第21話 犬系イケメン男子
食事処の方へ視線を向けた瞬間、私は一度、ほんの少しだけ目を細めた。
そこは冒険者ギルドの中でもとくに生活感と雑多さが強い場所だった。
朝食を取っている者、遅めの酒を飲んでいる者、仲間と依頼内容を確認している者、朝っぱらから妙に声の大きい者。空気そのものが少し温かくて、人の気配が濃い。
だからこそ、その中にある異物はよく目立った。
友達同士らしいプレイヤーが何組も固まっている中で、本当に一人だけ、ぽつんと座っている人物がいた。
黒い翼、透き通るような水色の髪と瞳。
センター分けにした前髪の向こうから覗く顔立ちは、涼やかというより少し冷たい印象で、長い髪を後ろで束ねているせいか余計に輪郭がはっきり見える。
しかも、その人物は真顔でウイスキーを飲んでいた。
朝から。
しかも、なんというか、ただ飲んでいるだけなのに妙に絵になっていた。いや、絵になるっていうか、絵になりすぎていて逆に近寄りがたい。
そのうえ周囲の人間が、明確に彼の席の近くをちょっと避けている。空いている席はあるのに、そこだけ自然に円ができている感じというか、「見えてはいるけど関わりたくない」みたいな空気がすごい。
「……えー」
あれが三毛猫?
いやいやいや。ちょっと待って。あの人が?
あの、メッセージ欄で「起きたかーーーー!!」「Fだぞ!?!?」「ボッチ卒業おめでとう!!」みたいなテンションで暴れ回ってる、あの三毛猫?
いや無理でしょ。落差どうなってるの?人格分裂でもしてるの?
これで話しかけて「誰だ貴様」みたいな反応されたらかなり怖いんだけど。というか、普通に間違えてた場合の恥ずかしさと恐怖が大きすぎる。
ギルドの中で、「もしかして三毛猫ですか?」って水色のイケメンに話しかける私。何その状況。どういう文脈?
でも、朝から一人で酒を飲んでるのがそうだぜ、と本人が言っていたのだから、たぶんそうなんだろう。たぶん。いや、そうであってくれ。
私は一瞬だけ深呼吸し、それから食事処の方へ足を向けた。
進むたびに、なんか周りの視線がちょっと寄ってくる。しかもその視線の意味がだいたいわかる。
あれに話しかけるのか、みたいな。
勇気あるな、みたいな。
もしくは物好きだな、みたいな。
いや、私だって好きでやってるわけじゃないんだけど。
でもここで引き返したらもっと変だし。勇気を出して話しかけたら別人でした、よりは、勇気を出さずにうろうろしてる方がまだ恥ずかしい。
たぶん。いやどっちも恥ずかしいな。
私は彼のテーブルの前で立ち止まった。
近くで見ると、やっぱりかなり整っている。整っているというか、冷たい印象が増した。水色の瞳も、角度によってはガラスみたいに見えるし、黒い翼との組み合わせで妙に温度が低い。何これ。種族的なやつ?
でもこれ、声かける側からするとだいぶハードル高い。
私はほんの少しだけ口元を整え、それからできるだけ自然な声音で言った。
「……もしかしてあなた、三毛猫ですか?私はラウラです」
その瞬間、周囲の空気が、なんかこう、微妙にざわっとした。
耳を澄まさなくてもわかるくらいの小さなざわめきだ。
「おい……」
「まじで声かけたぞ……」
「怖いもの知らずかよ……」
「あの人に……?」
何その反応。
どんなポジションなんだこいつ。
だが、当の本人は、そのざわめきをまるで気にした様子もなく、ゆっくりとこちらへ視線を向けた。
水色の瞳が、私を捉える。
その一瞬、本当に一瞬だけ。
真顔の冷たい印象がぱきっと割れて、その下から、びっくりするほど嬉しそうな、犬みたいな笑みがのぞいた。
「……ああ」
でも、それは本当に一瞬だった。
すぐにまた平然とした顔へ戻り、彼はグラスを置くと、何事もなかったかのように立ち上がった。
「それじゃあ行くか」
それだけ言って、あまりにも自然にギルドの外へ向かって歩き出す。
「え?」
私の口から、かなり素に近い声が漏れた。
え、待って。本当に?本当に今のが三毛猫?
あのノリが軽くてテンション高くて、メッセージだとだいたい語尾に感嘆符が二つ以上付く三毛猫?
いや、でも今の一瞬の笑顔、あれはたしかに犬っぽかった。犬っぽかったけど、それだけでこの落差を納得しろというのはちょっと厳しい。
私は半ば呆然としながらも、その背中を追った。
ここまで来て別人でした、はもうないだろう。あってほしくない。あったらギルドの中で伝説になる。
外へ出る。
朝の空気はまだ少しひんやりしていて、ギルドの中よりもずっと静かだった。
彼は少し先で立ち止まっていて、私が出てくるのを待っていた。
そのまま、言葉もなく歩き出す。私はその隣より少し後ろを歩きながら、ちらりと横顔を見た。
やっぱり冷たい。いや、冷たいというか無表情だ。
どこか鋭くて、近寄りがたい。ギルドの中で周囲が微妙に距離を取っていたのも、なんかわかる気がする。
でも、さっき一瞬だけ見えたあの犬っぽい笑顔が、脳の中でめちゃくちゃちらついているせいで、怖いんだか面白いんだかよくわからない。
というか、本当に喋らないなこの人。
三毛猫って、もっとこう会った瞬間から「ラウラーーーー!!やっと合流だな!!」みたいな感じで飛びついてくるタイプかと思ってたんだけど。
いや、メッセージ上の印象が強すぎるだけかもしれないけど。
もしかして緊張してる?でもこの顔で?この顔で緊張してたら逆に怖い。
そのまま、私たちは街の外まで歩いた。
門を抜けて、少し人通りが薄くなって、街の喧騒が後ろへ下がっていく。そこまで来たところで、ようやく彼が立ち止まる。
私は半歩遅れて足を止めた。
そして、彼がゆっくりとこちらを振り返る。
次の瞬間。
「ラウラー!!会いたかったぜ!!お前男だったんだな!?」
犬だった。いや違う、人なんだけど。
でも笑顔の圧と勢いが完全に大型犬だった。
「うわっ」
私は反射的に引きかけたけど、間に合わなかった。
勢いよく距離を詰めてきた彼――いや、三毛猫――に、そのままぎゅっと抱きつかれる。
近い。近い近い近い。イケメンの男性に、街の外で、朝っぱらから、勢いよく抱きつかれているんだけど?
私は一瞬、本当に固まった。
中身は普通の女子高生である。
しかもついさっきまで、相手の正体が男か女かもわからないなとか考えていたのに、答えが出るの早すぎるでしょう。
いや、性別確定かどうかはまだわからないけど、少なくとも外見的には完全に男性だし、腕の力もあるし、声も低いし、犬みたいにテンション高いし、情報量が多い。
でも同時に、私はちゃんと安堵していた。
「……本当に三毛猫だったんだー!?」
思わずそんな声が出る。
あのクールな水色イケメンが、抱きついた瞬間に中身ごと三毛猫丸出しになったのだから、安心するしかない。
すると彼は一瞬きょとんとした顔をしてから、私の言葉の意味を理解したらしく、嬉しそうに口角を上げた。
「そうだよ!?だから言っただろ、朝から酒飲んでるのが俺だって!」
「いや、あのメッセージのテンションでこの見た目は予想できないって!」
「できないのかよ!」
「できるわけないでしょ!」
私はそう言いながらも、抱きつかれたままなのに気づいて、少しだけ変な声になった。
「ぁ、あと……私、中身は女」
「……え?」
「女です」
「あ」
彼の顔が一瞬で変わった。
「ご、ごめん……!!」
びしっと、すぐに腕が離れる。
しかもその動きが素直で、そこに変なためらいがないのが逆に面白かった。
彼――三毛猫は一歩下がって、すごい勢いで両手を上げた。
「notセクハラ!!」
「急に英語で主張するんだ」
「いやだってほら今のタイミングで言っとかないと色々まずい気がして!?」
「まあ、気持ちはわかる」
私は思わず吹き出した。
さっきまでのクールな無表情どこ行ったの、本当に。いや、でももう完全に中身は三毛猫だ。むしろこれで別人だったら怖すぎる。
彼は耳の後ろをかくような仕草をしながら、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
「いや、その……てっきり男仲間かと」
「いや、仲間ではあるよ。アバターは男だし」
「でも中身女子かー……」
「そんなにショック?」
「ショックっていうか驚きだぜ!」
「それは私も同じです」
「だろうな」
そのまま少しだけ間が空く。
そこで改めて、私は彼の姿を見た。
黒い翼。透き通った水色の髪。長く後ろで束ねた髪型。冷たく見える顔立ち。黙っていればかなり近寄りがたいし、ギルドで他の人が避けていたのも納得できる見た目。
でも今のこいつは犬っぽくて台無しである。
いや台無しではないな。むしろ面白い方向に完成してる。見た目は氷属性の高難度ボス、挙動は大型犬。落差が強い。
「……三毛猫っていうより」
「うん?」
「今の感じだと、ちょっと犬寄りだね」
「は!? なんでだよ!?」
「笑顔が」
「そこ!?」
「そこ」
「納得いかねぇ……!」
でも、その不満げな顔すらどこか犬っぽくて、私はまた笑いそうになる。
すると彼は、ふいに咳払いをしてから胸を張った。
「まあでも、これでちゃんと会えたな」
「うん」
「改めて言っとくと、プレイヤーネームはカイ」
「カイ」
「そう。三毛猫はあくまで普段の呼び名な」
「了解。じゃあ、これからはカイって呼ぶ?」
「おう」
私は軽く頷いた。
ラウラリアとしての名前は別にあるけれど、彼が今まで通り私をラウラと呼ぶのは問題ない。というか、その方が自然だ。
ラウラリアはたしかに私の名前だけど、あれは貴族としての、ヘル家の跡継ぎとしての名前でもある。
三毛猫――カイとの関係は、そこより一歩手前の、麗の側から続いているものだから。
「じゃあ改めてよろしく、カイ」
「おう、よろしくラウラ」
そしてその直後、カイはにやっと口角を上げた。
今度は犬というより、悪巧みを思いついたやつの顔だ。
「で、早速なんだけど」
「うん?」
「ラウラと一緒に行きたい場所がある」
「いきなり?」
「いきなり」
「どこ?」
「ついてきたらわかる」
そう言って、彼は街道から少し外れた方向へ歩き出す。
私は一瞬だけ迷った。
いや、一応、初めてちゃんと会った相手に「ついてこい」と言われてホイホイついていくのはどうなんだという常識はある。
あるんだけど……相手は三毛猫だしなぁ。
あと、このゲームで「ついてきたらわかる」はだいたい面白い。
危険もあるけど、だいたい面白い。そして私は危険な面白さに弱い。
「……まあ、行くけど」
「よし来た!」
犬だった。やっぱり犬だこいつ。




