第37話 文明のワンルームマンション
誕生日の翌日のことだった。 サトシは始業時刻になると、いつものように執務室へ入り、書類を取り出すためにデスクの引き出しを引いた。
ふと、その奥で淡い光を放つタブレット端末が目に留まる。 最近はあまり利用することのなくなった、サトシをこの世界に誘ったあのタブレットだ。
画面には見たこともない「ロック解除」の通知が表示されていた。
『既定の資産額に到達、機能のロックが解除されます。転移可能人数 1 → 3 に変更されました。』
画面をタップすると通知は消え、元の画面に戻った。 これはつまりあと二人、現代に連れていける、もしくは現代から連れて来ることができるということだろうか。
試しにログアウトボタンを押すと空中に二つのカーソルが現れた。 サトシは、ちょうど書類を運んでいたエレナと、廊下で警備の交代を指揮していたカイルを部屋へ呼び入れた。
「サトシ様、何か急ぎの案件ですの?」
「サトシ、朝から深刻な顔をしてどうした」
サトシは二人を自身の近くに呼び寄せる。
「実験したいことがある。俺の故郷にあと二人、連れて行けるようになったらしい。転移のチャージ時間を考えれば丸一日は必要だ。二人とも今日明日の業務を引き継いで、1時間後にここにきてくれ」
困惑する二人ではあったが、サトシの指示通りすぐさま行動を開始した。
◇
一時間後、再び集まった二人の姿にカーソルを重ね、サトシは『ログアウト』のボタンをタップした。
視界が歪む。 内臓がひっくり返るような浮遊感のあと、三人がサトシの契約するワンルームマンションに降り立った。
するとエレナとカイルの頭の中に正体不明の音声が響く。
『――言語パッケージ:日本語をインストールします。――』
「うっ……頭が……」
「な、なんだ……脳みそを直接かき回されるような……」
エレナとカイルが膝をつき、呻く。二人には数十分にも思えた時間であったが、実際に経過したのは数秒であった。
先に立ち上がったのはカイルだ。 彼はふらつきながらも即座に腰の剣に手をかけ、鋭い眼光を部屋の隅へ向けた。
「サトシ、伏せろ! 部屋の奥に何かいる!」
カイルが睨みつけたのは、低い唸りを上げる冷蔵庫だった。 二十四時間、ただ淡々と熱を逃がし続けるコンプレッサーの振動音が、異世界で生きてきた彼には未知の怪物の威嚇に聞こえたのだ。
「落ち着けカイル。あれは敵じゃない。冷気を保つためのただの道具だ。前にも説明したが俺の国には魔法がない。だが代わりにああやって『電気』を使って『科学』を道具に閉じ込める技術があるんだ」
カイルは呆気に取られながらも剣から手を離した。 だが、その視線は部屋中の家電――炊飯器、電子レンジ、そして壁のスイッチへと、警戒と好奇心が入り混じったまま泳いでいる。
一方、ようやく立ち上がったエレナは、壁にある本棚を見て息を呑んだ。
「……読める。サトシ様、この複雑な文字が、なぜか意味を持って頭に流れ込んできますわ」
彼女が指先でなぞったのは、サトシが以前のこの世界で現実逃避のため読み耽っていたライトノベルの山、そして『図解でわかる・会社法』『一冊でマスター・特許申請』『解説付き・判例六法』『らくらく解る施工管理』『現代金融理論概説』といった実用書の数々だった。
「……信じられません。これほど薄く精密な紙の本が、個人の部屋にあるとは……。王立学院の図書室にあるような分厚い手書きの羊皮紙とはまるで違う。すべての知識がこの小さな冊子に凝縮されているかのようですわ」
エレナは驚愕していた。 王国で随一の膨大な蔵書を誇る王立学院だが、それは国家の宝として厳重に守られるべき一点物ばかりであった。しかし、この部屋にあるのは、明らかに「一般に流通している」ことが伺える均一で機能的な書物だった。
「サトシ様、この『実践契約法務-1-第四版』という本……少し読んだだけで、この世界の恐ろしさがわかります。ここには、王の気まぐれも、貴族の特権も一切書かれていない。ただ、緻密な条文がすべてを規定している」
エレナは持ち前の高い知能で、既に法律の一部とその意味を理解し始めていた。
「そうだ、エレナ。ここは王の持つ絶対権力も魔法という奇跡も存在しない。代わりに法と数字がすべてを裁く世界だ。契約一つで国が傾き、数字一つで人が死ぬ。俺が異世界でサージョ・バンコを作り上げたロジックの源流は、すべてこの本棚にある」
エレナはその言葉の重みを噛み締めるように頷いた。 彼女は、サトシがなぜあれほどまでに「契約」と「数字」に執着したのか、その答えがこの質素なワンルームマンションに詰まっていることを悟ったのだった。
◇
サトシは蛇口から出る水、スイッチ一つで灯る光、そしてノートパソコンで見せる産業革命の資料を示し、この世界の一般常識とこれから自分たちが異世界へ持ち込むべき「近代」とはどういうものか概要を話した。
ひと通りの説明を終えると、サトシは狭いワンルームの端にあるベッドを指さした。
「さて、明日は早い。エレナ、お前はあっちのベッドを使ってくれ。俺とカイルは来客用の布団が二組あるからそれで寝る。在留許可証もないお前たちを外に出すわけにもいかんしな」
「えっ……サトシ様、ご自身の寝床を私に?」
「エレナを床で寝かせるわけにはいかない。カイルは野営経験も豊富だから構わんだろう」
サトシの提案を聞いたエレナは、いたずらっぽくサトシの顔を覗き込んだ。
「あら。私は別に構いませんのよ? サトシ様なら、同じベッドで夜を明かしてもよろしいのに」
「……っ、馬鹿なことを言うな。リスク管理の観点からも、健全な睡眠時間の確保は最優先事項だ」
うっすら頬を赤くして目を逸らすサトシの反応に、エレナは「ふふっ、冗談ですわ」と楽しげに笑い、カイルは「またヘタレやがった」と呆れたように欠伸をした。
結局、主人の頑固さに折れる形でエレナはベッドへ、サトシとカイルは並べた布団へと潜り込んだ。 文明の利器が放つ微かな機械音の中、三人は短い眠りについた。
翌朝、サトシは再びタブレットを操作した。
「タブレットの新機能の確認はできた。こちらの世界の概要も伝えられただろう。一旦戻るぞ」
サトシがタブレットのログインボタンをタップすると、三人は再び港湾都市の執務室に戻った。執務室の外を往復する職員の足音が耳に残る。
サトシはエレナとカイルに向き直った。
「しばらく俺はあっちの世界……現代で長期的に動くことになる。資金の洗浄と、鉄道敷設に必要な技術、そして資材の確保が必要だからな」
サトシの脳裏には、すでに巨大な鉄路が大陸を貫くビジョンが映っていた。
「エレナ、カイル。俺やお前たちがいない間も、サージョ・バンコの管理部門と警備部門が揺らぐことなく回るよう、幹部連中に徹底的な教育を頼む。俺たちが『向こう側』で歴史を仕入れている間、この国の心臓を止めるわけにはいかないからな」
「承知いたしました、サトシ様。あなたの故郷の『理』を必ずやこの国に根付かせてみせますわ」
エレナは不敵な微笑みで答えて見せる。 サトシはついに、二つの世界を跨いだ「技術」の輸出を本格的に始めようとしていた。
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