第42話 走らせるより、維持する方が難しい
育成研修センターをあとにしたサトシたちが訪れたのは、埼玉県にある鉄道博物館だった。
展示された重厚な蒸気機関車や流線形の特急列車に目を奪われるエレナとカイルだったが、サトシが二人を導いた目的は車両がもつ華の部分ではなく、その運行を支える裏側の展示だった。
「……安全検査、全般検査、交番検査。これほどまでに細分化された保守管理が必要なのですね」
エレナは、掲示されたメンテナンスのスケジュール表と管理体制に、学んだばかりの施工管理に似たものを感じていた。 数万の部品で構成される巨体を維持するため、分単位、ミリ単位で定められた「管理の網」だ。
「そうだ。鉄道は走らせることより、停まらないように維持することの方が遥かに難しい。異世界で鉄道網を根付かせるためには車両を作る技術以上に、この『検査の文化』を根付かせる必要がある」
カイルもまた、整備士たちの工具や巨大な車輪の断面を凝視していた。 元斥候兵として、そして叩き込まれた兵站を知る彼にとって、故障が起きる前に部品を換えるという予防保全の概念は軍隊の運用にも通ずる革新的な教えであった。
◇
その夜、一行は東京へと移動した。 駅に降り立った途端、二人を襲ったのは色彩と音、そして圧倒的な数の人間の奔流だった。
「サトシ……この街には、一体何人の人間がいるんだ? 王都中の人間を集めたみたいだ」
「この国全体で一億人以上の人間が生活している。この東京だけでも、お前たちの国の全人口を優に超えるだろうな」
「たった一国だけで一億もの人が……。私たちが住む大陸すべてを合わせても届かない数の人がいますのね」
サトシの言葉を、二人はもはや冗談とは受け取れなかった。
宿泊先は、会社経費として適切に処理できる範囲内でサトシが選んだ最高級のシティホテルだった。
「これも一種の視察だと思ってくれ。この世界の『サービス』という名の無形の価値を体験しておくんだ」
サトシの言葉通り、ディナーのフルコースで供される洗練されたサービスに二人は衝撃を受けていた。 一分の隙もない給仕、客の要望を先回りする気遣い。
「これが文明の辿り着く接客の真髄なのですね……」
エレナは感銘を受け、一方でカイルはふかふかのベッドの質感に翻弄されていた。 二人は現代社会が持つ情報の密度と、体験したことのない快適さに驚き疲れたまま、吸い込まれるように深い眠りに落ちていった。
◇
翌日、一行は横浜の「みなとみらい技術館」へと足を運んだ。
ここで学んだのは鉄道博物館とは異なり、ガスタービンのフィンや深海探索機の耐圧構造といったより根源的な重工業の技術だった。
ネジ一本の規格化、金属疲労の概念など、地味だが産業を支える不可欠な知恵を二人は必死にメモに走らせた。
しかし、その光景を眺めながら、サトシは冷徹な自己批判を始めていた。
(……やはり、こうして学ぶだけでは足りない。二人がどれほど能力が高くとも、数十年の蓄積を独学で埋めるのは不可能だ。専門家の『生きた経験』が必要だ)
見学の後、三人は横浜赤レンガ倉庫を散策した。
「……少し、安心しましたわ。先ほどまでは未知の技術に振りまわされる一方でしたが、ここは私達の世界に近い建物が多くて親しみを感じます」
エレナがようやく少しだけ肩の力を抜いて微笑んだ。
最後に、三人は名物の巨大観覧車に乗り込んだ。 ゴンドラが十分ほどかけてゆっくりと上昇し、夕闇に染まる横浜の港を見下ろせる位置まで上がる。
宝石を散りばめたような夜景に、エレナがふとサトシの腕に自分の手を重ねた。
「サトシ様……。あなたの生まれた世界は、これほどまでに美しく、そして残酷なまでに合理的ですのね」
少し潤んだ瞳で上目遣いに見つめるエレナ。 サトシもまた、その柔らかな感触に引き寄せられるように、彼女の肩をそっと抱き寄せた。
「ああ。だが、俺はこの景色よりも、お前たちが必死に未来を学ぼうとする姿の方が尊いと思う」
「……まあ。そんなことを仰るなんて」
エレナが頬を染め、サトシの胸にコテリと頭を預ける。 二人の間に甘い空気が流れ始めたその時。
「おい、いい加減にしろ。密室でやるな」
向かい側の席で、カイルが心底呆れたように外の景色だけを凝視していた。その無愛想な声は、魔法が解ける合図のように、狭いゴンドラ内に満ちていた甘い熱を霧散させる。
「……すまんカイル、助かったよ」
サトシは咳払いを一つして、エレナの肩からゆっくりと手を離した。ネクタイを整え冷静な思考を強引に取り戻す。
一方、夢のような時間を断ち切られたエレナは、不満げに眉をひそめてカイルを睨みつけた。
「……カイル。せっかくいいところでしたのに、邪魔をしないでくださる?」
「あいにくだが、俺の『索敵』技術はこういう不要な気配も敏感に察知するんでな。背中が痒くてかなわん、余所でやってくれ」
サトシは、憮然とするエレナと窓の外を見続けるカイルの対照的な様子に、苦笑しながら改めて夜景へと視線を向けた。
◇
帰路は新幹線だった。 ホームに足を踏み入れたサトシはエレナとカイルにスマートフォンの時計を見せた。
「見ていろ、あと四分で列車が来る」
四分後、白と緑をまとった鋼鉄の巨体が足元のサインに寸分狂わぬ位置に静止した。 ドアが開き、整然とした降車と乗車がわずか数分で完了する。
「……信じられませんわ。これほど巨大な質量を動かしながら、一分の誤差もないなんて。この国では『時間』までもが、会社法やガントチャートと同じように、完璧な統制下にあるのですね」
エレナの声には、もはや畏怖さえ混じっていた。
鉄道博物館で見たメンテナンスのスケジュール表。 それは単なる理想ではなく、この狂気じみた正確さを維持するための血の通った「規律」なのだと理解したのだ。
瞬く間に景色を置き去りにする鋼鉄の矢の中で、サトシは決意を固めていた。
「次は、この世界の『知恵』を買い付ける準備をしよう。あの世界を数世紀先の未来に強制的に連れていってやる」
一行を乗せた新幹線は、静かに、しかし圧倒的な速さで、研修センターへと引き返していった。
【第42話 概況】
現代経費支出: 約 450,000円(ホテルの宿泊または3室、新幹線、フルコース、各施設入館料、タクシー等)
獲得概念: 予防保全体制、重工業の基礎
現在の関係性: サトシとエレナの距離が若干接近
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