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第16話 訓練の終わり


 本格的な実践訓練が始まってから、どれほどの時間が経ったのか。

 正確には把握していなかったが、少なくとも軽く楽しいなどと形容できる段階はかなり早い段階で終わっていた。


 最初は確かに楽しかったのだ。

 身体を動かすこと自体が新鮮で、剣の軌道が綺麗に決まるたびに手応えがあり、魔術の構築が思った通りに成立するたびに内心で小さく感嘆する。

 昨日までが知識の積み上げだったとすれば、今日はそれが現実に変換されていく過程であり、その感覚は純粋に面白かった。


 ――ああ、こうやって使うのか。

 ――この動きは、こう繋がるのか。


 そんな風に一つひとつの要素が噛み合っていくのを実感するのは、やはり楽しい。

 けれど、それが楽しいだけで済む時間は、そう長くは続かなかった。


 まず変化が現れたのは、剣の訓練の方だった。

 最初のうちは、構えや足運び、間合いの取り方といった基礎を確認する段階であり、身体の馴染みの良さも相まって、比較的順調に進んでいた。


 だけど、そこから一歩進んで連続した動きが要求され始めた瞬間、負荷の質が変わる。


 単発の動きではなく、流れの中での判断。姿勢を崩さず、視線を切らさず、次の動作へと自然に繋げる。

 そしてそれを、何度も、何度も繰り返す。

 その反復が積み重なっていくうちに、じわじわと身体に負担が蓄積していくのがわかった。


 あ、これ、普通にきついな。


 そう思ったが、だからといってそれを表に出すわけにはいかない。

 少なくとも、ラウラくん……ラウラリアとしては。

 どんな状況であっても穏やかに微笑み、余裕を崩さず、周囲を見渡し、必要とあらば手を差し伸べる。

 甘く人を惹きつける、高貴な存在。


 ――それがラウラくんだ。


 ため息とか、ぜっったい似合わない!!

 思わず出そうになったそれを、きっちりと飲み込む。


 代わりに、ほんのわずかに口元を緩める。

 呼吸を整え、姿勢を保ち、視線を落とさない。余裕があるように見せるのではなく、余裕がある状態を保つ。

 それを、半ば意地のように維持する。


 そして、その意識が結果として技術の精度を引き上げていく。無駄な力みが抜け、動きが洗練され、判断が早くなる。

 気づけば、マリスの指導の密度がさらに上がっていた。


「今の動き、非常に良いです。ですが、そこで一瞬だけ重心が前に流れております」

「……ここ、ですか」

「はい。そこをほんのわずか後ろに残すだけで、次の動きがさらに安定いたします」

「なるほど」


 その結果、気がつけば四時間ほどが経過していた。

 そこで一度、現実世界での時間の都合もあり、訓練は中断となる。


 異界の眠りが近いと伝えて休憩だと言われた瞬間、正直なところ内心ではかなり安堵していた。


 顔には出さないけど、絶対に出さないけどね。

 そのまま一度ログアウトし、現実側で軽く食事を済ませ、再びログインする。


 そして後半戦。

 ここからが、本当の意味で過酷だった。


 八時間。

 数字にするとそれだけだけど、体感としてはそれ以上に長い。


 剣と魔術を交互に行い、身体と精神の両方を使い続ける。魔術だけの状態なら消耗は誤差程度だけど、剣と並行して使い始めると一気に消耗が重くなる。

 集中が切れかけたところで別の負荷がかかり、休んだと思えばすぐに次の課題が提示される。


 その繰り返し。

 その中でこの私、ラウラリアの動きは確実に変化していった。


 最初は意識していた動作が、徐々に無意識へと落ちていく。

 考えてから動くのではなく、動きながら最適解へと収束する。

 魔術においても同様で、構築の速度と精度が目に見えて向上していく。


 そして何より――まだ、いける。


 限界に近づいている感覚はある。けれど、完全に崩れる気配はない。

 それはおそらく、【青血の器】の影響だろう。


 負荷が軽減されていて、消耗が通常よりも明らかに少ない。だからこそ、この密度の訓練を持たせることができている。


 これは……他のプレイヤーからするとかなりインチキなんだろう。

 そんな分析をしながらも手は止めない、止める理由がない。むしろ、このまま進めばどこまで行けるのかを純粋に知りたかった。


 そしてそのまま八時間が経過し。

 ようやく、訓練が一区切りとなった。


 静かに、しかし確実に終わりの空気が場に流れる。私はゆっくりと息を整え、姿勢を崩さないまま一歩引いた。


 身体は重い、かなり重い。だが立てないほどではない。

 むしろ、まだ動ける。

 その状態で応接間へと戻ると、バルタザールが腕を組んで待っていた。


「戻ったか」

「はい、父上」


 軽く一礼する。

 その所作は、もはや意識する必要すらなかった。

 バルタザールはしばし私を見つめ、それからゆっくりと頷いた。


「うむ、ひとまず一般的な貴族子息程度の教養は手に入れたか」


 その言葉に、私はほんのわずかに目を細める。

 「ひとまず」という言葉。つまりこれはあくまで最低ラインということ?


「これで外に出て恥をかくことも、潰されることもないじゃろう」


 だけど同時に、そう続けられたことでそのラインの高さも理解できた。


 なるほど。これは最低限ではあるが、低くはないらしい。


 現実ではただの一般女子高生である私がここまでの教養をたったの二日、訓練時間で言えば丸1日程度で身に着けることができたのは、考えてみると明らかにおかしいことだった。

 教育がロールプレイの解像度を上げるためで楽しかったからだとはいえ、様々な補正が入っているにしてもここまでできたのは……。


 ひとえに私のロールプレイへの、ラウラくんへの強い思いのお陰だ。そう思うと、ロールプレイ好きとして少し誇らしくなる。

 そんなことを考えていると、バルタザールが欲しかった一言を放った。


「今日から自由じゃぞ!」


 その瞬間、やっとか……!という言葉が飛び出そうになった。

 自由とはつまり、今日から三毛猫と遊べるということだからね!


 その事実が、じわりと実感として広がる。


 ログアウトしたら、連絡しないと。

 明日からいけるって伝えないと。


 そんなことを考えながら、口元に穏やかな笑みを乗せる。


「ありがとうございます、父上」


 だが、バルタザールはそこでふと思い出したように付け加えた。

「まあ」

 その一言に、ほんのわずかに嫌な予感がする。

「跡継ぎとして、わしの仕事をたまに手伝ってもらうことになるじゃろうがな」

「……」


 一瞬、思考が止まる。


 そして、内心で見事にずっこけた。


 いや、当然。当然なんだけど……。

 自由という言葉の直後にそれを言われると、ちょっとこう、落差がある。


 でも、それもまた、貴族としてのラウラリアとしては受け入れるべきものだ。

 私はほんの一瞬だけ呼吸を整え、それから優雅に微笑む。


「ええ、もちろんです」

 声音は柔らかく、しかしはっきりと。

「父上のお役に立てるのであれば、喜んで」


 完璧な返答をする。内では若干ツッコミを入れつつも、外面は一切崩さない。

 するとバルタザールは、満足げに頷いた。


 その後、軽く挨拶を交わし、私は私室へと戻る。

 扉を閉めた瞬間、ふう、と一つ息を吐いた。


 終わったぁ……本当に終わった!長かった!かなり長かったよ!!


 でも、悪くはなかった。むしろかなり面白かった。

 私は存分にため息をつきながら軽く肩を回し、ベッドの縁に腰掛ける。


 身体は疲れているけど、嫌な疲労ではなく達成感のある疲れだ。

 そのまま、ゆっくりと横になりながら、天幕の向こうをぼんやりと見上げる。


 明日、いや、次のログイン。


 何をするのか、どこへ行くのか。

 三毛猫と合流して、普通のプレイヤーとして街を歩くのか。


 それとも、この立場を使って、さらに深い場所へ踏み込むのか。

 というか、明らかに貴族っぽい見た目に変化してしまったのだ。この姿で、普通に街中を出歩けるのか。

 考えることはいくらでもある。


 だけどまずは、ログアウトだな。


 意識を緩める。

 現実へと引かれる感覚が、ゆっくりと広がる。


「……今日は、さすがに疲れたな」


 そうして、ラウラリア・ラ・ヘルの意識は、静かに異界の眠りへと沈んでいった。

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