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第12話 教育終了、ログアウト

 そうして、礼法だの歴史だの制度だの異界人についてだのを一通り叩き込まれた頃には、さすがの私もほとんど燃え尽きかけていた。


「……本日は、このあたりといたしましょう」

 マルコスが資料を閉じる。

「ようやく、ですか……」


 私は机に突っ伏したい衝動をなんとか堪えながら顔を上げた。

 言動はともかく、今までの教育のお陰と言うべきか、だらしのない行動をとるのを身体が許さなかったのだ。


「お疲れ様でございました」

 ラニアの声音は穏やかだったが、その目にははっきりとした評価の色がある。


「正直、ここまで持つとは思っておりませんでした」

「それ褒めてます?」

「かなり」

「でしたら、ありがたく受け取っておきます」


 椅子から立ち上がると、脚が少しだけ重かった。

 だが不思議と、頭の中は完全に飽和して潰れているわけではない。疲れはある。かなりある。けれど、蓄積された情報はちゃんとそこに残っている感覚があった。


 これも補正の恩恵なのだろうか。

 だとしたら高貴なる血統、便利すぎる。


 ラニアはそんな私の様子を見て、少しだけ表情を和らげた。


「今夜はもう、お休みになった方がよろしいでしょう」

「賛成です」

 私は即答した。


「今ならふかふかのベッドがどれだけ素晴らしい発明か心の底から語れそうです」

「ふふ。では、その素晴らしい発明のもとへご案内いたします」


 そうして連れて行かれた部屋は予想通り――いや、予想以上に豪華な私室だった。


 広い、まず広い。

 厚い絨毯が床に敷かれ、壁際には重厚な本棚と飾り棚、窓辺には長椅子と小さな丸テーブルまで置かれている。

 燭台の灯りは柔らかく、全体に落ち着いた青と黒、銀を基調とした色調で揃えられていて、派手すぎないのに品がある。


 そして部屋の奥。そこに置かれていたのが、ふかふかのベッドだった。


 白と深青の布で覆われた天蓋。

 やわらかそうな寝具。これでもかというほどふかふかに見える。


「本日より、こちらがラウラリア様のお部屋となります」

「何か不足がございましたら、遠慮なくお申し付けください」

「いえ、もう十分すぎるほどです」

「そう言っていただけると幸いです」


 マルコスも静かに頷いた。


「異界の眠りにつく際には、どうか無理に抗わぬよう。こちらの世界では安全にお眠りいただけます」

「……その言い方、やっぱり面白いですね」

 私は苦笑しながらベッドへ視線を向けた。

「では」


 ログアウトボタンを押した途端、自分でもそれがわかった。

 頭の奥が少しだけ遠くなるような感覚。現実世界へ意識が引かれていく、あの独特の前兆。

 これがこの世界でいう異界の眠りの気配なのか、と妙に納得する。


「お察しになれるのですね」

 ラニアが興味深そうに言う。

「ええ、なんとなく」

「では、なおのことお早めに」

「そうします」


 二人が一礼し、部屋を辞していく。

 扉が静かに閉まる音を聞いたところで、私はふう、と長く息を吐いた。


 ――静かだ。


 やっと、一人になれた。

 私はそのままベッドへ歩み寄り、端に腰掛ける。

 マットレスが驚くほど自然に沈み込み、体を受け止めた。柔らかすぎず、でもしっかり包み込むような感触。


 ……すご。これ、寝たら終わるやつでは?

 いや、終わる。確実に終わる。


 私は少しだけ笑ってから、肩の片マントを外し、ジャケットを脱いで整える。ラニアに教わった通り、雑に扱わず、布を傷めないように。

 そういう細かい所作まで、今はもう変に意識しなくてもできてしまうのが少し可笑しかった。


「……ラウラリア・ラ・ヘル、ね」

 部屋に一人きりの状態で、その名前をそっと口にする。


 まだゲームを始めて一日も経っていない。

 なのに私はもう、ただの初心者プレイヤーではなくなっていた。


 情報量が多い、多すぎる。

 でも、振り返ってみると全部がちゃんと繋がっていて、しかも全部面白い。


 私はゆっくりとベッドへ身体を預けた。


 天幕の布が視界の上で静かに揺れる。

 枕は柔らかく、シーツにはほのかな香りがあった。清潔で、上質で、安心感がある。


「本当に、とんでもないところまで来ちゃったな……」

 そう呟く声は、もう以前のラウラより少しだけ低く、甘く響いた。

 目を閉じると意識がゆっくり遠のいていく。


 異界の眠り――ログアウト。


 この世界の住民たちは、それをそう呼ぶのだ。

 別の世界へ魂が引かれ、一時的に空の器だけを残す状態。そう言われると、なんだか本当に不思議な現象みたいで少し面白い。

 私は薄れていく意識の中で、今日一日のことをぼんやりと反芻した。


 この先が見たい。

 そう思いながら、最後にほんの少しだけ唇を緩める。


「……明日も、面白そうだな」


 その一言を最後に、ラウラリア・ラ・ヘルの意識は静かに異界の眠りへと沈んでいった。

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