ!」とか「何なら見せてやるよ!」とか勢いよく返しそうなところなのに、カイは一瞬だけ目を細め、それから落ち着いた顔で口角を上げた。
私はその変化を見て、少しだけ首を傾げた。
「カイ?」
「いや、まあ、行けばわかる」
「……何かありますね?」
「ないない」
「ありますね」
「ないって」
怪しい。ものすごく怪しい。
カイは基本的にわかりやすいが、今の反応はただのごまかしではない。
笑う木が枝を揺らすと、《歌う花の舞踏会》と書かれた葉がふわりと浮かび上がり、私たちの前で大きく広がった。
葉脈が淡い金色に光り、その光が輪のように広がる。
そこに一歩踏み込むと、先ほどの嘘つき看板の扉とは違って、今度は香りと音が先に来た。
甘い花の香り。柔らかい弦の音。遠くで鈴が鳴るような、高く澄んだ旋律。
視界が淡い桃色と金色に染まり、次の瞬間、私たちは大きな円形の庭園に立っていた。
そこは舞踏会場だった。
ただし、普通の舞踏会場ではない。
床は磨かれた大理石ではなく、淡く光る花びらが幾重にも敷き詰められた柔らかな地面で、踏むたびに微かな音が鳴る。
壁の代わりに咲き誇る巨大な花々が周囲を囲み、その花弁が天蓋のように空を覆っている。
上からは星の代わりに小さな光る種が降り、空中には花粉のような金色の粒が漂っていた。
中央には広い円形の空間があり、その周囲では人の背丈ほどもある花、小さな妖精、葉っぱの燕尾服を着た草、そしてなぜか蝶の羽をつけた椅子までがゆったりと揺れている。
椅子まで踊る気なんだ??
「ようこそ!」
声が一斉に響いた。
「歌う花の舞踏会へ!」
「踊ろう!」
「歌おう!」
「回ろう!」
「転んだら笑おう!」
「でも泣いたら花びらあげよう!」
「王子さま来た!」
「黒いお姉さんも来た!」
「水色の犬も来た!」
「犬じゃねぇ!!」
カイが即座に反応した。
そして、ぽん、とびっくりコインが出た。
「もう本当に専用通貨みたいになっていますね」
「俺、びっくりで経済回せるかもしれない」
「回さないでください」
周囲の花たちはもう大騒ぎだった。
特に私に対する反応がひどい。いや、ありがたいと言うべきなのかもしれないけど、ひどい。
巨大な薔薇らしき花が「王子さまー!」と揺れ、鈴蘭のような小さな花たちが足元で「笑ってー」「こっちー」「一曲だけー」と騒ぎ、青い百合のような花が妙にしっとりした声で「あなたの瞳、夜明けの雫みたいね」と言ってくる。
花に口説かれている。
私は今、花に口説かれている。
「ルーザ」
「はい」
「花が積極的です。どうしましょう」
「丁寧に断るか、一曲ずつ処理してください」
「処理……」
「社交です」
「社交って処理するものなんですか?」
「場合によります」
貴族社会の闇を感じる返答だった。
花相手にまで社交という概念が適用されるとは思わなかったけど。
すると、舞踏会場の中央に一際大きな花が咲いた。
白と金の花弁を持つ、背丈よりも高い優雅な花で、その中央から小さな妖精が現れる。
彼女は花びらのドレスを身にまとい、手には細い指揮棒のような茎を持っていた。どうやらこの舞踏会の進行役らしい。
「遊びのルールを説明します!」
「お願いします」
「一曲踊る!」
「はい」
「相手を喜ばせる!」
「はい」
「花言葉を当てると追加でごほうび!」
「なるほど」
「でも、誘いを雑に断ると花が拗ねます!」
「面倒ですね」
「花だからね!」
「花だから、で済ませていい範囲を超えている気がします」
進行役の花妖精は、私の言葉を聞いてころころ笑った。
「踊りは一人一回でもいいし、何回でもいいよ。たくさん踊ればたくさんもらえる。でも疲れたらおしまい。花はしつこいけど、倒れるまで踊らせるほど悪くないよ」
「それは安心しました」
「ただし、踊りたくないって言う時はきれいに断ってね。雑に断ると、その花が三日くらいしおれる」
「罪悪感が重い」
「水をあげれば二日で治る」
「そういう問題ですか?」
花の誘いを断るだけで花がしおれるイベント、少し可哀そうだ。
だけどここで慌ててはいけない。
これは社交だ。
舞踏会であり、花たちは客であり、同時に相手でもある。
相手を喜ばせ、丁寧に扱い、しかし自分のペースを失わない。
私は胸元に手を当て、進行役の花妖精へ軽く一礼した。
「では、まずは一曲。どなたか、私と踊っていただけますか?」
その瞬間、会場が爆発した。
比喩である。いや、花粉のような光が一斉に弾けたので、実際に少し爆発したかもしれない。
「私!」
「私が先!」
「王子さま、こっち!」
「青い人、青い花と踊るべき!」
「いいえ、白い花と踊るべき!」
「黒いお姉さんも踊ろう!」
「水色の犬は見てて!」
「俺の扱い雑じゃない!?」
カイが叫ぶ。
ぽん、とまたびっくりコインが出た。
花たちは私の前へ押し寄せかけたけど、その前にルーザがすっと一歩出た。
彼女は剣を抜いたわけでも魔術を使ったわけでもない。ただ一歩、無表情で前へ出ただけだ。それなのに、花たちがぴたりと止まった。
「順番に、してください」
静かな声だった。
花たちは一瞬沈黙し、それから小さくざわめいた。
「黒いお姉さん、かたい」
「でも怖い」
「でもきれい」
「でもかたいよ」
「かたいの多くないですか」
私は小さく呟いた。
ルーザは聞かなかったことにしたようだ。
結局、最初の相手は、青い百合のような花になった。
私が青系統の装いだからという理由で、花たちの間でも納得がいったらしい。
その花はすらりとした茎をしならせ花弁を優雅に広げながら、私の前へ進み出る。人の手はない。だけど、葉が手のように差し出された。私はそれをそっと取る。
花と手を取るとは何なのか。
もはや深く考えない。
音楽が始まった。
ゆったりとした三拍子。舞踏会という言葉通りの、優雅な曲だった。
私は教わった通りに姿勢を整え、相手の動きに合わせる。
花は人間のように足で動くわけではない。
茎がしなり、根元がわずかに滑るように移動し、花弁が呼吸するように開閉する。
その動きに合わせるには、通常の舞踏とは少し違う感覚が必要だった。
相手の足を見るのではなく、風に合わせて布を動かすような感覚に近い。
だけど難しくはなかった。
むしろ楽しい。
私は相手の動きに合わせ、ほんの少しだけリードを取る。
青い百合が嬉しそうに揺れた。香りがふわりと強くなる。花の歌声が、曲に重なった。
「あなた、私の花言葉、わかる?」
曲の途中で、青い百合が囁くように言った。
花言葉。
私は花の色、香り、先ほどの言葉、そして動きを観察する。
青い花。しっとりした声。少し誇り高く、けれど過度に押し付けがましくない。夜明けの雫という比喩を使った。
透明感、誇り、静かな想い。現実の花言葉と完全に一致するとは限らないけれど、妖精の国の花言葉は、その花自身の性格にも反映されているはずだ。
「あなたの言葉は……静かな誇り、でしょうか」
青い百合が、ふるりと震えた。
次の瞬間、花弁が一斉に開く。
「正解!」
桃色と青の光が弾け、私の手元に花コインが数枚落ちた。さらに、小さな金色の光が一つ混ざる。
《花コインを獲得しました》
《ごきげんコインを獲得しました》
「すごい!」
「王子さま、花言葉当てた!」
「次、私!」
「次は私!」
「こっちも誇りある!」
「私はたぶん可愛い!」
「自分で言うんだ」
花たちの騒ぎが一段増した。
私は一曲を終えて礼をし、青い百合に「素敵な一曲をありがとうございました」と告げる。
すると青い百合は完全に照れたように花弁を閉じかけた。
花が照れるとは。
今日だけで何度目かわからない概念だけど、やっぱり可愛い。
「ラウラリア様」
「はい」
「花を増やしています」
「不可抗力です」
「一曲ごとに増える可能性があります」
「……ほどほどにします」
「本当に?」
「努力します」
「本当に?」
「はい」
信用が薄い。
次に意外な展開が起きたのは、ルーザだった。
花たちの一部が「黒いお姉さんも踊ってー」と騒ぎ始めた時、私は内心で、ルーザは断るだろうと思っていた。
ところが、彼女は一瞬だけ私を見て、それから静かに頷いたのだ。
「一曲だけなら」
「踊れるんですか?」
「騎士団式の儀礼の舞踏であれば」
さらっとすごいことを言った。
ルーザは、赤い椿のような花と向かい合った。
音楽が始まる。華やかというより、正確で、美しい。無駄がなく、姿勢が崩れず、相手の動きを完璧に受け止める。
笑顔はない。表情はほぼ無だ。だが、その無表情のまま、騎士団式の儀礼舞踏を完璧にこなす姿には、不思議な迫力があった。
花たちは最初「かたい!」「やっぱりかたい!」と騒いでいたが、途中から「でもきれい」「石像みたい」「動く石像!」「剣みたい!」と評価が変わっていく。
「動く石像は褒めてるのか?」
カイが小声で言う。
「たぶん褒めています」
「剣みたい、はルーザさん的にはどうなんだろうな」
「多分、花瓶よりは良いと思います」
曲が終わると、赤い椿が嬉しそうに花弁を震わせた。
「黒いお姉さん、かたくてきれい!」
「ありがとうございます」
「花言葉、わかる?」
「美徳、または気取らない優美でしょうか」
「正解!」
花コインが出た。さらにごきげんコインも一枚。
ルーザは淡々と受け取った。
「……ルーザ、普通にすごいですね」
「必要な教養です」
「騎士団副団長、踊りもできるんだな」
「儀礼ですので」
「俺、ルーザさんのこと少し誤解してたわ」
「どう誤解していたのですか」
「戦闘と魔術だけの人かと」
「必要なら踊ります」
「言い方が強い」
そして、その後に一番予想外の事件が起きた。
カイである。




