第40話 書類という名の実体
エレナとカイルを現代に長期滞在させることを決めたサトシであったが、現代日本において身分の不確かな目立つ白人系の二人を潜伏させるのは非常にリスクが高い。
サトシはここでも確保した資金を、彼らにこの世界の「権利」を与えるために惜しみなく投じた。
「偽造パスポートで怯えながら暮らすのは三流のやることだ。俺たちは一流の『投資家』として、堂々と正面玄関から入国する」
彼が目をつけたのは、カリブ海や地中海に点在するいくつかの国家が実施している「投資市民権制度」だった。一定以上の国債購入や不動産投資、あるいは政府基金への寄付を行うことで、実質的にその国の国籍を「購入」できるシステムである。
サトシは、香港のプライベートバンクを通じて紹介されたこの分野の専門コンサルタントとオンライン会議を繋いでいた。
「九条様、お望みの二名分ですね。現在、最短で取得可能なのはカリブ海のドミニカ連邦、あるいはセントクリストファー・ネイビスです。およそ百五十の国へビザなし渡航が可能で、日本への入国も極めてスムーズになります」
ディスプレイの向こう側でコンサルタントの男が淡々と告げる。サトシは手元の資料に目を落とし、即座に答えた。
「費用は問わない、最速で頼む。寄付金と手数料、投資額を含めて一人あたり四千五百万。二人で九千万で問題ないな? すぐに振り込ませてもらう」
サトシは躊躇なく、洗浄済みの資金から必要経費を振り込んだ。
数週間後。サトシの手元には、真新しい二冊のパスポートが届いていた。
『Elena Valerius』 『Kyle Valerius』
記載された国籍こそカリブの小国だが、それは国際法に基づいた紛れもない本物の身分証だ。これがあれば、銀行口座の開設も、不動産の契約も、そして何より日本への「就労ビザ」の取得も法的に何ら瑕疵がなくなる。
「これで、お前たちはこの世界の『幽霊』ではなくなったわけだ」
パスポートの表紙に刻まれた金色の紋章を指先でなぞった。 現代社会という名の強固なシステム。その門を開く鍵は、やはり『資本』という名の力だった。
◇
サトシは単身、カリブ海の島国セントクリストファー・ネイビスへと飛んだ。名目は「新規事業に向けた市場調査」だ。
日本から数回の乗り継ぎを経て到着した現地の高級リゾートホテル。サトシはチェックインを済ませると、部屋の扉に「Do Not Disturb」の札をかけ、厳重に施錠した。
バルコニーからは美しいエメラルドグリーンの海が見える。だが、サトシの目的は観光ではない。彼はベッドに腰を下ろすと、タブレットを開きログインをタップした。
異世界の執務室。 待機していたエレナとカイルに、サトシは無言で「二冊の小冊子」を渡す。
「これが、俺の世界におけるお前たちの『名前』と『存在』を証明する。絶対に無くすな」
二人は手渡された真新しいパスポートを慎重に受け取った。
翌日、セントクリストファー・ネイビスのロバート・L・ブラッドショー国際空港。サトシに導かれ、エレナとカイルは生まれて初めて空港という名の巨大なシステムに足を踏み入れていた。
エレナはその驚異的な知性をフル回転させ、周囲の人間がパスポートをどう扱い、ゲートをどう通過しているかを観察し、一瞬で模倣してみせた。カイルは斥候兵時代の性なのか、慎重にサトシの背後に従い、鋭い眼光で周囲を警戒している。
出国審査の官吏が、二人のパスポートを手に取った。端末にパスポートがスキャンされ、データベースが照合される。数秒の静寂の後、乾いたスタンプの音が二回響いた。
「Enjoy your trip.」
放たれた言葉の意味は分からずとも、それが通過の許可であることは理解できた。 三人は堂々とボーディングブリッジを渡り、成田行きの国際線へと乗り込んだ。
十数時間のフライトを経て、到着ロビーに出ると、自動ドアの向こうから現代日本の喧騒と冷たい冬の空気が流れ込んできた。サトシは足を止め、背後の二人に告げた。
「ようこそ、日本へ。今日からお前たちは『幽霊』じゃない。正当な権利を持った、うちの社員だ」
二つの世界を股にかける、サトシの「最強のチーム」の育成。その第一歩は、国境という壁を完璧に突破することから始まったのである。
◇
サトシは二人の「ゴールデンパスポート」を入手した直後から、日本国内のサージョ・トレーディングの海外専門スタッフという名目で雇用手続きを行い、正規の就労ビザを申請していた。
真正な公文書による裏付けを得たことで、二人の滞在は日本の法制度下で完全に合法化された。
「名前、生年月日。すべてこの書類に合わせろ。この世界では、紙の上の自分が実像を追い越す。実体がないのではない、書類こそが実体なんだ」
サトシは、彼らにボロがでないよう「自分たちが何者としてこの世界に存在するのか」というバックボーンを徹底的に叩き込んだ。
その足でサトシは二人を連れ、大手都銀の窓口へと向かった。目的は個人口座の開設と、この世界の「銀行」という心臓部を見学させることだった。
「……信じられません。これほど巨大な金融機関の建物の中で、物理的な金貨の移動が一度も行われていないなんて」
窓口で静かに処理される膨大な決済、そしてATMから自動的に吐き出される現金の流れ。エレナは、自分たちが異世界で作ったサージョ・バンコの理想形が、すでに数百年先の精度で完成しているのを目の当たりにし、言葉を失った。
銀行からの帰路、サトシは小腹を満たすためにコンビニエンスストアへ立ち寄った。そこでカイルを襲ったのは、戦場での死線にも似た衝撃だった。
「サトシ、これは……なんだ。この『おにぎり』という食料、安価な上にこれほどまで美味いのか。それに……この店、本当に二十四時間、一度も扉を閉めないのか?」
「ああ。深夜でも、ここに来れば最低限の生活物資が手に入る。これが今の日本の標準だ」
カイルがおにぎりの海苔をぼろぼろに破いている横で、エレナは鋭い視線で店内を観察していた。彼女が見ていたのは棚に並ぶ商品ではなく、納品に訪れたトラックの動き、そしてバーコードスキャンの瞬間に送信される情報だった。
「サトシ様、この店は単なる小売店ではありませんわね。背後にあるのは、需要を予測し、滞りなく商品を供給する巨大な『物流網』ですわ。……これを我が国に実装できれば、早馬に頼る今の流通など過去のものになります」
エレナは、異世界の主要街道に物流拠点を配置し、そこを中継地点として二十四時間体制で物資を循環させる構想を、即座に脳内で組み立てていた。
「そうだ。……その拠点の管理運営、そして輸送を支える『鉄の路』。それこそが、俺たちがこれから始める事業の正体だ」
サトシは、冷えた缶コーヒーのプルタブを引きながら静かに告げた。
異世界の金、現代の法、そして最新の物流システム。彼は、二人に「現代」の姿を見せることで、異世界という白紙の地図に近代化の礎石を一つずつ置いていった。
【第40話 概況】
投資市民権取得費用: 約 90,000,000円(2名分)
法的ステータス: 合法的外国籍および就労ビザ取得完了
獲得概念: 現代銀行システム、24時間型物流拠点構想
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