第33話 イベントの同行者
妖精の国への参加がほぼ決まってからというもの、ヘル家の屋敷の一角は完全にイベント前の作戦会議室と化していた。
もともとは赤の塔の経営会議に使っていた客室。
広めの机があり、窓からは庭園が見え、座り心地の良い椅子が並び、頼めば紅茶と菓子が出てくるという会議をするには少々快適すぎる部屋だった。
最近ではそこに赤の塔の地図やら、収益報告書やら、ギルドから届いた評価書やら、魔物の配置案やらが積み上がり、もはや完全に私とカイの悪巧み部屋になっていたのだが、そこへ今度は《妖精の国への招待状》関連の資料まで増えたものだから、机の上は一気に混沌とした。
赤の塔の階層図の横に妖精の伝承資料が置かれ、素材流通の報告書の上にイベント告知の写しが乗り、さらにカイが「妖精罠案」と書いた謎のメモを勝手に混ぜるものだから、見た目だけならかなり優秀な者たちが何か大きな事業について議論しているように見えるのに、中身は半分くらい「妖精に足音をラッパに変える罠をもらえないか」という話なのだ。
いや、でも足音ラッパ罠はかなり嫌だと思う。
広い通路を慎重に歩いている冒険者が、一歩踏み出した瞬間に「ぱぁん!」みたいな音を鳴らされたら、たぶん本人も仲間もびっくりするし、近くにいる魔物も寄ってくるし、何より精神的に嫌だ。
命を奪うほどではないのに、侵入者の集中を削り、警戒心を過剰に上げ、しかも周囲の冒険者から「今の何?」という視線を浴びる。
うん、性格が悪い。赤の塔にぴったりでは?
そんなことを考えている時点で私もだいぶカイに毒されている気がする。いや、私が元からこうなのかもしれない。そこは深く考えないことにした。
「ラウラ」
カイが机に両肘をつきながら、妙に真面目な顔でこちらを見てきた。
外向けの冷たい美形顔ではなく、完全に中身が出ている方の顔だ。
要するに、何か面白いことを思いついた犬の顔。
顔立ちは綺麗なのに、目がきらきらしているせいで、威厳とか冷気とかそういうものが全部どこかへ行っている。
「何ですか、カイ」
「妖精の国でさ」
「はい」
「もし妖精罠が手に入ったら、赤の塔の何階に置く?」
真面目な顔で何を聞いているんだこの人は。
私は一瞬そう思ったが、質問自体はかなり重要だった。妖精の国で得られるものが赤の塔に転用できるかどうかはイベント参加のリターンとしてかなり大きい。
限定素材や称号も重要だが、ダンジョン経営に使えるギミックが手に入るなら話が変わる。何しろ赤の塔は今まさに「嫌らしいが旨味もあるダンジョン」として成長中なのだ。
そこへ妖精由来の予測不能要素を加えられれば、他のダンジョンとの差別化にもなるし、攻略者の記憶にも残る。
「入口付近は避けたいですね」
「やっぱり?」
「最初から妖精罠を置くと評判が終わります。『あそこは一階から足音がラッパになる』みたいな噂が出たら、新規冒険者が来る前に笑いものになります」
「でも逆に話題性があるだろ」
「話題性と集客力は必ずしも一致しません」
「経営者っぽいこと言うじゃん」
「実際、経営者側ですからね」
自分で言って少しおかしくなった。
普通の女子高生だったはずなのに、今の私はゲーム内で領主家の養子となり、赤の塔の経営に関わり、ダンジョンの評判と収益と侵入者の心理を考えながら、妖精イベントの限定罠の配置先を検討している。
何なんだこの人生。いや、ゲーム内人生だけれど。
だけど現実の私もかなり巻き込まれているので、もはや完全に切り離すのは難しい。
「置くなら中層以降ですね。ある程度進んだ冒険者が、そろそろ慣れてきたかなと思ったあたりで、急に妖精系の変な罠が出る。そこで『この塔、奥に行くほどおかしくなるぞ』という印象を作る」
「いいな!」
「ただ、やりすぎると攻略意欲が折れるので、報酬も一緒に置きたいです。妖精罠を突破した先に限定素材があるとか、罠そのものがヒントになっているとか」
「ヒント罠か」
「そうです。嫌がらせだけではなく、解けたら気持ちいい方向へ寄せる」
「ラウラ、やっぱり性格悪いけどちゃんと商売考えてるよな」
「褒めています?」
「褒めてる」
「なら受け取っておきます」
そう言って私が紅茶を飲むと、隣で資料を整理していたレアが小さく咳払いをした。彼女は最近、この会議室における常識係になりつつある。
というか、完全に入り浸ってるせいでもう既に運営側に片足ツッコんでいるというか、私かカイがダンジョンマスターだということはほぼバレている。
まぁ、バルタザールにはバレていないみたいだし、レアも他に話すつもりはないようなので良いのだけど。
というか、私とカイだけだと話がどんどん「面白いからやろう」へ流れていくため、誰かが「それは費用対効果が」「領主家の品位が」「ギルドへの説明が」と軌道修正しなければならない。
そしてその役割を担っているのがレアである。若いのに大変だなと思う。私の部下だけど。
「ラウラリア様、カイ様。妖精罠の配置について考えるのはイベント後でよろしいかと」
「正論ですね」
「正論だな」
「まずは、イベント参加時の同行者を決めるべきです」
それを言われると、私は思わず視線を逸らした。
そうなのだ。そこがまだ決まっていない。
イベント概要には、従魔または仲間NPCを一人まで同行可能とある。
カイはダンジョンマスターという特殊な立場で、彼にも彼なりの同行候補がいるらしいが、私の問題は私の問題として存在する。
レアを連れて行くのが一番自然ではある。彼女は私の直属で、知識もあり、忠誠心も高く、戦力としても期待できる。
だが、赤の塔の通常管理を任せるなら彼女を連れて行くわけにはいかない。
マルコスやラニアは頼りになるが、屋敷の中核をイベントに連れ出すのはさすがにどうなのかという問題がある。
戦闘職の誰かを連れて行く案もあるが、妖精の国が単純な戦闘イベントでないなら、戦力だけで選ぶのは危険だ。
そして父上は論外だ。
いや、戦力としてはたぶん最強格だし、妖精についても知っているし、いざという時の対応力も高いのだろうが、バルタザール・ラ・ヘルを同行NPCとして妖精の国へ連れて行くのはどう考えても絵面がおかしい。
イベント攻略ではなく領主の外交視察になる。
妖精の国へ遊びに行くプレイヤーたちの中に、ヘルの領主が堂々と歩いていたら、それはもう別ジャンルだ。妖精たちも面白がるだろうが、私の胃が先に終わる。
「やっぱりレアを残して、別の人を探すべきですかね」
「私は残ります」
レアは即答した。
その顔には、少しだけ残念そうな色があった。
けれど、それ以上に仕事を任された者の責任感があった。
行きたい気持ちはあるのだろう。妖精の国という未知の領域に興味がないはずがない。だが、それでも赤の塔を任された以上、彼女は自分の役割を優先するつもりなのだ。
「本当は行きたいですか?」
私がそう尋ねると、レアは一瞬だけ目を泳がせた。
「……少し」
「ですよね」
「ですが、赤の塔は今が大事な時期です。報告、資源管理、宝箱補充、ギルド対応、収益の集計、侵入者の評価確認、どれも途切れさせるべきではありません。それに、ラウラリア様が妖精の国で得たものを赤の塔へ転用するのであれば、こちら側の基盤を整えておく者が必要です」
やっぱり有能だ。
私は少しだけ胸が温かくなるのを感じた。レアは単に留守番をするのではない。
私たちが外で何かを得てくる前提で、その受け皿を整えようとしている。つまり彼女はもう完全に私たちの運営側の一員なのだ。
「では、赤の塔はレアに任せます」
「はい!」
「ただし、無理はしないこと。何かあればマルコスやラニアに相談してください。カイにも可能な範囲で連絡を」
「承知いたしました」
レアは嬉しそうに頷いた。私はその様子を見て、つい微笑んでしまう。
するとレアは一瞬だけ固まり、少し赤くなった。……しまった。今の笑み、もしかして【魅惑の微笑み】寄りに入った? いや、軽くだ。たぶん軽い。たぶん。
横からカイがじとっとした目を向けてきた。
「またやった?」
「してません」
「本当か?」
「自然です」
「自然に出るのが一番怖いんだよなぁ」
「失礼ですね」
「いや、レアの顔見ろよ」
見た。赤かった。私はそっと視線を逸らした。不可抗力です。
そんなやり取りをしていると、部屋の扉が静かに開いた。ノックはない。ノックがない時点で、誰が来たのかは大体わかる。私たちはほぼ同時にそちらを見た。
「父上」
「うむ」
バルタザールは相変わらず堂々と入ってきた。
人の会議室に入る時に、ここまで自然に空気を支配できるのはすごいと思う。カイは瞬時に外向けの冷たい美形へ戻り、レアは直立し、私は自然と背筋を伸ばした。もう条件反射である。怖い。
「妖精の国の話をしておったな」
「聞こえていましたか」
「屋敷の中で面白そうな話があれば、だいたい耳に入る」
「父上、情報網が強すぎません?」
「領主ゆえな」
「便利な言葉ですね」
バルタザールは軽く笑うと、私たちの正面に腰掛けた。完全に話す気である。しかも、どこか楽しそうな顔をしている。これは絶対に何か言いたいことがある顔だ。
「同行者に悩んでおるようじゃな」
「はい」
「ならば、わしから一人推薦してやろう」
その言葉に、私は思わず身を乗り出した。
「推薦?」
「うむ」
「誰ですか?」
バルタザールはそこで少しだけ間を置いた。わざとだ。絶対にわざとだ。こういうところが本当に人の反応を楽しむ人である。そして、十分に私たちの視線を集めてから、彼は実にさらりと言った。
「ルーザじゃ」
私は一瞬、名前を頭の中で探した。
ルーザ。
騎士団副団長で、魔術訓練を担当してくれた落ち着いた黒髪の女性。
戦闘力があり、魔術に詳しく、静かで、余計なことを言わないタイプ。
「……ああ」
確かにありだ。かなりありだ。
妖精の国が探索と判断と魔術的な現象の絡む場所なら、ルーザはかなり頼れる。
戦闘職でありながら、魔術的な知識と冷静さを持っている。マリスのような明るい騎士団長も頼もしいが、妖精相手に突っ込みすぎると危ない可能性を考えると冷静なルーザの方が合っているかもしれない。
「ルーザなら、妖精の幻術や魔力の揺らぎにもある程度対応できるじゃろう。それに、あやつは感情を大きく乱さん。妖精の挑発にも乗りにくい」
「なるほど」
「あと、面白い」
「え?」
「反応が薄いので、妖精が逆に困るかもしれん」
「そこですか!?」
いや、でも想像してしまった。
妖精がいたずらを仕掛ける。ルーザが無表情で対処する。妖精が「え、驚かないの?」みたいな顔をする。ルーザが淡々と「危険性は低いと判断しました」と言う。妖精が悔しがる。
……見たい。かなり見たい。
カイも口元を押さえていた。カイはこの屋敷に入り浸っているせいか、いつの間にか屋敷の全員と面識があるため、当然ルーザともあったことはある。
私と同じような想像をして、笑いそうになったのだろう。わかりみが深い。
「ルーザさん、妖精メタじゃん」
「メタと言うな」
「いやでも強そう」
「強そうですね」
戦力としても、知識枠としても、冷静な観察役としても良い。
しかも屋敷運営の中核であるマルコスやラニアを動かさずに済む。これはかなり現実的な選択肢だった。
「では、ルーザに同行を依頼してみます」
「うむ。嫌とは言うまい」
「嫌とは言わないでしょうけど、妖精の国へ行きたいかどうかは確認します」
「真面目じゃな」
「そこは真面目なんです」
「よい」
バルタザールは満足そうに頷いた。
父上の推薦ならほぼ決まりだろうが、それでも本人の意思確認は大事だ。私はルーザが淡々と「承知しました」と言う姿を想像した。
似合う。とても似合う。妖精の国で一人だけ平常運転していそうだ。
「しかし父上」
「何じゃ」
「妖精の国で気をつけるべきことは他にもありますか?」
そう尋ねると、バルタザールは少しだけ考え込むように腕を組んだ。そして、真面目な顔で言った。
「妖精の食べ物は勝手に食うな」
「急に具体的」
「大事じゃ」
「何が起きるんですか?」
「美味い」
「いいことでは?」
「美味すぎるのじゃ」
「それは……いいことでは?」
「帰ってから普通の食事がしばらく物足りなくなる」
「地味に最悪!」
それは嫌だ。かなり嫌だ。食事の楽しみを奪われるのは普通に困る。
高位魔族になってから味覚がどうなっているのか細かく検証していないが、少なくとも私は美味しいものが好きだ。
妖精の国で変なものを食べて、帰ってから屋敷の食事を「なんか普通だな」と感じるようになったら、ラニアに申し訳ないし、私の生活の幸福度が下がる。
「あと飲み物も気をつけよ」
「飲むとどうなるんですか?」
「笑いが止まらなくなるもの、歌いたくなるもの、眠くなるもの、逆に三日眠れなくなるものなどがある」
「怖い」
「全部見た目は綺麗じゃ」
「余計怖い」
「妖精の国で出されるものは、基本的に綺麗で美味そうじゃからな」
「罠じゃないですか」
「罠ではない。もてなしじゃ」
「もてなしの定義!」
カイが楽しそうに突っ込む。
バルタザールも楽しそうだ。レアは真面目にメモを取っている。
私は頭の中で「妖精の国で飲食物には注意」と大きく書いた。イベントで食べ物に警戒することになるとは思わなかった。
いや、でも妖精らしい。とても妖精らしい。
「それから、名前を安易に教えるな」
その言葉に、今度は少しだけ空気が変わった。とはいえ暗くはない。ただ、重要事項が来たという感じだ。
「名前ですか」
「うむ。妖精にとって名前は遊び道具にも鍵にもなる。真名でなくとも、呼び名を気に入られるとしつこい」
「しつこい」
「毎回違う変なあだ名で呼んでくる」
「それだけですか?」
「ラウラリアならば、ラウラリラ、ララウリア、青いひらひら王子、などじゃな」
「最後のが嫌すぎる!」
カイが机に突っ伏しかけた。完全に笑っている。
「青いひらひら王子!」
「笑わないでください」
「いや無理だろ!」
「カイは……水色犬?」
「やめろ!」
「妖精が絶対言うやつじゃ」
「父上まで!」
だめだ。もう妖精の国へ行く前からあだ名被害が発生している。
しかも父上が妙に乗っている。怖い。妖精より父上の方が先に遊んでいる。
「まあ、冗談はさておき」
「冗談だったんですか?」
「半分はな」
「半分」
「妖精は言葉を好む。だから、言葉を渡す時は気をつけよ。名、約束、願い、感想。何気なく口にした一言を面白がって拾うことがある」
私は頷いた。
妖精イベント、想像以上に会話事故の可能性が高い。だが同時に、うまく立ち回ればかなり美味しいものが得られる気配もある。
うん、楽しみだ。ものすごく楽しみだ。
私がそう思った瞬間、バルタザールがじっとこちらを見た。
「今、楽しそうだと思ったじゃろ」
「……少し」
「顔に出ておる」
「そんなにですか?」
「そんなにじゃ」
私は口元を押さえた。
いけない。ラウラリアとしての微笑みではなく、中身の麗の好奇心が漏れていたらしい。ロールプレイヤーとして恥ずべき失態だ。ラウラくんは完璧微笑み王子様なのに。
だけど仕方ない。ここまで話を聞いてしまったら、もう妖精の国がただのイベントには見えない。
そこは罠と報酬と悪ふざけと契約と未知が詰まった場所だ。しかも二週間限定。行かない理由がない。
「父上」
「なんじゃ」
「面白い話を持って帰りますね」
私がそう言うと、バルタザールは一瞬だけ目を細めた。そして、楽しげに笑った。
「期待しておるぞ、ラウラリア」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。
妖精の国、まだ見ぬ幻想の領域。
気まぐれで、美しく、面倒くさく、きっとろくでもなく、でも絶対に退屈しない場所。
そこへ向かう準備が、ようやく本格的に始まったのだ。




