届かぬ叫びと、鉄の幻影
カン、カン、カン……。
今日もまた、外から硬質な音が響いてくる。
俺は宿の粗末な窓から、街道沿いの風景を見下ろした。そこには、数ヶ月前までただの砂利道だった場所に、奇妙な鉄の道が敷設されている。
均一な太さの枕木、そしてその上に固定された、どこまでも続く二本の鉄の棒。
「……正気とは思えん」
俺は呟き、手元の羊皮紙に暗号で走り書きをした。
俺の名はラルド。隣国から潜入している諜報員だ。表向きは行商人を装い、こうして日夜、このオルドリンド王国の動向を探っている。
サージョという新興勢力が台頭してから、この国の動きはあまりに不可解だった。紙幣の流通、規格化された建材、そしてこの鉄道と呼ばれる鉄の道。噂では、この上を「鉄の馬」が走り、大量の荷物を運ぶという。
「鉄の塊が走る? 馬鹿げている」
俺は鼻で笑った。鉄は重い。それが常識だ。それを動かす魔力など、宮廷魔導師が束になってやっと足りるかどうか。
だが、俺の任務は事実を報告することだ。俺は情報の裏を取るため、宿を出て近くのパン屋へと向かった。
「へい、毎度!」
「ああ、いつものパンをくれ。……それにしても、最近は職人が増えて景気がいいね」
「おうよ! 聞いたかい? 今度、王都で『鉄道』の試験運行があるらしいぜ」
「試験運行?」
「ああ、なんでも『蒸気機関車』ってやつが、客を乗せて走るんだと。サージョ様の発明品だ、きっとすげえぞ!」
パン屋の親父の言葉に、俺の背筋が冷えた。
ただの噂話ではなかった。本当に動かすつもりなのか。俺はその足で、王都へ向かう乗合馬車の手配をした。
◇
数日後。オルライアの中央駅。
俺は、目の前の光景に言葉を失い、持っていた荷物を落としそうになった。
「な……なんだ、あれは……?」
駅のプラットホームに鎮座していたのは、俺の想像を絶する怪物だった。
鉄の馬? いや、そんな生易しいものではない。
見上げるような巨大な車輪。漆黒に輝く鋼鉄の装甲。後方には長く連結された箱型の車両。
大きさは、俺が想定していた馬車の十倍どころではない。城壁の一部が切り取られて置いてあるかのような、圧倒的な質量感。
「こんなものが……動くのか?」
動くはずがない。物理的にあり得ない。
だが、その怪物は俺の常識を嘲笑うかのように、白い蒸気を噴き上げた。
凄まじい排気音とともに、地面が震える。
「出発進行!」
制服を着た駅員の声とともに、怪物――蒸気機関車が、ゆっくりと動き出した。
最初は重々しく。だが、すぐに車輪の回転は速まり、人の早歩きを追い越し、全力疾走する馬すらも凌駕する速度へと加速していく。
轟音を残し、鉄の塊は地平線の彼方へと消えていった。
「……馬鹿な」
俺は震えが止まらなかった。
あれだけの質量を、あれほどの速度で運ぶ。
もし、あの後ろの箱に積まれているのが、客ではなく兵士だったら?
完全武装した兵士千人を、馬車なら一週間かかる距離を、わずか数時間で移動させることができる。国境に敵が現れた瞬間、即座に援軍が展開され、補給物資が無限に届く。
「……戦争の概念が変わる」
兵員輸送の効率化どころではない。これは、軍事バランスそのものの崩壊だ。攻め込んだが最後、我が国は瞬く間にこの鉄の網に絡め取られ、すり潰されるだろう。
俺は宿に戻ると、震える手で本国への緊急報告書を書き上げた。
『至急報告。オルドリンド、巨大な自走式鉄製車両を開発。数百の兵員を高速輸送可能。従来の兵站概念は通用せず。直ちに対策を請う』
◇
三週間後。西方の都市を調査していた俺は本国から届いた返信を受け取り、絶望で膝から崩れ落ちそうになった。
『貴官の報告は確認した。だが、長期任務で疲れているのではないか? 少し休んでから任務を続行されたし。送るならもっとまともな、現実的な軍事情報を送れ。以上』
「……ふざけるなッ!!」
俺は羊皮紙を壁に叩きつけた。
現実的? これが現実だ! 俺はこの目で見たんだ!
だが、上層部の石頭たちには、この脅威が想像すらできないのだ。彼らの頭の中にある最新兵器は、せいぜい新型の火縄銃や、少し強力な火球を放つ魔法使い程度なのだから。
「なんで……なんで話を聞いてくれないんだ……!」
憤りが込み上げる。だが、俺は諜報員だ。帰還命令が出ていない以上、勝手に任地を離れることは死罪に値する。
俺は唇を噛み締め、再び街へと出た。何か、奴らに理解できる形の証拠が必要だ。
そんな時、酒場でガラス細工師の会話を耳にした。
「聞いたか? 今度は王都で『街灯』の点灯式があるらしいぞ」
「街灯? たいまつを掲げるのか?」
「いいや、サージョ製の魔導具だ。夜を昼に変える魔法の光だとよ」
俺の勘が警鐘を鳴らした。
俺は再びに王都へと舞い戻った。
◇
王都の大通りは、祭りのような熱気に包まれていた。
夕闇が迫る中、通りには等間隔に、奇妙なガラス玉を冠した鉄柱が並んでいる。
「……あれが、魔導具だと?」
その数に、俺は戦慄した。
一本一本に、高価な魔石や増幅器が組み込まれているはずだ。それを、こんな無防備に、しかも数百本単位で屋外に設置するだと?
王城の宝物庫にあるような魔導具を、雨ざらしにするようなものだ。この国は、それほどまでに生産体制が整っているというのか。
「点灯五秒前! ……三、二、一、点灯!」
カッ、と音が聞こえた気がした。
瞬間、俺の視界は白に染まった。
「おおおおおおッ!!」
市民の歓声が爆発する。
「な……!」
俺は目を見開いた。
明るい。あまりにも明るい。
揺らめく炎の心許ない光ではない。直視できないほどの純白の光が、王都のメインストリートを一直線に照らし出している。
夜の帳が降りかけていた空が、そこだけ切り取られたように昼間であるかのように輝いていた。
「魔法だ……だが、これは……」
俺の周りで、子供たちがはしゃぎ回り、老人たちが拝んでいる。
だが、俺に見えていたのは「絶望」だった。
魔導具とは、選ばれた職人が数ヶ月かけて作る一点物のはずだ。
だが、この国ではそれを街灯として惜しげもなく並べている。
これは、彼らが魔導具を「工業製品」として量産できることを意味している。
経済力、技術力、および軍事力。
魔導具をこれほど容易く揃えられる国に、我が国の騎士団が勝てる道理がない。
暗闇でも昼間のように行軍でき、鉄道で無尽蔵に補給を受ける軍隊。
対して我が国は、松明を持ち、斥候を走らせ、泥道を馬で進む軍隊。
「……勝てない。絶対に勝てない」
確信した。大陸中のどの国が束になっても、今のオルドリンドには傷一つつけられないだろう。
このままでは、我が国は何も知らぬまま、この巨大な怪物に飲み込まれる。
俺は群衆をかき分け、路地裏へと走った。
もう、手紙など書いている場合ではない。
文章でどれだけ熱弁しても、彼らは夢物語として処理するだろう。
俺が直接帰り、上官の胸倉を掴んででも、この目で見た「未来」を伝えなければならない。
それは、無許可離脱という重罪だ。
見つかれば処刑されるかもしれない。本国についても、狂人扱いされて投獄されるかもしれない。
「……それでも、行かねば」
俺は懐の身分証を握りしめた。
命を賭ける価値はある。祖国が、あの鉄の馬に踏み潰される前に。
俺は王都の光を背に、闇夜の街道を走り出した。その背中には、決して消えない「文明の光」の恐怖が焼き付いていた。
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