043.くゆる
扉を叩く音がする。
「噂をすれば、ね」
クレールが街側の扉を開けると、相変わらず上等な外套を身に纏ったエドガーが立っていた。
大貴族の青年は相変わらず朗らかな雰囲気であったが、食卓に着くディランに気付くなり眉根を寄せた。
「ディラン……何故お前が此処にいる?」
普段よりも幾段低い声の上司に凄まれ、ディランは慌てて立ち上がった。
「先日の謝罪と、見舞いに」
「この年末の忙しい時期にわざわざ休みを取って?」
卓の上に置かれたカップとディランの顔を見比べた翠の双眸が、あからさまに細められる。
「まさか一日中いたのか?」
「い、いえ……」
「私が買い出しで留守だったので、彼が上がったのは少し前のことです。一日中うちにいた訳ではないわ」
クレールが意識して声を張り上げれば、険しい視線がディランから外れる。釈然としなさそうではあったが、家主としては揉められるのは堪ったものではない。
「貴方こそ、何しに来たの?」
「君の見舞いだ」
差し出された包みを開けると、立派なタルトが出て来た。敷き詰められた桃の砂糖煮が眩しい、随分と食べ応えのありそうなそれに、クレールは気圧される。
「これは……ディランも食べていくでしょう?」
「いや、私は」
「私たちだけでは食べ切れないわ。いいわよね、エドガーさん」
返答を聞くよりも先に、傷ひとつない右手がタルトに包丁を滑らせる。白蛇の分も合わせて、きっちり四等分。
帰りたいと書かれた顔をしたディランだったが、固辞しようにもエドガーの「まさか断らないだろうな?」と言わんばかりの視線に、諦めの境地でタルトの皿を受け取る。
「あら、エドガーさんのカップがないわ。私のを洗うから、それでもいい?」
「お構いなく」
クレールは手早くカップを洗いエドガーの前に置くと、自分も席に着いた。彼女がタルトを一口食べて、漸く他二人も各々の皿に手を付ける。
「…………」
「………………」
「………………………………」
大人が三人もいるというのに、何の会話も始まらない。エドガーは上品な手付きで淡々とタルトを消費し、ディランは甘いタルトを食べているとは思えないほど固過ぎる面持ちだ。
できれば身分が上であるエドガーに会話を回して貰いたいところだが、その兆しは微塵も見られない。
「ディラン、何か喋りなさい」
「話の主導を握るのは家主の役目だろ」
「何よ。それでも政務官なの?」
「政務官を何だと思っているんだ?」
悪態を吐いたディランだが、エドガーの視線に気付いて慌てて口を引き結んだ。背筋を正し、タルトを食べる作業に戻る。
クレールは小さく溜め息を吐くと、ふたりのカップに林檎茶を追加した。
「ねえ。貴方たちって仲が悪いの?」
「業務に支障は出していないから問題ない」
低い声には先程までの棘はないが、温度も感じられない。薄い手袋で雪に触れてしまった時くらい冷えている。
「君たちはどうなんだ?」
「仲良さそうに見えるの?」
「他愛のない会話をするくらいには」
クレールはフォークを置くと、行儀悪くも頬杖を突いた。そのまま横を向けば、ディランは顔ごと視線を逸らす。
「私は別にどうも思っていないけれど、ディランは私が苦手よね?」
「そうなのか?」
「だって、この子は蛇が苦手だもの。シルヴェの子供らしく大人の目を盗んで静謐の森に入って、枝から落ちて来た大きな蛇に腰を抜かして大泣きしてからずっと」
「何故それを知っている!? ゼファー兄しか知らない筈なのに!」
顔を真っ赤にし、ディランが悲鳴じみた声を上げる。
だがその反応が想定外だったクレールは小首を傾げた。
「何故って……第一発見者、私だったでしょう?」
あっけらかんとして言えば、従兄と同じ濃青色が瞬く。
「そうだったか……?」
「そうだったわよ。そもそも静謐の森は、私以外は入れないわ」
「それは、そうだが……?」
何が引っ掛かるのか、ディランは腕を組んで考え込み始めた。まだ若いのに、もう忘れたのだろうか。
「エドガーさんは蛇は平気よね? グレースちゃんとも仲良くしているし」
「特に苦手ということはないな。士官学校時代に野営で食べたこともある」
「えっ」
ふとクレールが卓の下を覗くと、こっそりと寝台から抜け出して来たのであろう白蛇が雷に打たれたかのように固まっていた。つぶらな紅い瞳なんて、これでもかと真ん丸になっている。
クレールは慌てて白く流麗な身体を引き寄せ、胸元に抱き込んだ。
「安心しろ。グレースを食べたりなんてしない」
「当たり前よ」
唇を尖らせてそっぽ向くクレールに、思わずと言った体でエドガーは笑い声を零す。
クレールはフォークを取ると、端に避けてあった四枚目の皿のタルトに突き刺した。
一口分を白蛇の鼻先に差し出せば、すぐさま大きな口が被り付く。お気に召したようで、二口目の催促はすぐやって来た。
小食なクレールと違って、いつの間にか男二人はタルトを食べ終わっていた。口直しの茶を注いでやりながら、クレールは思い出したようにエドガーに尋ねる。
「貴方、本当は何をしに来たの?」
「もちろん、君に会いに」
低い声に甘さが混ざる。朴念仁であるクレールにもわかるくらいに。
気不味そうに視線を彷徨わせるディランを無視し、クレールは問いを重ねる。
「貴方は、私を何だと思っているの?」
「可愛い女の子」
間髪入れず答えたエドガーだが、すぐに思い直したように口を開く。
「ゆくゆくは妻に迎えたいと思っている」
林檎茶を噴き出しかけたディランの横っ面に、眉を顰めたエドガーが手巾を投げつける。
白蛇の口に最後のひと欠片を仕舞いながらそれを眺めていたクレールは、浅く息を吐いた。
「ほら、やっぱり可笑しいわよ」
「いや……俺からは何とも……」
「何の話だ?」
「私には、貴方がわからないという話よ」
腑に落ちないのだろう、クレールがよくするように、大魔術師の青年は首を傾げる。
だからクレールは、隠すことなく胸中で蠢くものを音にして綴る。
「言葉も、行動も……勝手に距離を詰めて来て、勝手にいい顔をして。貴方は都度さりげなく理由を用意しているつもりだろうけれど……貴方の好意は妙に説得力が薄いのよ」
先程のエドガーの言葉には、裏を感じられなかった。耳慣れて来た低い声は、誰が聞いてもひとりの真摯な男の声だった。
「私たち、出会ってからまだ二月なのよ?」
「世の中には結婚式のその日に初めて顔を合わせる夫婦もいるぞ?」
「それは政略結婚をする貴族の話でしょう?」
少なくともクレールの知る夫婦は、どこもある程度の信頼と愛情を育んだ上で結婚している。水晶城に勤める政務官一族の中には家が相手を決めることがあるそうだが、それでも幼い頃から友好的になるように取り計らわれる。
クレールは天井を仰いだ。
梁が剥き出しのそこは、狭い家のそれであってもすべてにランプや竈の火が届く訳ではない。隅の薄暗闇を睨みながら、ぽつりと呟く。
「ちょっと、暫くうちに来ないでくれる?」
何故そうなるのかと、ディランは目を剥いてクレールを凝視した。恐る恐る反対側を視界に入れれば、表情を消したエドガーが瞬きひとつせず座っている。
「俺を拒むのか?」
「拒むのではないわ。ちょっと、私の中で整理する時間が欲しいの。それにこれから更に雪が酷くなる時期になるし……そもそも貴方、此処にしょっちゅう来ていられるほど暇な身分ではないでしょう?」
多忙な領主代行の任を押し付けられている彼の本業は大魔術師だ。翠の塔の管理者として、魔術師の部下を何人も抱えている。
加えて今の時期の政務部は、新年に向けて業務が増えている筈なのだ。ただでさえ忙しい彼に、街娘に構っている時間があるとは思えない。
「だから……そうね。もし春になって、それでも貴方の気が変わらず会いに来てくれるのなら、私も考えを改めます」
雪解けと共に気が変わるのなら、それまでだ。
ディランはそっと隣に座る青年の様子を伺った。
大貴族であり大魔術師である彼は、クレールの言葉に表情ひとつ変えず、静かに耳を傾けていた。
怒っているのだろうか、それとも失望しているのか。
恐る恐るディランが伺っているだなんて意にも介さない彼は、暫しの沈黙の後に口を開いた。
「わかった」
表情と同じく、静かな返答。ほっと、視界の端で少女の肩から強張りが解けるのが見える。
「帰るぞ、ディラン」
「は、はい」
薄暗くなり始めた外は、相変わらず雪が降っていた。消えつつ三人の足跡に、エドガーもディランもしっかりと外套を着込む。
「クレール」
「なぁに?」
エドガーは先にディランを外に出してしまうと、ランタンを差し出していた白い手を掴んだ。
細い身体を抱き寄せ、息を呑む耳元に唇を寄せる。
「絶対に会いに来る」
確固たる意志の込められた言葉に、クレールは曖昧な笑みで見送った。




