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第4話 美味しすぎるイベント

 私の言葉を聞いた老人は、すぐに何かを返すことはなく、ただ静かにじっとこちらを見つめていた。


 まるで値踏みされているみたいな感覚。

 言葉を発さないその数秒の沈黙が、妙に長く感じられて、私は自然と背筋を伸ばしていた。


 ……あれ?なんだろうこの感じ。さっきまではイベントNPCっていう認識だったはずなのに、今はそれが少しずつ剥がれていくような、そんな違和感がある。


「……ほう」

 低く、短く、押し出すような声が、静かに響いた。


 たった一言。それだけなのに、空気がほんのわずかに変わる。

 ……重くなった?


「おぬし、名は何という」


 唐突な問いかけだ。けれどその声音には、命令でもなく単なる確認でもない、どこか当然聞くものだというような確信が滲んでいた。

 私は一瞬だけ呼吸を整えてからゆっくりと口を開く。


「ええ、私はラウラと申します」


 軽く、しかし丁寧に一礼を添える。動作は滑らかに、視線は落としすぎず、それでいて不遜にもならない程度に。

 甘い異国風王子様RPは継続中だ。

 こういう細かい所作が後々効いてくることは知っている。NPCの好感度とかイベント分岐とか、そういうやつに。


 だからこそ、手は抜かない。


「ラウラ……」

 老人はその名前を、ゆっくりと、確かめるように繰り返した。まるで、その音の響きを吟味するように。そして、ほんのわずかに目を細める。


「よい名だ」


 ぽつりと落ちたその一言に、私はほんの少しだけ違和感を覚えた。褒められているはずなのに、それ以上の何かが含まれている気がする。

 ……いや、考えすぎかもしれないけど。


「……あなた、ただの人じゃないですよね」


 気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。

 完全に予定外の一言だけど、不思議と引っ込める気にはならなかった。


「ほう?気づくか」


 老人の口元が、わずかに吊り上がる。

 さっきまでの無表情に近い顔から一転して、どこか愉しげな色が混じる。


 その瞬間、私の中で何かがカチリと噛み合った。

 でもそれを顔に出すほど私は素直じゃない。むしろこういう時こそ余裕のある表情を崩さない方がいい。私はわずかに口元を緩めたまま、次の言葉を待つ。


 老人はゆっくりと身体を起こし、そして立ち上がった。

 その動きはさっきまで倒れていたとは思えないほど自然で無駄がない。


 背筋が伸びて視線の高さが変わる。

 立ち方一つでここまで印象が変わるのかと思うほど、その存在感は明確だった。


「改めて礼を言おう、ラウラよ」

 静かに、しかし確かな響きを持った声が落ちる。


「わしはバルタザール・ラ・ヘル。この街、ヘルを治める者じゃ」


 ……え?今、なんて言った?この街を、治める?

 それってつまり――


「……領主、ってことですか?」


 そのまま口に出してしまったけど、それを確認せずにはいられなかった。

 するとバルタザールは、当然のことのように頷いた。


「うむ」


 ……うむ、じゃないよ!?いやちょっと待って!?


 頭の中で情報が一気に整理され始める。

 この街の領主……つまり、トップ。NPCの中でも、明確に上位の存在。


 ゲーム的に言えば、初手で引くイベントの格じゃなくない?


 完全に想定外。チュートリアルすっ飛ばしてちょっと路地裏歩いただけで出てくるレベルじゃない。


 でも、ここで取り乱すのは絶対にダメ。

 私が今演じているラウラくんは絶対にそんなことしない。


 落ち着け、私。


 今の私はラウラ、甘い異国風王子様。

 多少のことでは動じない、余裕のある人物。


「それは……失礼いたしました」

 私はすっと姿勢を正し、改めて優雅に一礼する。


「お名前も存じ上げず、無礼な口を」

 声色は柔らかく、態度は丁寧に。内心の動揺は完全に押し込める。


 よし、完璧!


 するとバルタザールは、わずかに目を細めて、小さく笑った。

「構わぬ。むしろ、よい。おぬしはそれでよい」


 その言葉に、私はほんのわずかに眉を動かした。

 それって、どれ?無礼な口調?それとも――この距離感?


 考えがまとまる前に、次の言葉が落ちる。


「ラウラよ」

 名前を呼ばれる。

 さっきよりも少しだけ心の距離が近い響きで。


「おぬし、わしのもとに来る気はないか」


 来る?


 一瞬、意味を考える。仕える?従者?それとも――


 いずれにしても悪い話ではない。むしろ、かなり良い。領主直々のスカウトなんて、どう考えても美味しい展開だ。


 普通に考えれば、答えはYes一択。

 でも、私はすぐには答えなかった。ほんの少しだけ、呼吸一つ分の沈黙を入れる。それだけで相手の印象は変わる。即答しないというのも、立派な演出方法だ。


「……それは、どのような形で?」


 やんわりと問い返す。拒絶ではなく、かといって承諾でもない。あくまで興味があるから詳細を聞くというスタンスで。


 バルタザールは、ほんのわずかに口角を上げた。

 そして――あまりにもあっさりと、とんでもないことを口にした。


「簡単なことじゃ。おぬし、わしの息子になれ」


 ……は?

 今、何て言った?息子?養子?……え?


「……え?」

 完全に素の声が漏れる。


 ロールプレイどこいったの??

 いや無理でしょこれは、展開が飛びすぎてるし!?


 顔は余裕のある微笑みを浮かべているけれど、内心は疑問符が飛び交っていた。

 いや、これは仕方ないでしょ!!むしろ外面だけでも保っているのを褒めてほしいくらいだ。


 助けて、気に入られて、スカウトされた。


 ここまでは理解できる。

 でもそこからいきなり養子はおかしい。段階ってものがあるでしょ。


「いや、あの、それはさすがに――」

 そう言いかけて、そこで言葉を飲み込む。


 待って。


 これ、選択肢?それともイベント強制?もしここで断ったらどうなる?普通ルートに戻る?それとも、このルート自体が消える?


 頭の中で、可能性が一気に広がる。

 そして同時に、別の考えが浮かぶ。


 ――これ、めちゃくちゃ美味しくない?


 領主の息子、つまりこの街の中枢に入り込める。

 権限も資金も情報も、全てが手に入る可能性がある立場だ。


 しかも、この異国風王子ラウラくんをより王子様という高貴な身分に近づけることができる。ラウラの解像度が上がって、ロールプレイがより良くなる。

 正直これが一番でかい。


 冷静に考えれば考えると、とんでもない話だ。

 普通に進めてたら絶対に触れない領域に、いきなり片足を突っ込んでる。


 私はゆっくりと息を吐いて、思考を整える。

 そして、いつもの柔らかい微笑みを浮かべて顔を上げた。


「……光栄です」

 声は柔らかく、しかしはっきりと。

「ですが、そのお話――もう少し詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 即決はしない。その判断がラウラの価値を上げる。

 そして情報も引き出せる。


 するとバルタザールは――満足そうに、深く笑った。


「くく……よい。実によいぞ」

 その目が、まるで面白い玩具を見つけた子供のように笑っていた。

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