第55話 情報の支配者、あるいは確定した未来
量産型魔導具が街の景色を塗り替え、人々は「利便性」という名の心地よい依存に浸かっていた。 その裏側で、サトシはさらに冷徹な、そして目に見えない支配の網を大陸全土に広げようとしていた。
この世界には対象に自身の声を双方向で伝える術、通信魔法が存在する。 しかし、それは極めて射程が短いという欠陥魔法であった。
熟練の魔導師が心血を注いでも、声が届くのはせいぜい一キロメートル先が限界である。 そのため、情報の伝達は依然として「早馬」や「伝書鳩」に頼らざるを得ず、辺境の相場が王都に届く頃には、すでに十日から数週間のタイムラグが生じるのが常識であった。
開通した鉄道を利用しても国内の端から端までは未だに十五時間のラグが生じるのだ。 一国でそうであれば大陸全体ではいわんや、その遅れは絶望的といっていい。
「情報の遅延こそが、市場の歪みを生む。ならば、その歪みはすべて俺が買い取る」
サトシは長距離通信の実現可能性を探るため、王立学院のニコラ・ロラン教授を訪ねていた。 そこで教授が示した試算結果は、絶望的とも取れるものだった。
「ええ、確かに私は広域通信魔法の実現性に関する論文を書きました。はっきり言いましょう。理論上、魔法の減衰を抑えて百キロメートル先に声を届けることは可能です。ですが……そのためには一点の曇りも、不純物も、結晶の歪みも存在しない、重さにして三十カラットを超える巨大な宝石が必要になります。要するに力業ですな」
ニコラ教授は自嘲気味に肩をすくめて続けた。
「そんな代物、この世界のどこを探しても存在しませんよ。神の庭にでも行けば話は別でしょうが、現実には実現不可能な空論だ、と結論が出ています」
サトシは無言で懐から一つの革袋を取り出し、机の上に置いた。 中から転がり出たのは、深紅の光を放つ、あまりにも完璧すぎる巨大な結晶体であった。
「あなたの研究論文は事前に読ませてもらったよ。――これで、話は変わるか?」
サトシは、現代日本にある森下人工結晶製作所に特注し、一点の曇りもない三十カラットの巨大な人工ルビーを調達していたのだ。
度肝を抜かれた教授を尻目に、サトシはニコラ教授に詰め寄るのだった。
こうして、これまでの常識を覆す百キロメートル単位の超広域通信を可能にした「長距離通信魔導具」が実現したのだ。
◇
サトシは敷設を終えたばかりの鉄道沿線の各駅に、サージョ専属の通信員を二十四時間体制で常駐させた。 さらに、商隊や使節に紛れ込ませる形で、周辺諸国の主要都市にも複数の連絡員を潜伏させた。
「――通信開始。シノーバ王国王都、麦価格、北方の冷害を反映、一割の上昇を認む」
「……了解。シノーバ王国南西部穀倉地帯は豊作、前年より二割引きで取引中。買いを維持せよ」
巨大なルビーが怪しく発光するたび、大陸各地の「商品相場」や「収穫状況」、さらには「軍の動向」が秒単位でサトシの手元に集積されていった。
サトシは情報の非対称性を極限まで利用していた。 他国の商人が数週間前の情報を頼りに動いている間に、サトシはすでに現在の相場を確認したうえで先回りし、莫大な利益を刈り取っていく。
「結末」を知った状態で取引を行う。 それはもはや商売ではなく、確定した未来を収穫する作業に等しかった。
もはやサトシは、その意志一つで一国の小麦価格を暴騰させることも、特定の国家を破綻に追い込むことすら可能な、実質的な大陸経済の支配者へと変貌を遂げていた。
また、サトシは連絡員たちを通じて、拠点であるオルドリンドの「異常な発展」を戦略的に喧伝させた。
「夜は太陽のように明るく、鉄の馬が風より速く荷を運ぶ。あそこには世界中の富が集まっている」
流布される噂に、近隣諸国の支配者たちは戦慄した。 彼らはもはや、経済面でも武力の面でもオルドリンドに勝ち目がないことを痛感し始めていた。
「戦争を仕掛けようにも、やつらがその気になれば、大陸中の全傭兵ギルドを数倍の報酬で雇い上げることができる。武力での解決は自殺行為だ」
当然この発展に警戒する国家は多かった。 どうせ食い殺されるのならばと武力による侵攻すら検討されていた。
しかし、サトシはそこでさらに巧妙な策を講じる。 各地の連絡員を通じて、あえて情報を相互に共有させその力の源泉が「王国」という国家ではなく、あくまで「サージョ」という一個の商会であることをそれとなく流させたのだ。
「サージョは国家ではない。利益によって動く、ただの商人だ」
このメッセージは、危機感に震えていた各国指導者たちの心に、抗いがたい欲望を植え付けた。 国家同士の対立であれば滅ぼし合うしかない、生存競争のライバルである。
だが、相手が商会であるなら、その利益に与り、自国もその技術を取り入れて成長できるのではないか。 いや、できなければ周辺国家に取り残されてしまう。
「サージョを引き入れなければ、我々は敗北する。……秘密裏に窓口を探り接触せよ。決して威圧的に出るな」
それは、サトシが仕掛けた「囚人のジレンマ」だった。 各国が隣国を出し抜こうと、競い合うようにサージョへ秋波を送り始めたのだ。
都合のいい便利な御用商人として利用するため、各地の大使館や諜報部が、夜の闇に紛れてサージョの各支店に接近し始めた。 サトシはそれらを静かに、そして暖かく迎え入れた。
こうして、サージョの影響力は拒絶されることなく、むしろ渇望される形で大陸全土に浸透していった。
彼らは気づいていない。 自国にサージョを引き込むことの意味を。
サージョの魔導具を買い、サージョの鉄道に頼り、サージョの情報網に組み込まれる。 確かに繁栄するだろう。
しかし、その繁栄を享受することは、国家の主権を、目に見えないサトシの「契約」という名の鎖へ明け渡すことに等しいという事実に。
サトシは、ルビーが放つ赤い残光の中で、地図上に示された大陸中に広がった通信網を見つめていた。
「……文明という毒を、拒める人間はいない」
鉄路、紙幣、魔道具、転じて通信。 四つの網が完全に重なったとき、大陸の国境線はただの古い地図上の落書きと化した。
【第55話進捗概況】
情報覇権: 超長距離通信網の確立による、大陸規模の裁定取引の完成。
国際戦略: 近隣諸国の経済的依存を加速させ、商会という立場を利用して全土に浸透。
現在の状況: サトシは実質的な大陸全土の「黒幕」として経済統治者へ。
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