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第36話 欲張りさんだね


 結局、私たちはその場で即座にどれか一つを選ぶのではなく、まず三本の道をそれぞれ調べることにした。


 普通のイベントなら、ここで「左、中央、右のどれかを選んで進む」という場面なのだろうし、受付妖精も明らかにそういう流れを期待していた。


 何しろ彼はにこにこしながら空中で足をぶらぶらさせ、「どれにする?」「どれにする?」「早く選んで」「でも悩んでる顔も面白いからもっと悩んで」と、かなり自由なことを言っていたのだ。


 だが、こちらとしては妖精の国に来て最初の選択肢である。ここで何も調べずに一つを選ぶのは、いかにも妖精の思う壺という感じがしてならない。


「まずは、それぞれの道がどういう性質を持っているのか確認しましょう」

 私がそう言うと、ルーザは深く頷いた。


「賢明です。選択肢を与えられた場合、妖精は選ばせることそのものを楽しむ可能性があります。急いで選ぶより、情報を集めるべきでしょう」

「黒いお姉さん、かたい」

「褒め言葉として受け取ります」

「つまんなーい」

「それも褒め言葉として受け取ります」


 ルーザが妖精相手に全然揺らがない。

 受付妖精は明らかに不服そうな顔をしているのに、ルーザは淡々と受け流している。これは本当に相性が良いのか悪いのかわからない。


 私はまず、中央の白い小道へ近づいた。


 三本の中で一番まともに見える道だった。

 まっすぐ伸びていて、幅もほどよく、足元には白い小石が敷かれている。左右には低い草が揺れ、ところどころに小さな花が咲いているが、左の花畑ほど主張は強くない。


 こういう時、最も普通に見えるものが一番怪しいというのは物語のお約束だけど、同時に、妖精はそのお約束すら利用してきそうである。

 怪しいと思わせて本当に普通かもしれないし、普通だと思わせて怪しいかもしれないし、怪しいと思わせたうえでやっぱり怪しいかもしれない。つまり全部怪しい。

 考えれば考えるほど面倒だ。


 道の入口には小さな看板が立っていた。


《この道が正解》

 私は無言でそれを見た。


 ルーザも無言で見た。

 受付妖精はにこにこしている。


「……わかりやすいですね」

「はい。わかりやすすぎます」

「どう思います?」

「信用しない方がよろしいかと」

「ですよねー」


 すると看板が、かたかたと揺れた。


《ほんとうだよ》

「嘘っぽさが増しましたね」


《ほんとうだってば》

「看板が弁明を始めました」


《しんじて》

「余計に信用できない」


 その瞬間、看板の横からぽん、と小さな銀色の光が弾けた。

 私が思わず手を伸ばす。光が指先に触れると、小さな硬貨の形になって私の手のひらに落ちた。表面には笑っているような口の模様が刻まれている。


《嘘コインを獲得しました》


「……嘘コイン」

 私は手の中のコインを見つめた。


「今ので、ですか?」

「嘘を見破ったからでしょうか」


 ルーザが冷静に言う。

 受付妖精は悔しそうな顔をした。


「むー。早い。もっと悩んでほしかった」

「つまり、やはり嘘だったんですね」

「嘘じゃないもん」

「では正解ですか?」

「正解だけど、正しいとは言ってないよ」

「なるほど」


 私はゆっくり頷いた

 妖精の言葉遊びか。


「正解」と「正しい」は違う。

 つまり、この道は何らかの意味で正解ではあるが、私たちが求める意味で正しい道とは限らない。

 市場へ行けるかもしれないし、行けないかもしれない。あるいは市場へ行けるが、余計な試練を挟むのかもしれない。

 看板は嘘をついた。だが受付妖精の言葉もまた、完全な説明ではない。


 私は少しだけ笑みを深めた。


「ルーザ」

「はい」

「このイベントの攻略対象は道そのものではなく、言葉と条件ですね」

「その可能性が高いです」

「楽しくなってきました」

「でしょうね」


 ルーザの声には諦めが混じっていた。

 そこへカイからメッセージが飛んできた。


『ラウラ!!』

『嘘コインって何!?』

『俺も欲しい!!』

『今、木が「お前は森の王になれる」って言ってるんだけどこれ嘘!?本当!?』


 私は少し考えてから返信した。


『たぶん煽られています』


『やっぱり!?』

『でもちょっと嬉しかった!!』

『どうしたら嘘コイン出る!?』


『まず冷静になってください』


『無理!!木が褒めてくるから!!』


 カイ、だいぶ楽しそうだなー。

 木に説教された後、今度は褒められているらしい。忙しい人だ。いや、忙しいのは木かもしれない。


 私はメッセージを閉じると、次に左の花畑の道へ向かった。


 こちらは遠目にも華やかだったけど、近づくとさらにすごかった。

 赤、青、黄色、白、紫、金、見たことのない色まで混ざった花が、道の両側にびっしりと咲いている。


 花びらは薄く光り、風が吹くたびに鈴のような音を立てる。香りは甘いが、強すぎるわけではない。

 むしろこちらの気分に合わせて、少しずつ変わっているような気すらする。


 これ、吸い込みすぎたら何か起きるのでは?


 そう思っていると、ルーザがすっと私の横に並んだ。


「香りに微弱な魔力があります。毒性は低いようですが、長時間浴びると気分が高揚する可能性があります」

「つまり、花畑でテンションを上げさせて判断力を落とす?」

「その可能性があります」

「やっぱり危険ですね」

「はい」


 そう話していると、近くの花がこちらを向いた。

 花がこちらを向いた。


 いや、花に顔はないはずなのだが、明らかに向いた。茎がくいっと曲がり、花弁がこちらへ傾く。次の瞬間、周囲の花々が一斉にざわめき始めた。


「きゃー!きれいなひとー」

「青い目きれいー」

「王子さまだ!」

「こっち見てー」

「笑ってー」

「笑ったら花びらあげるー」

「笑わなくてもあげるー」

「でも笑ってよー!」


 私は思わず一歩止まった。

 花がめちゃくちゃ喋っている。


「……ルーザ」

「はい」

「花が喋っています」

「はい」

「しかも褒めてきます」

「はい」

「どうしましょう」

「花がラウラリア様に反応しています」

「花にも効くんですか、私の何かが」

「おそらく、種族特性か称号、あるいは所作による魅了効果に近い反応かと」

「花が魅了されている?」

「その可能性があります」


 私は頭を抱えたくなった。

 花まで魅了されるの?


 いや、妖精の国の花だから普通の植物ではないのだろう。

 魔力を持ち、歌い、会話し、こちらを認識するなら、精神的な影響を受けてもおかしくないのかもしれない。


 おかしくないのか?わからない。

 だが目の前で花が「王子さまー」「こっち向いてー」「青いひらひらー」と騒いでいるのは事実である。

 最後のはやめてほしい。父上の変なあだ名が妖精の国に先回りしていない?怖い。


 受付妖精がけらけら笑っている。


「花に人気だね!」

「嬉しいような困るような」

「花コイン出るよ」


 その言葉と同時に、いくつかの花がぱっと花びらを散らした。散った花びらは空中でくるくる回り、小さな桃色の硬貨になって私の前へ落ちてくる。


《花コインを獲得しました》


「……何もしていないのに」

「花が喜んだためでしょう」

「私、歩いただけですよ」

「歩き方が良かったのでは」

「それはそれで複雑です」


 ルーザは真顔だった。

 花たちはまだ騒いでいる。


「王子さま笑ってー」

「黒いお姉さんも笑ってー」

「黒いお姉さんかたいー」

「かたいのもいいー」

「かたい花瓶みたいー」


 ルーザがぴたりと止まった。


「花瓶」

 声が低い。


 花たちが一瞬静まる。

 受付妖精が「あ」と言った。


 次の瞬間、花たちは一斉に方向を変えた。


「黒いお姉さんきれいー」

「かっこいいー」

「花瓶じゃないー」

「ごめんねー」

「でもかたいー」


「そこは譲らないんだ」


 私が思わず突っ込むと、花たちはきゃらきゃら笑った。

 ルーザは無表情だが、ほんの少しだけ眉間に皺が寄っている。この花たちはルーザの新しい表情を引き出すのが上手い。

 これはこれで価値があるかもしれない。


 それから右の小川沿いの道も確認した。


 こちらは見た目だけなら一番穏やかだった。

 澄んだ水が小さな川を作り、道の横を流れている。ただし、その水は時々上流へ戻るし、川の中では小さな鳥が泳いでいる。


 鳥である。魚ではない。


 羽を器用に使って水中を泳ぎ、時折くちばしで泡をつついている。

 逆に空では魚が泳いでいるので、どうやらこの国では鳥と魚の居場所が交換されているらしい。

 誰が決めたのかは知らないが、当人たちが平気そうなのでたぶん問題ないのだろう。妖精の国では、本人たちが納得しているならそれが正解なのかもしれない。


 いや、魚と鳥に本人という概念を持ち込んでいいのかはわからないけど。

 小川へ近づくと、水面がぽこりと泡立った。


「流される?」


 水が喋った。私はもう驚かない。

 いや、少し驚いたけれど、顔には出さなかった。ラウラくんとしての矜持である。


「流されるとどうなりますか?」

「早いよ」

「どこへ?」

「知らない」

「知らないんですか」

「流してみないとわかんない」

「危険ですね」

「楽しいよ」

「危険と楽しいが同じ意味になりつつありますね」


 ルーザが静かに私の袖を押さえた。


「ラウラリア様」

「はい」

「乗ろうとしましたね」

「まだ足を出していません」

「意識が前に出ていました」

「そんなことまでわかるんですか」

「わかります」


 護衛というか、監視役として完璧すぎる。

 その時、またカイからメッセージが飛んできた。


[ラウラ!!]

[川に乗ったら知らない場所に出た!]

[でも迷子コイン拾った!]

[あと鳥が水中で泳いでる!!]

[こいつら俺より泳ぎ上手いぞ!!!]


 私は無言でそのメッセージを見た。


 そしてルーザにそれを伝えた。

 ルーザは無言で読み、静かに言った。


「カイ様は反面教師として非常に優秀ですね」

「そうですね」


[カイ、迷子コイン出た?]


[出た!!]

[迷子になったら出た!!]

[でもここどこ!?]


[それが迷子なんですよねー]


[なるほど!!]


 納得しないでほしい。

 だが、おかげで迷子コインの発生条件が判明した。


 迷子になること。おそらく本人が迷子だと認識するか、妖精の国側が迷子判定を出すと獲得できるのだろう。

 つまり、効率的に集めるには意図的に迷う必要がある。

 何そのイベント。斬新すぎる。


 私は三本の道を見比べながら、ゆっくりと思考を整理した。


 中央の道では嘘コイン。左の花畑では花コイン。右の小川では迷子コインの可能性。

 そして受付妖精の説明からすると、コインは単に拾うものではなく、条件を満たすことで発生するものが多い。


 つまり、イベントの本質は「マップ上のコインを探す」だけではない。妖精の国のルールを理解し、その場ごとの条件を見抜き、意図的に発生させることだ。


 私は少しだけ笑った。


「ルーザ」

「はい」

「このイベント、かなり面白いですね」

「でしょうね」

「コイン集めではなく、コイン発生条件の解析が重要です」

「おそらくその通りです」


「普通の探索勢は、目に見えるコインを集める。交渉勢は妖精を喜ばせる。検証勢は条件を探る。戦闘勢はたぶん魔物から何かを得る。かなり幅が広い」


「そしてラウラリア様は、全て試したくなっている」

「……はい」

「正直でよろしいです」


 ルーザは少しだけ諦めたように言った。

 受付妖精が嬉しそうに空中で回る。


「やっぱり印がついてる子は違うね!」

「褒めています?」

「面白いって言ってる!」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「じゃあ、どの道行く?」


 私は三本の道を見た。

 そして言った。


「順番に全部、少しずつ確認します」

「え」


 受付妖精が固まった。


「普通、ひとつ選ぶんだけど」

「普通ではないので」

「欲張りさん?」

「情報収集です」

「欲張り情報収集だ!」

「言い方」


 妖精はしばらく私を見つめたあと、ぱっと笑った。


「でも面白いからいいよ!」

 許可が出た。


 妖精基準では、面白ければだいたい通るらしい。これは危険だけど便利だ。

 使い方を間違えるとひどいことになるが、うまく利用すればルールの外側を歩ける可能性がある。

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