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第17話 2回目のログアウト


 意識がふっと浮かび上がるような感覚とともに、私はゆっくりと目を開けた。


 視界に飛び込んできたのは、見慣れた自分の部屋の天井だ。


「……戻ったぁ」

 気の抜けた声がそのまま喉から漏れる。


 今日は昨日以上に密度が高かった。いや、本当に高かった。高密度とかいう言葉で片付けていいのかわからないくらい、ぎっしり詰まっていた。


 しかも問題なのは、それだけのことがあってなお、頭の中では「いやでも面白かったな」という感想がかなり大きな比率を占めていることだ。

 いや、面白かったのは事実なんだけど。事実なんだけど、だからといって人としての体力が無限になるわけではない。

 現実の私は、ログアウトした瞬間からしっかりと疲れていた。


 ベッドの上で上半身を起こし、軽く肩を回す。

 それだけの動作なのに、ふとしたところで違和感が差し込んできて、私はほんのわずかに目を細めた。


「……あれ」


 昨日もあったけれど、今日はそれが少し違う形で現れていた。

 身体の大きさが違う、という単純な違和感だけではない。

 立ち上がろうとして足を床に下ろし、上体を起こし、髪を耳にかけようと手を上げる、その一連の動作の流れが、妙に静かで滑らかだった。


 ……いや待って。

 今、起き上がり方が綺麗だったな?


 何を言っているのか自分でも少しわからない。

 でも、確かにそうなのだ。

 別に私は現実で急にバレエでも始めたわけではないし、お嬢様学校で朝の起立着席訓練を受けたこともない。ただベッドから起きただけなのに、なんかこう……無駄に所作がまとまっている気がする。


「……VRMMOの影響力、ヤバくない?」


 思わずそんなことを呟きながら、私は立ち上がった。

 鏡の前まで行って、自分の姿をぼんやり見る。

 当然ながら、そこに映っているのはラウラリア・ラ・ヘルではない。見慣れた現実の自分だ。

 けれど、鏡の中の自分が髪を払う動作とか、首を傾げる角度とか、立っている時の重心の置き方とか、そういうものの端々に、妙な整い方がある。


 うわ、嫌だなこれ。

 いや嫌ではないけど、嫌というか、怖いというか、ちょっと面白いというか。

 

 没入型VRってここまで来るんだ。向こうで十二時間近く高貴な跡継ぎロールプレイをやっていた結果、現実の自分の挙動までほんのり綺麗になるってどういうことなの。

 もしこれが今後もっと進んで、学校でうっかり椅子を引く所作とか、飲み物を持つ角度とか、視線の置き方とかまでラウラリア基準になったらどうしよう。


 担任の先生とか友達に、「最近なんか急に上品になったね」とか言われたら返答に困るどころの騒ぎではない。

 ゲームのおかげですなんて言えるか?言えないだろう。


「いや、でも……少し便利かもしれない」


 ぽつりと漏れた本音に、自分でちょっと笑ってしまう。

 便利かもしれない、じゃないんだよ。何を現実に持ち帰ろうとしてるんだ私は。


 とりあえず一回、落ち着こう。

 身体は現実に戻っている。頭も現実だ。たぶん。

 でもさすがに訓練後そのまま寝たせいで、まずトイレに行きたいし、喉も渇いている。あと、あったかいものが飲みたい。すごく飲みたい。冷たい水を一気に飲む気分ではなくて、もっとこう、身体の中までじんわりほどける系のものが欲しい。


 私は軽く伸びをしてから部屋を出た。


 廊下は静かだった。

 家の中の夜って、いつも少しだけ世界から切り離された感じがする。

 物音を立てれば自分のものだけがやけにはっきり聞こえて、なんとなく、家の中なのに侵入者みたいな気分になるのだ。


 まあ実際、今の私はかなり静かに歩いていた。……静かに歩けてしまっていた。

 廊下を移動するだけなのに足音が妙に柔らかいし、曲がり角での減速とか視線の動きが無駄に滑らかだし、トイレのドアを開け閉めする動きすらちょっと丁寧だ。


「……やめてほしいなぁ、この高貴さの残り香」


 小声でそう言いながらも、私は少しだけ楽しくなっていた。

 いや、だって面白いでしょう。現実でトイレに行くだけなのに、ほんのり貴族の気配がする女子高生って何。


 無事にトイレを済ませ、洗面所で軽く手を洗い、それからキッチンへ向かう。

 冷蔵庫を開けるほどの気分ではない。今日はあったかいココアだ。もう決めている。

 こういう日はココアに限る。異論は認めない。領主の養子だろうと高位魔族だろうと、疲れた日のココアは正義だ。


 私は棚からマグカップを取り出した。

 いつも使っている、白地に小さな青い花柄が散っているやつだ。特別高級品でもなんでもないけれど、なぜかココアはこれで飲むのが一番落ち着く。

 粉を入れて、お湯を注いで、スプーンでくるくる混ぜる。

 立ちのぼる甘い香りが鼻先をくすぐって、その瞬間ようやく、体の奥で固まっていた疲れが少しだけほどけた気がした。


「……あー、ココアだ」

 私はマグカップを両手で持ち、火傷しない程度に慎重に一口飲んだ。


 うまい。とても、うまい。

 今日一日の情報量を砂糖とカカオと温度で溶かしてくれる感じがする。

 ラウラリアが高位の血だの器だのを得ている一方で、麗はココアをすすっている。この落差がすごい。でも嫌いじゃない。むしろ好きだ。


 そこでようやく、私はスマホを手に取った。

 画面をつける。通知欄に、当然のように三毛猫からのメッセージが来ていた。

 昨日のやりとりのあと、それぞれ寝落ちするように会話が終わったから、まあ来ているだろうとは思っていた。思っていたのだが。


「……多いな?」


 また通知が多い。

 いや昨日ほどじゃないけど、それでも結構ある。

 三毛猫、やはり基本テンションが高い。あとたぶん、通知を送ることに対する心理的ハードルが異様に低い。うらやましいくらい低い。


 メッセージアプリを開く。

 最新の吹き出しは、かなり元気いっぱいだった。


[起きたかラウラーーーー!!]


「うるさ」

 思わず声に出たが、返事はすぐに打つ。


[起きたよ]

[よし!!]

[何その犬みたいな喜び方]

[褒め言葉ありがと]

[まだ褒めてない]

[で、聞けよ!今日俺、何と……」

[何と?]

[冒険者ランクFになったぜ!!!!!!]


 私はスマホを見下ろしたまま、無言になった。


 DHOのランク制度は、最高位のSから下へ順に下がっていって、最下位がGだったはずだ。つまりFは下から二番目。

 普通に考えれば、始めたばかりのプレイヤーがまず目指す最初のランクアップとしてごく妥当である。ぶっちゃけて言えばすごく普通。


[おお、おめでとう]

[その返し、一応褒めてるけど温度低くない???]

[いやちゃんと褒めてるよ]

[もっとこう、キャーすごーい三毛猫様さすがーみたいなのあるだろ]

[Fでそこまで言わせるの?]

[言わせる]

[君は実に強気だなぁ]


 私はココアを一口飲み、少しだけ口元を緩めた。

 こういうところがいかにもこいつらしい。大げさで、うるさくて、でも多分本当に嬉しかったのだろう。

 その嬉しさを誇張してぶつけてくるのが三毛猫の癖だ。


 けれど、その「ランクF」という単語を見た瞬間、私は昨日叩き込まれた知識の一角を思い出していた。

 あ、そうだ。ちょっと面白いかもしれない。


 私はそのままスマホに指を走らせる。


[そういえばさ]

[ん?]

[冒険者ギルドの階級制度って、単に実力を測るためだけじゃないらしいよ。プレイヤーの優越感を刺激するための設計も入ってるっぽい]

[ほえ??]

[上からS、A、B、C、D、E、F、Gでしょ?]

[そうだな]

[細かく強さを刻んで、少しずつ上を見せて、今の自分より上の階級への憧れと下の階級との差を常に意識させることで、もっと頑張ろうってさせる仕組みらしい]

[何その裏事情!?]

[ギルド側から見ると、異界人って「特別扱い」とか「自分だけが上に行ける感」にすごく反応しやすいらしい。それを利用してランクを細かく切って、しかも入れる区画とか受けられる依頼とか、待遇をちょっとずつ変える。そうすると競争心も優越感も刺激されて勝手に走ってくれるっていう仕組みらしいよ]

[やめろよ!!なんか今、自分がギルドに乗せられてFになったことに純粋に喜んでた奴みたいじゃん!!]

[実際喜んでたでしょ]

[めちゃくちゃ喜んでたわ!!!!]

[知ってる]

[くそっ……でも、そんな裏事情あるのか……やべぇなDHO]

[うん、やばい]

[いやでも待って、じゃあ俺がFになって「よっしゃあ!」ってなってたのも、全部ギルドの想定通りってこと??]

[多分そうね]

[最悪すぎる!!]

[でもまだ喜んでるでしょ?]

[はい]

[素直でよろしい]

[くそぉぉぉぉぉ]


 私は思わず肩を揺らして笑った。

 こういうやり取りをしている時の三毛猫は、ツッコミどころも多いし、乗せやすいし、ちょっとした知識を投げるとすごく気持ちよく反応してくれる。


 それにしても、昨日までなら私も普通に「ランク上がった!すごいじゃん!」で終わっていたはずの話に、今こうしてギルド制度の裏側みたいな視点が加わっているの、ちょっと変な感じだなと思う。

 やっぱり私はあの屋敷で、だいぶ特異なルートを通ってしまったらしい。

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