第11話 教育の内容
教育が始まってから、どれくらい経ったのか。
途中まで、私はかなり楽しんでいたと思う。
いや、かなりどころではない。最初の数時間に限って言えば、むしろ絶好調だった。なにせやっていることが完全に王子様養成イベントだったのだ。
ロールプレイ好きの私にとって、こんなもの刺さらないわけがない。
歩き方。
視線の置き方。
椅子の座り方。
紅茶のカップの持ち方。
人前で笑う時の口元の角度。
相手の身分によって変わるわずかな言葉遣いの差。
ヘル家の紋章に込められた意味。
街の有力者たちの家系図。
魔族社会における序列意識。
この世界の薬草と魔物。
主要な交易路と、そこに現れる危険。
ヘルという街がなぜこの地に築かれたのか、その成立の歴史。
どれもこれも、知っているとラウラくんの解像度が上がる情報として、最初は本当に楽しく吸収できていた。
しかも不思議なことに、頭への入り方が妙に良かったのだ。
普通なら初見で混乱しそうな名称や系譜、複雑な礼法の手順まで、一度教わればすっと脳の中に収まっていく。もちろん完全に一回で完璧というわけではないが、少なくとも現実のテスト勉強の時みたいに、「え、これ何回読んでも入ってこないんだけど?」みたいな抵抗がまるでない。
マルコスが礼儀作法を見せ、私がそれを真似る。
ほんの数回で、ほとんど同じ角度、同じタイミング、同じ見栄えでできるようになる。
ラニアがヘル家特有の客人対応の流れを説明し、私が復唱する。
さっきまで知らなかったはずの一連の手順が、なぜか元から身についていたものを思い出すみたいに自然に繋がっていく。
これが【魔性の所作】なのか、【青血の器】なのか、それとも【高貴なる青血】あたりまで込みで効いているのかはわからない。
けれど少なくとも、今の私は貴族として学ぶことに対して妙に相性が良かった。
……いや、相性が良いってレベルじゃない気がするなこれ。
だって、ラニアが途中で何度も変な顔をしていたからだ。
「……ラウラリア様」
「はい」
「今の所作ですが」
「何か不備が?」
「不備ではなく」
ラニアは珍しく言葉を選ぶように間を置いた。
「初見でそこまで仕上がる方は、あまりいらっしゃいません」
「それは褒め言葉として受け取っても?」
「ええ、もちろんです。ですが少し、怖いですね」
「怖いんですね」
「ええ。いま一瞬、本当に元からそう育った方を見ている気分になりました」
それを聞いたマルコスが、書類を捲りながら静かに頷く。
「ヘル家の血統因子と、新たに得た種族的な補正がかなり強く噛み合っているのでしょう。立ち方、呼吸、間の取り方、そのいずれもが極端に乱れません。教える側としては非常に楽ですが、同時に説明しづらい優秀さです」
「褒められてるのはわかるんですが、なんか不穏なんですよね」
「ご安心ください、悪い意味ではございません」
「悪い意味だったら困りますよ」
とはいえ、褒められるのは普通に嬉しい。
嬉しいんだけど――教育というものは、どれだけ頭に入ろうと量が多ければ普通に疲れる。
最初は楽しかった。かなり楽しかった。
でも五時間を超え、六時間を超え、八時間を超えたあたりから、さすがの私も少しずつ無言の時間が増えていった。
ロールプレイの一環として「父上に期待を上回ってみせます」とか言っていた時のテンションは確かに本物だった。今でもその気持ちが消えたわけではない。でも、やっている内容が本格的すぎるのだ。
ロールプレイの資料集なら最高なんだけど、自分が今後実際に使う前提で叩き込まれると話が変わってくる。
しかもこれって多分、現実の礼儀作法も混ざっている。
わかりやすく嬉しいやつだけを摘まみ食いしていたい気持ちがないとは言わない。
でも残念ながら、領主の養子になるってそういうことじゃないらしい。
「ラウラリア様、集中が切れています」
「……はい」
私は机の上に広げられた街の見取り図から目を上げた。
「すみません。今、南東区画の税収と流通経路が頭の中でいい感じに混線していました」
「いい感じに混線していた、という言い回しは初めて聞きましたね」
マルコスは淡々としていたが、口元だけはわずかに緩んでいた。
ぐぅ、ラウラくんとしての口調が、ロールプレイが崩れているのを感じる……。
「ですが、十時間近く経ってこの程度で済んでいるなら、むしろ優秀です」
「十時間……?そんなに」
「ええ」
ラニアが少しだけ憐れむような、しかし誇らしげな顔で頷いた。
「休憩は挟んでおりますが、かなり密度の高い教育でした」
「密度の高さは……ええ、よくわかっています」
「逃げ出してもおかしくない量でした。ですが逃げ出しておりません」
「まあ、逃げるのも違うかなって……」
「だからこそです」
私は椅子の背に少しだけ身を預けて、長く息を吐いた。
疲労感はある。さすがにある。
頭の中に、びっしりと知識が積み上がっている感覚があった。けれど不思議なことに、その積み上がった知識がぐちゃぐちゃに崩れていないのだ。普通なら詰め込みすぎて混乱しそうなのに、今の私はそれぞれを一応、きちんと引き出しに分けて収められている。
それでも、全部がただの作業だったわけではない。
むしろ、学ぶ内容の中には普通に面白いものがかなりあった。
たとえば薬草。
この世界の薬草は見た目も効能も妙に凝っていて、止血に使うもの、解熱用、麻痺毒の緩和、魔力の巡りをよくするもの、夜目を補助するものまであるらしい。しかも、それぞれに生育場所や採取時期、加工法の違いがある。
魔物もそうだ。
ただ敵として存在しているわけではなく、素材として使える部位や、生態、好む環境、その魔物が現れた時に周囲の土地へどういう変化が起こるかまで体系立てて説明されると、ちょっとした設定資料集を読んでいる気分になる。
「この灰爪狼は、群れで動く上に学習能力が高いので、見つけ次第討伐すべき危険種に分類されます」
マルコスが本をめくりながら説明する。
「ですが牙と爪、毛皮は高値で取引されます。特に冬毛は防寒具の裏地として人気が高い」
「見た目は?」
「見た目、とは?」
「いや、少し興味本位で気になりまして」
私が言うと、ラニアが横から補足した。
「体長は大型犬より少し大きい程度、全身が灰色の毛で覆われ、前脚の爪だけが黒く長いそうです。赤い目を持つ個体は特に執念深く、獲物を長く追うと言われていますね」
「……あ、普通に格好いいですね」
「そこに反応するのですね」
「いや、灰爪狼ですよ?名前が強くないですか」
「ラウラリア様は時々、反応が異界人らしくて面白いですね」
歴史も面白かった。
どの家がどの家と争い、どの都市がどんな理由で栄えたり滅びたりし、なぜヘルが今のような位置付けにあるのか。それを家同士の思惑や戦の流れと一緒に聞いていると、ただの年表ではなく、かなり濃い群像劇に思えてくる。
けれど、その中でも一番印象に残ったのは――やはり異界人についての扱いだった。
最初にその話題が出たのは、ギルドと街の関係について説明されている時だった。
「冒険者ギルドはそれぞれの街にとって不可欠な存在です」
マルコスがそう言いながら、いくつかの資料を机へ並べた。
「通常の冒険者、傭兵、流れ者の取りまとめもありますが、近年はとくに異界人の受け皿としての役割が大きい」
「異界人……プレイヤーですね」
「ええ、この世界ではそう呼ばれています」
それから二人が説明してくれた異界人像は、正直かなり面白かった。
異界人は、異界から来た魔族。
だが、この世界に元からいる魔族とは別物の存在。
彼らは別の世界からやって来ているため、時折元の世界へ魂が引っ張られることがある。その状態が、いわゆるログアウト――こちら側の世界では異界の眠りと呼ばれているらしい。
しかもその認識が妙に完成されているのだ。
「異界人は、己の魂が異界へ引かれる気配を察知することができます。ですので、眠りに落ちる前に安全な場所へ戻る者が多い」
「なるほど。ログアウトの前兆がある扱いなんですね」
「ろぐ……?」
「あ、いえ。こちらの言い方です」
「そうでしたか。短ければ数時間。長い者だと、何日も目覚めぬこともございます」
「……その間、こちらでは?」
「眠ったままです」
「完全に無防備なんですね」
「ええ。ですから異界人を抱える側は、その異界の眠りをどう扱うかが重要になります」
この説明がやけに現実的で、私は内心かなり感心していた。
NPC側から見たプレイヤーって、そう見えるのか。
突然現れて、妙に刹那的で、妙に向こう見ずで、でも時々ありえない成長を見せて、しかも定期的に魂が抜けたみたいに長時間眠る。
……そりゃあ異質な種族扱いになるよね。
「異界人は総じて、刹那的な快楽と力を求める傾向が強く。また、規則や慣習に従うことを好まぬ者も多いです」
「うーん、言い方」
「ですが完全に間違ってはいないのでは?」
「否定しにくいのが困るんですよね、それ」
「でしょう?」
そのあとは、さらに面白かった。
異界人は最初こそ大した力を持たないが、時間が経つにつれて恐ろしく強くなる個体がいること。そしてそういう異界人を囲い込むために、この世界の権力者たちは色々な手を使ってきたらしい。
「特別な住居」
マルコスが一本指を立てる。
「特別な身分」
ラニアが二本目を立てる。
「特別な報酬」
マルコスが三本目。
「そして、明確な差別化」
ラニアが四本目を立てた。
私はそこで少し目を細めた。
「……差別化?」
「ええ」
ラニアは頷く。
「異界人は自分だけが特別であると感じられる状況に、非常に強く反応する傾向がございます」
「うわぁ、だいぶ刺さりますね」
「やはりそうなのですね」
「いや、ええ、まあ……はい」
わかる、わかりすぎる。
限定装備、特別な称号、一般プレイヤーが入れない専用区画、上位者しか受けられない恩恵。
そういうものに反応しないプレイヤーなんている?私はいるわけないと思う。
マルコスはそんな私の顔を見て、どこか得心したように頷いた。
「また、立ち入りに制限を設けるのも有効です」
「制限?」
「特別な者しか入れぬ区画を作るのです。さらに、その中でも強さや実績によって細かく階級を分ける」
「……あ」
私はそこで、思わず変な声を出しそうになった。
「それってもしかして……」
「冒険者ギルドの階級制度ですね」
ラニアが微笑む。
「実際に用いられている手法です」
いや、それは知らなかった。
もちろんギルドに階級制度があること自体は知っている。
ゲームでは普通だし、むしろあって当然くらいに思っていた。でもその裏に異界人をより強く、より競わせ、より上を目指させるための設計思想があるなんて、そんなの普通に面白すぎる。
世界観の構築が、やたら緻密だ。
ただのゲーム的都合じゃなくて、この世界の住民たちが異界人という存在を観察し、扱い方を研究し、その上で制度化している。
そう考えると、ギルドの階級ひとつ取っても見え方が全然変わってくる。特別な区画にしてもそうで、ゲームでは実力や評価が上がらないと次の場所へ行けないのはお約束だけど、それに理由があるなんて知らなかった。
「……すごいですね」
「ええ」
「異界人は扱いを誤れば厄介ですが、上手く乗せれば大きな力になります」
「言い方が完全に手綱の握り方なんですよ」
「実際、そういう側面もございます」
「否定しないんですね」
「否定する理由もございません」
淡々と言い切るマルコスに、私は思わず笑ってしまう。
でも、本当にそうなのだろう。
この世界から見れば、プレイヤーというのは資源であり、脅威であり、可能性なのだ。そしてその異質な存在へ、ギルドや領主たちがどう対応してきたのかというのは、ひどく生々しくて面白かった。




