第19話 お忍びコーデ
翌朝――というより、感覚としては「まだ翌朝」だった。
現実側で目を覚ました時点で今日は学校が休みだとわかっていたから、私はかなり機嫌が良かった。
休みという言葉は偉大である。しかもただの休みではない。ログインしても「明日の一限が」「提出物が」「睡眠時間が」といった現実の圧力にそこまで追われない種類の休みだ。
つまり、心の一角をかなり自由に使える。素晴らしい。人類はもっと休日を讃えるべきだと思う。
その気安さもあって、私は朝食を済ませると、わりと早い時間からバイザーを装着した。
昨日の時点でかなり訓練漬けだったし、今日はようやく三毛猫と合流できる予定だ。しかも、貴族教育だの剣術訓練だの魔術訓練だのを一通り終えたあとで、初めて「普通のプレイヤーっぽく街へ出る」ことになる。
いや、本当に普通かどうかは怪しいんだけど。怪しいどころか、普通からはだいぶ外れている気はするんだけど。
でも少なくとも、気分としてはかなり外出前だった。
現実の私が目を閉じ、意識が沈み、切り替わる。
あの独特の浮遊感はもう初回ほどの衝撃ではなくなっていた。慣れとは恐ろしい。順応力が高いというべきか、染まりやすいというべきかは微妙なところだ。
そして、目を開ける。
私はゆっくりと起き上がり、軽く肩を回した。
そして、そのまま視界の端に淡い光が灯る。
《日付変更に伴う処理を行いました》
《SPを獲得しました》
《スキル【剣術(騎士)】を獲得しました》
《スキル【細剣術】を獲得しました》
《スキル【魔力操作】を獲得しました》
《スキル【火魔術】を獲得しました》
《スキル【水魔術】を獲得しました》
《スキル【風魔術】を獲得しました》
《スキル【地魔術】を獲得しました》
《条件を達成しました。称号【魔術士】を獲得しました》
「……多いな?」
起き抜け一発目の感想がそれだった。
いや、知ってる。わかってる。昨日一日の訓練量を考えれば納得はできる。できるんだけど、納得と驚きは両立するのだ。
SPの増加量も結構えぐい、昨日よりも明らかに増加量が多い。というか、日付をまたいだだけでこれだけの成果反映が来るってことは、このゲーム、本当に「行動した分だけ積み上がる」設計なんだろう。
だから知識詰め込みも訓練も、ちゃんとゲーム的な意味を持つ。
うーん、合理的。好き。
私はベッドの上で姿勢を整えたまま、改めて取得ログを見直す。
【剣術(騎士)】はその名の通り、騎士式の剣術を扱うための基礎スキル。
【細剣術】はレイピアを使う時のAGIと扱いそのものに補正がかかるスキル。
【魔力操作】はかなりわかりやすい。魔力の流れを整え、無駄を減らし、制御効率を上げるやつだろう。
で、そこに【火魔術】【水魔術】【風魔術】【地魔術】。
綺麗に四属性。いや、綺麗に揃いすぎててちょっと笑う。魔術の教本か何かですか。
そして、魔術系スキルが四つ揃ったことで称号【魔術士】。
「だいぶちゃんと育ってるな」
呟きながらも、私はちょっとだけ気分が良くなっていた。
昨日のしんどさは本物だったし、正直、途中からは「もうこれ絶対筋肉痛とか魔力痛とか来るでしょ」と思いながらやっていた。
でもその結果がちゃんと数字とスキルになって返ってくるなら、そりゃあ報われる。
人は成果が見えると嬉しい生き物なのだ。しかも私は異界人で、ギルド制度がそういう欲望を上手く刺激するための仕組みでもあると知っている。
知っているけど、嬉しいものは嬉しい。
それはそれ、これはこれだ。
そこで、ふっと視界の端に別の通知が差し込んだ。
システムの淡い表示とは少し違う、もっと気軽で、もっと俗っぽい色味のポップアップ。
[起きたか!!!!]
「早いなぁ……」
思わず笑い混じりに呟く。
三毛猫だ。ログイン直後を狙い撃ちしてきた感がすごい。
いや、たぶん本当に狙ってたんだろう。こいつ、こういう時にわざわざ「今かな」「そろそろかな」ってソワソワしてそうなタイプだし。
私はベッドから降りながら、そのまま簡単に返した。
[起きたよ]
[よし!!]
[起きててよかったなってテンションじゃん]
[そりゃそうだろ!!!!]
[朝から元気だね]
私は肩を揺らして笑いながら立ち上がる。
やっぱり三毛猫とのやり取りはテンポがいい。
昨日のココアタイムでも思ったけれど、こいつと喋っていると、ラウラリアとしての濃い情報の海から、麗としての軽さにふっと戻ってこられる感じがある。
それが心地いい。
ただ、今の私はもうベッドの上ではなかった。
立ち上がって、私室の中をゆっくり歩きながら、今日の予定を頭の中で整理する。
その時点で、ふとひとつの重大な問題に気づいた。
「……待って」
私は部屋の鏡の前で立ち止まった。
そこに映っているのは、ラウラリア・ラ・ヘル。
高位種族進化を経た顔。青を宿した金の瞳。整いすぎた輪郭。無駄に絵になる立ち姿。しかも服装は、ラニアたちの総力によって完成させられた高位貴族の子息スタイルである。
深い青、白い片マント、銀と琥珀の差し色。
いや、普通に格好いい。格好いいんだけど。
「……これで街に出たら、即バレでは?」
即バレだ。
何がバレるかといえば、貴族というか、少なくとも「そのへんの一般プレイヤーじゃない感」が。
冒険者ギルドに行くんでしょう? 一般冒険者の視線を浴びるんでしょう? そこでこれが入ってきたら、たぶんかなり目立つ。
いや、目立つどころではないかもしれない。
「良家の子息っぽい何かが来たぞ」となる可能性が高い。
それは、ちょっと避けたい。
三毛猫と合流するだけなのに、ギルド内がざわつくのは面倒だし、初対面の冒険者たちから妙な距離感を取られるのも避けたい。
私は普通に街を見たいし、できれば普通に歩きたい。
いや、完全に普通はもう無理かもしれないけれどせめてお忍び寄りには寄せたい。
私はそのまま扉へ向かい、呼び鈴めいたものを鳴らした。
しばらくもしないうちに、扉の向こうから落ち着いた足音がして、マルコスが現れる。
「お呼びでしょうか、ラウラリア様」
「ええ、少し相談が」
「はい」
私は少しだけ鏡を振り返ってから言った。
「この姿、この服装、この所作で街中へ出ると、即座に高位の人だとわかってしまう気がするのですが」
「……はい」
「できればもう少し、地味で、目立たない服装が欲しいです」
「なるほど」
マルコスはほとんど一瞬で意図を理解したらしく、静かに頷いた。
「お忍び用でございますね」
「そういうことになります」
「承知いたしました。少々お待ちを」
そして彼は、そのまま非常に滑らかな動作で一礼し、ほとんど音もなく去っていった。
相変わらず仕事が早い。早すぎてちょっと怖い。
この屋敷の人たち、頼むと大体すぐ最適解を持ってくるから、逆にこちらも雑な頼み方ができなくなるのだ。
その間も、三毛猫とのメッセージは続く。
[で、今日は自由なんだよな?]
[うん]
[うおおおおおおおおお]
[反応が暑苦しい]
[暑苦しくなるわ!!]
[そんなに]
[そんなにだよ!!やっと一緒に遊べるんだぞ!?]
[ボッチ卒業おめでとう]
[まだ卒業してない!!]
[でも入学はしたね]
[何にだよ]
[友達と遊べるネトゲライフに]
[いやその言い方ちょっと恥ずいな!?]
[ボッチから始まる充実したネトゲライフ。~友達を添えて~]
[ラノベのタイトルなのか料理名なのかはっきりしろよ]
[ワクワクするし美味しそうだからいいじゃん]
[食べるなよ!?]
[草]
私はふっと笑って、そのまま軽く息を吐いた。
そこで扉が再び開く。
戻ってきたマルコスの後ろには、ラニアと、数人の使用人がいた。手には衣装がかけられている。
「え、早くない?」
「ご希望に合うものをいくつか見繕いました」
「いくつか」
「はい」
なんか嫌な予感がしたが、実際に広げられたのはそこまで派手なものではなかった。
むしろ、思っていたよりかなり私の理想に近い。
質の良さそうな、肌触りのよい紺色のフード付きローブ。
白地のブラウスに、銀色の刺繍が抑えめに入った青いベスト。
ベージュのスラックスに、銀の金具がついた紺色のベルト。
そして最後に、小さな琥珀のイヤリング。
私はそのイヤリングを見て、少しだけ首を傾げた。
「これは?」
「認識阻害の効果を付与しております」
マルコスが淡々と答える。
「強力なものではございませんが、印象に残りにくくする程度の働きは期待できます」
「……過保護ですねぇ」
「領主家の跡継ぎ候補を、完全な無防備で街へ出すわけにはまいりません」
「そう言われると反論しにくいです」
「反論不要でございます」
「強い」
私は差し出されたローブの布地をそっと指先で撫でた。
さらりとしていて、軽いのに安っぽさがまるでない。明らかにプレイヤー初期装備よりいいやつだ。しかも「お忍び用」とか言いながら、地味ではあっても質の良さは隠しきれていない。
これ、一般プレイヤー目線だと「質のいい旅装」くらいには見えるかもしれないけど、見る人が見たら「絶対それいいやつ」ってなるタイプでは?
「……お忍びって、もう少しこう、完全な一般人風とかにはなりませんか?」
「ラウラリア様の顔立ちと所作で完全な一般人風は難しいかと」
ラニアが真顔で言った。
「そこまで言います?」
「事実です」
「否定しにくいです……」
「であれば、せめて高位の家の子息感を薄める方向に寄せるのが現実的でございます」
「なるほど」
完全に正論だった。
私は観念して、着替えを受け取る。
衣装合わせは昨日ほどの本格大改装ではなく、もっと短時間で済んだ。
もともとの身体の仕上がりと、今の種族進化後の色味がすでに整っているので、その上から「目立ちすぎないけどちゃんと良い」方向へ寄せるだけでいいらしい。
実際、鏡の前に立ってみるとかなりしっくりきた。
紺色のフード付きローブは表情を少し隠してくれるし、白地のブラウスと青いベストはきちんとしていながらも貴族貴族しすぎない。
ベージュのスラックスが全体の重さを和らげていて、紺と青と白の冷たさにちょうどいい抜けを作っている。
イヤリングは小さいけれど、耳元で淡く光っていて、言われなければただの品のいい装飾にしか見えない。
「……うん、これならまだ街に紛れられる……はずです」
「まだという言い方が少々気になりますが」
「だって顔は隠せないですし」
「ええ、それはもう、いかんともしがたい問題でございますので」
「そこまでですか?」
「そこまでです」
私は半笑いになりながら、最後にフードを一度かぶってみた。
なるほど。全部は隠れないが、視線の印象がかなり変わる。認識阻害イヤリングと合わせれば、少なくとも「何か綺麗な人いた気がする」くらいで流れてくれるかもしれない。
たぶん。いや、そうであってくれ。




