第52話 聖域の買収
鉄路が大地を切り裂き、科学と魔法が産業を飛躍的に加速させる。 しかし、その光景はある種保守的な思想を持つ者たちからすると異常なものに映っていた。
祈りの静寂に包まれているはずの「神殿」もまた動揺していた。
「……このような行い、看過できぬ。これはもはや、神が人に授けられた『奇跡』への冒涜ではないか」
王都の神殿の奥深く、異端審問所の訓練施設で若く血気盛んな審問官たちは憤りに震えていた。
彼らが問題視したのは、サトシが魔法使いに配布した「規格化杖」とそれを用いた大規模な土木工事に関してであった。 神への祈りと修練の末に発現するはずの「奇跡」である魔法が、サトシの持ち込んだ量産された触媒によって増幅され、ただの労働の道具として使い潰されている。
しかし、審問所も即座に動くことができるわけではない。 鉄道の恩恵はすでに有力な寄進者たちにまで浸透している。 サトシを不用意に断罪しようとすれば、自分たちの首を絞める結果になりかねないからだ。
だからこそ、教義に熱心な若い審問官たちは上役へ異端審問の許可を得るため幾度も申し立てを行ってきた。
そんな審問所の突き上げを、王都周辺教区の最高権力者であるベネディクト司教は、ひどく退屈そうに受け流していた。
「やれやれ、現場の審問官の若造どもは教義だの冒涜だのと、騒がしいことだ。今のサージョの権勢を思えば、断罪などできるはずもないではないか」
司教は私邸の豪華なソファに深く腰掛け、最高級のポートワインを口に含む。 表では熱心な信仰と奉仕の精神から教区での評判も高い司教であったが、実際の彼にとって教義とは、大衆を統治し利益を吸い上げるための道具に過ぎなかった。信仰などはとうになくなっていた。
むしろ、この「異端騒ぎ」をどう使えば、サージョから最大限の譲歩を引き出せるか。 それだけが関心事だった。
◇
そんな折、サトシは自ら神殿の聖域へと足を踏み入れた。
「……サトシ殿。貴殿の事業における魔法の扱いは、いささか軽々にすぎる。教義に触れるのではないかという声が、審問所から上がっておりましてな。私も彼らを宥めるのに、少々骨を折っております。このままではいつ現場が暴走するともしれません」
司教は、芝居がかった溜息をついてサトシを迎えた。 早い話が「対応してほしければ、相応の利益を提示しろ」という露骨な催促である。
サトシは表情一つ変えず、懐から一通の目録を差し出した。
「司教、私は敬虔な信徒として神殿のさらなる発展を願っているに過ぎません。……これは、現場の方々の『誤解』を解いていただくための、ささやかな寄進の目録です」
目録に記された数字を見た瞬間、司教の眉が微かに跳ねた。
それは一貴族が一生かけて捧げる金額を遥かに凌駕する、しかしサージョ全体からすれば莫大な利益の極々一部に過ぎない寄付金が記されていた。
これだけの資金あれば、間近に迫った「枢機卿選挙」の票を買い占めることができる。
枢機卿選挙――それは崇高な儀式などではない。 実態は、聖職者の皮を被った権力者たちが金という名の弾丸を至近距離で撃ち合う凄惨な戦場だ。
対立候補の醜聞を買い取り、各教区の有力者に「聖遺物の修繕費」という名目の裏金をばらまく。金と密約が支配する世界において、サトシが提示した額は戦局を一撃で塗り替える戦略兵器に等しかった。
「さらに、もう一つ。……現場の方々の公務を支えるため、我が社が開発した『最新の杖』を百本、神殿に無償で融通いたしましょう。これがあれば彼らも『神の奇跡を具現化する新たな聖遺物』として溜飲を下げていただけるのではありませんか?」
サトシの提案は完璧だった。
面倒な現場の審問官には何倍もの「奇跡」を行使できる玩具を与えて黙らせ、司教自身は枢機卿への階段を上るための軍資金を得ることができる。
サトシは、事前にカイルが組織した情報収集部隊を通じて、神殿内部の勢力争いや司教の世俗的な欲、枢機卿選挙の動向について常日頃から裏情報を仕入れ続けていた。
「……おお、なんという献身でしょうか。サトシ殿、これだけ他者への愛と慈しみを示す貴殿が異端などであるはずがありません。神の恩寵を鉄の路に変える、選ばれし導き手だと、この私が認めましょう」
司教は、先ほどまでの面倒そうな態度が嘘のように柔和な笑みを浮かべ、サトシの手を強く握った。
サトシは心の中では「この狸めが」、と毒づいていたが表情には一切出さず、にこやかに握手を受け入れた。
◇
寄付金の入金が確認されてすぐ、司教を通じて異端審問所から公式な見解が出された。
『サージョが行う事業は、民にあまねく神の恩寵を分配する慈悲深き正当な活動であり、神殿はこれを認め保護するものである』
公式な見解は、絶対的な権威をもって国中に布告された。
それと同時にサトシが供出した百本の「最新の規格杖」はその半数が民を救済する癒し手へ、もう半数が不浄を払う審問官へと分配された。
「規格杖」を手にした彼らは、その圧倒的な増幅効率に目を剥いた。 これまでは高位の神官にしか行使できなかった広域の「癒しの奇跡」が、若き癒し手たちの手によって安々と再現されたのだ。
一方、異端審問官たちは、杖からもたらされる破壊的な権能に酔いしれていた。 逃亡する異端者の背を焼き、神の威光を知らしめる「神罰」の威力は数倍に跳ね上がり、彼らに「選ばれた執行者」としての全能感を与えた。
「素晴らしい……! サージョが用意したこの杖こそ、主が我ら神殿に授けてくださった新たな聖遺物に違いない。この奇跡の輝きを見れば、彼がいかに敬虔な信徒であるかは自明ではないか」
昨日までサトシを冒涜者と呼んでいた審問官たちは、今やその杖を高く掲げ、自分たちに強大な権能と功績を与えてくれたサトシを称賛し始めていた。
これにより、王家、貴族、商人に続き、最後の砦であった「神殿勢力」までもが、サトシの掌中で踊る駒となった。
「これで、国内で俺に文句を言えるものはいなくなった」
執務室に戻ったサトシは窓から見える敷設されたばかりの鉄路を見つめ、静かに呟いた。 異端審問という足枷が事実上消滅した今、魔法はもはや選ばれた者の「奇跡」である必要はない。
「エレナ。次は、魔法を『奇跡』から『日常』へ引きずり下ろすぞ。魔導具を一般に普及させ、魔法を誰もが使える汎用的なエネルギーにする」
「承知いたしました、サトシ様。……特別な才能を持たない人々の手に、魔法という名の利便性を解放する。それこそが、この国に真の産業革命をもたらす決定的な加速装置となりますわね」
エレナの瞳に、新たな野心の火が灯った。
鉄道という動脈が通り、紙幣という血液が流れ、そして今、神殿の沈黙を買った。 サトシとエレナの描く近代化は、もはや一つの国家の枠を超え、世界そのものの理を根底から作り替えようとしていた。
【第52話進捗概況】
政治的成果: 神殿勢力の懐柔と公式な「活動保護」の獲得。
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