第34話 妖精の国、開門
そんなわけで、妖精の国へ向かう準備は、私の中で「イベント参加の準備」から「面倒そうだけど絶対に面白い何かへ突っ込むための準備」へと完全に変化した。
ただし、いくら面白そうだからといって、何も考えずに突撃するわけにはいかない。
私はラウラリア・ラ・ヘルだ。
ヘル家の養子であり、次期跡継ぎ候補であり、父上から一応は貴族としての教育を受けた身である。
だからこそ、私はきちんと段取りを踏む必要があった。
具体的には、父上に推薦されたルーザ本人へ事情を説明し、同行の可否を確認することだ。
父上が推薦している以上、断られる可能性は低いのだろうが、それでも本人の意思を無視して「はい、あなた妖精の国行きです」とするのは違う。
いや、領主家の人間なら命令として通すこともできるのかもしれないけれど、少なくとも私の感覚ではちょっと嫌だ。
ルーザは訓練で世話になった相手でもあるし、何より妖精の国という未知のイベントへ連れて行くのだから、本人に説明して納得してもらうのが筋ってものだ。
ということで、その日の夕方、私はカイとレアを連れて訓練場の方へ向かった。
カイがついてくる必要があるのかと一瞬思ったけれど、彼は彼で妖精の国へ参加する当事者であり、赤の塔の関係者であり、そして私の友人である。
加えて、ルーザとはすでに何度か顔を合わせている。最近カイは屋敷に入り浸っているせいで、マルコスやラニアどころか、訓練場の騎士たちにも妙に認識され始めていた。
本人は外向けモードの時に無口で冷たい顔をしているため、初対面の相手には「近寄りがたい実力者」みたいな印象を与えがちなのだが、屋敷の者たちはだんだん彼の本質に気づき始めているらしい。
つまり、見た目は冷たい水色の美形、中身は大型犬、ダンジョンの話になると目が輝く変な異界人、という評価である。大体合っている。
「なんか今、失礼なこと考えただろ」
「考えていませんよ」
「絶対考えてた」
「カイは勘が良いですね」
「認めたな?」
私は軽く笑って誤魔化した。誤魔化せてはいない気がするけど、気にしない。
訓練場へ着くと、ルーザはちょうど若い騎士たちに魔術制御の指導をしているところだった。
彼女は相変わらず落ち着いていて、長い黒髪をまとめ、余計な動きを一切せずに淡々と説明している。声は大きくないのになぜかよく通る。騎士たちも真剣に聞いていた。
あれを見ると、彼女が副団長であることにも納得がいく。
マリスが陽の団長なら、ルーザは静の副団長という感じだ。
しかも、その静けさの中にちゃんと圧がある。
感情の起伏は少ないけれど、絶対に甘くはない。
訓練中に魔力制御を雑にした騎士が一人、ルーザに淡々と「今の流れは無駄が多いです」と言われて、なぜか剣で斬られたみたいな顔をしていた。
言葉が静かな分刺さるのだろう。わかる。
私たちが近づくと、ルーザはすぐにこちらへ気づいた。
騎士たちへ一度指示を出し、訓練を区切ってから、静かな足取りでこちらへ歩いてくる。
「ラウラリア様、何かございましたか」
「少し相談がありまして。お時間をいただけますか?」
「はい。構いません」
返答はいつも通り落ち着いていた。
そのまま訓練場の隅にある休憩用のテーブルへ移動する。屋敷の客室ほどではないが、ここにも簡易的な椅子とテーブルがあり、使用人がすぐに水と軽い茶を用意してくれた。
こういうところは、本当にこの屋敷は隙がない。どこへ行ってもそれなりに快適な会話空間が成立する。領主家すごい。
私は軽く礼を言って席に着き、それからルーザへイベント告知の内容を説明した。
妖精の国への招待状。期間限定イベント。コイン収集。限定報酬。従魔または仲間NPCを一人まで同行可能であること。妖精について父上から聞いた注意点。そして、父上がルーザを同行者として推薦したこと。
その説明を、ルーザは最後まで黙って聞いていた。
表情は大きく変わらないけど、目だけが少しずつ真剣になっていくのがわかった。
そして私が話し終えると、彼女は一度だけゆっくり瞬きをした。
「なるほど」
「はい」
「つまり、ラウラリア様は妖精の国へ赴かれる」
「そうなります」
「そこへ同行する者として、私が候補に挙がっている」
「はい」
「バルタザール様の推薦で」
「はい」
「ラウラリア様ご本人も、私の同行を前向きに考えておられる」
「そうですね」
ルーザはそこで少し黙った。
そして、非常に落ち着いた声で言った。
「お断りしてもよろしいでしょうか」
「だめです」
即答してしまった。
いや、自分でもちょっと早かったと思う。だけど、あまりにも綺麗に断ろうとするので、つい反射で止めてしまったのだ。
隣でカイが吹き出しかけている。レアは目を丸くしている。ルーザは相変わらず真顔だった。
「理由を伺っても?」
「危険です」
「それは妖精の国が?」
「それもあります」
「他には?」
「ラウラリア様が」
「私?」
また私だった。
最近この流れ多くない?
「ルーザ、私そんなに危険ですか?」
「はい」
「即答」
「ラウラリア様は、危険に対して慎重であるように見えて、面白そうなものに対しては非常に前向きです」
「……」
「新しい情報や隠し要素に対して目が輝きます」
「……」
「しかも、ご自身では冷静に判断しているつもりで、実際にある程度は冷静なのですが、最終的に踏み込む判断が早いです」
「……」
「妖精が最も好みそうな型です」
私は無言になった。
なぜだろう。反論したいのに、具体的な反論材料が見つからない。カイが横で「わかる」と小さく呟いた。聞こえてるからな。レアも少しだけ視線を逸らした。あなたまで?
「つまりルーザから見ても、私は妖精に絡まれそうですか?」
「かなり」
「父上と同じこと言う」
「バルタザール様もそう仰っていたのですか」
「はい」
「では確度は高いかと」
「嫌な確定をしないでください」
ルーザは真顔のままだった。真顔で淡々と私を危険人物扱いしてくる。
いや、危険人物というか、妖精ホイホイ扱いだ。ひどい。だけど、たぶん間違っていないのがもっとひどい。
カイが手を挙げる。
「じゃあ俺は?」
ルーザはカイを見た。
数秒見た。
そして言った。
「カイさんも危険です」
「なんでだよ!?」
「好奇心が強く、勢いがあり、警戒より先に反応が出ます」
「ぐっ」
「加えて、外見と内面の差が大きいため、妖精に観察されやすいと思われます」
「それはどういう意味だ!?」
私は口元を押さえた。
ルーザ、すごい。ものすごく冷静にカイの本質を刺してくる。
外見と内面の差が大きい。つまり冷たい美形なのに大型犬。妖精が絶対に面白がる組み合わせだ。
「カイ様の場合、妖精にからかわれた際の反応が良すぎる可能性があります」
「反応が良すぎる」
「はい」
「俺ってそう見えてるの?」
「はい」
カイが机に突っ伏した。
私は耐え切れず笑ってしまった。レアも肩を震わせている。
ルーザはやはり真顔だ。真顔でこの破壊力、強い。
この人はたぶん妖精に対しても強い。少なくとも妖精がいたずらを仕掛けても「なるほど」とか言って淡々と分析しそうだし、妖精側が逆に調子を崩しそう。
「ルーザ」
「はい」
「それでも、同行していただけませんか?」
私は改めて姿勢を正した。
「妖精の国がどういう場所か、まだわかりません。戦闘だけなら別の選択肢もあるでしょうが、今回は魔術的な現象や幻術、言葉による罠、契約のようなものが関わる可能性が高い。父上も、妖精相手には慎重であれと言っていました。だから、冷静に判断できて、魔力の流れを見られて、そして私が変なものへ突っ込みそうになった時に止めてくれる人が必要です」
「止めてよろしいのですか?」
「必要なら」
「物理的にも?」
「……必要なら」
「承知しました」
「今、ちょっと嬉しそうでした?」
「いえ」
いや、絶対ちょっと嬉しそうだった。
表情はほぼ変わっていないが、声がわずかに前向きだった。ルーザ、もしかして私を止める役にやりがいを感じていない?気のせいかな。気のせいだといいな。
ルーザは少しだけ視線を落とし、それから真面目な顔で頷いた。
「バルタザール様のご命令であり、ラウラリア様ご自身のご希望でもあるならば、同行いたします」
「ありがとうございます」
「ただし、条件がございます」
「条件?」
「妖精の国では、私の警告を軽視しないでください」
「はい」
「知らない飲食物を口にする前に確認してください」
「はい」
「妖精との約束は、その場で即決しないでください」
「はい」
「面白そうだから、という理由で進路を決めないでください」
「……はぁい」
「今、間がありました」
「ありましたね」
「守ってください」
「努力します」
「守ってください」
「はい」
私は頷くしかなかった。
カイは横で笑っているが、すぐにルーザの視線がそちらへ向いた。
「カイさんもです」
「俺も!?」
「はい。特にカイさんは、妖精に煽られて勝負を受けそうです」
「いや、受けないし」
「『怖いの?』と言われたら?」
「受けるかも」
「ほら」
「今の誘導尋問だろ!」
「妖精も似たようなことをします」
「くそっ、説得力ある!」
カイが頭を抱えた。
これは本当に妖精対策として有能かもしれない。少なくとも、私とカイだけで行くよりは事故率が下がる。……下がるはず。
いや、私たち二人が同時に面白そうなものへ引っ張られた時、ルーザ一人で止められるのかという問題はあるが、そこは頑張ってもらうしかない。ごめんルーザ。
その後、ルーザはそのまま簡易的な妖精対策講座を始めた。
彼女の説明は父上よりも実務寄りだった。
父上は「妖精は面倒じゃ」「食べ物に気を付けろ」「名前を気軽に渡すな」といった、経験則と雑な例えを混ぜた話し方だったが、ルーザはもっと細かい。
妖精の魔力は自然の魔力と混ざりやすく、幻術や認識阻害に近い現象を起こす場合がある。
妖精の道は通常の空間認識とズレることがあり、目で見た距離と実際の距離が一致しない可能性がある。
妖精の言葉は契約として働く場合があり、強制力の有無は状況によるが、軽く返事をしただけでも条件成立と見なされることがある。
妖精の食べ物は毒ではなくても影響を与えることがあり、その効果は肉体よりも精神や感覚に出ることが多い。
聞けば聞くほど、妖精の国はテーマパークというより、綺麗な顔をした事故多発地帯だった。
「……思っていたより、だいぶ本格的ですね」
「妖精ですので」
「便利な言葉」
「便利ですが事実です」
ルーザは淡々としていた。
カイは途中からメモを取り始めていたが、その内容をちらりと見ると、「妖精罠案②:返事したら床がふわふわになる」「妖精道:赤の塔応用可能?」「名前罠:侵入者に変なあだ名付与?」みたいなことが書いてあったので、私はそっと見なかったことにした。
だめだこのダンジョンマスター。
妖精対策講座を受けながら赤の塔への応用しか考えていない。いや、私も少し考えていたけど。
その日の話し合いは、結局かなり長引いた。
ルーザの同行が決まり、レアは赤の塔の管理役として残ることが正式に決まり、カイは自分の側の同行候補をどうするかまだ少し悩んでいたが、最終的には「今回は単独で行く」と決めたらしい。
理由はダンジョン側にあまり人材がいないことと、妖精の国で余計な存在を連れて行くより自分の判断だけで動いた方が良い場面もありそうだから、とのことだった。
意外とまともな判断。
カイ、普段は犬なのに時々ちゃんとしているから油断できない。
イベント前日は、思っていたよりも穏やかに過ぎた。
もちろん準備は忙しかった。赤の塔の自動運用方針をカイが設定し、レアが管理項目を確認し、私はルーザと持ち物や装備、妖精の国での行動方針を詰めた。
飲食物は不用意に口にしない。妖精の誘いは一度持ち帰る。怪しい道はルーザに確認する。コイン収集はするが、それだけに囚われない。限定報酬の価値を見極める。面白そうなものを見つけたら、まずは一呼吸置く。
最後の項目だけ、ルーザが三回確認してきた。
信用がない。
いや、ある意味では正しい信用なのかもしれない。
夕方にはレアが私の部屋へやって来て、小さなお守りを渡してくれた。銀色の細い飾りで、中心に淡い青い石が嵌め込まれている。派手ではないが、品があった。
「妖精避けですか?」
「そこまで強力なものではありません。ただ、魔力の乱れを少しだけ整える効果があります」
「ありがとう。助かります」
「どうかお気をつけて」
「赤の塔、任せますね」
「はい。必ず」
レアの返事は力強かった。
私はそれを聞いて安心した。彼女なら大丈夫だ。少なくとも、私とカイがいない間に赤の塔を変な方向へ暴走させることはないだろう。
いや、私とカイがいる方が変な方向へ暴走する可能性が高いのでは?
……気づかなかったことにしよう。
そしてイベント当日。
ヘルの街は、朝から完全に祭りだった。
普段から冒険者やプレイヤーの多い街ではあるが、その日は明らかに空気が違った。
広場には異界人たちが集まり、ギルド前ではイベント開始を待つ者たちが騒ぎ、露店では妖精の国に持っていくための携帯食やポーションが飛ぶように売れている。
中には「妖精対策!」と書かれた怪しい護符を売っている商人もいたが、あれはたぶん便乗商法だ。
いや、もしかしたら少しくらい効くのかもしれないけれど、値段が妙に高かったので私は買わなかった。カイは一瞬買いそうになって、ルーザに無言で見られてやめた。良い判断だと思う。
私たちはお忍び用の服装で街へ出た。
私は紺色のフード付きローブに、認識阻害のイヤリング。ルーザは動きやすい黒系の装備に軽い外套を羽織っている。
派手さはないが、立ち姿が綺麗なので結局目立つ。カイはいつもの水色の髪と黒い翼があるので、そもそも隠れる気があるのか疑わしい。
本人は涼しい顔をしているが、隣にいる私は「この人、目立ってるなぁ」と思っていた。まあ私も人のことは言えない。
「ラウラ」
「何ですか」
「すげぇ人だな」
「ですね」
「イベントって感じするな」
「しますね」
「テンション上がるな」
「わかります」
「走っていい?」
「だめです」
「まだ何も言っていませんよね?」
ルーザがすぐに反応した。
カイはしょんぼりした。犬だった。
広場の中央には、イベント開始用と思しき巨大な魔法陣が浮かび上がっていた。
普段は何もない石畳の上に、淡い緑と金の光が幾何学模様を描き、その周囲を花びらのような光が舞っている。
開始時刻が近づくにつれて、その光は少しずつ強くなっていき、周囲のプレイヤーたちのざわめきも大きくなっていった。
そして十五時、空が揺れた。
最初は風かと思ったけど、違う。
空そのものが、水面のように波打ったのだ。
広場中の視線が一斉に上を向く。誰かが声を上げる。
カイが「うお」と小さく漏らし、ルーザが静かに警戒姿勢を取る。私もまた、息を呑んで空を見上げた。
次の瞬間。
空に、巨大な花の門が咲いた。
それは本当に咲いたとしか言いようがなかった。
空の一点がほころび、そこから光の花弁がゆっくりと開いていく。花びらは淡い金色と緑色を帯び、縁には虹色の光が流れていた。
門の向こうには、見たこともない色の空と、逆さまに流れる川のようなものがちらりと見える。巨大な花の香りが、風に乗って広場へ降りてきた。
綺麗だった。悔しいくらい綺麗だった。
そして同時に、ものすごく怪しかった。
その門の奥から、鈴を鳴らしたような声が響く。
⦅ようこそ、招待客たち⦆
声は明るく、楽しげで、少しだけ笑っているようだった。
⦅いっしょに遊ぼう!!⦆
その言葉が落ちた瞬間、花の門が完全に開いた。
プレイヤーたちから大歓声が上がる。広場全体が熱に包まれる。カイが目を輝かせている。ルーザが私の方を見て、無言で「落ち着いてください」と言っている気がした。
私は小さく頷く。大丈夫、大丈夫だ。たぶん。
けれど、門の奥を見た瞬間、胸の奥がどうしようもなく高鳴った。
妖精の国。
ようやく、その扉が開いたのだ。




