第35話 王家の印より、青い盾の証書を
サトシはすべての準備を整え、王都オルライアのサージョ・バンコ支店に到着した。
王都の空気は暗く沈んでいるかのように感じられる。 シーリンで発生したバブルの崩壊の余波は、王室財政にも及んでいた。
ほかの貴族家と同様に、出資していた債券は焦げ付き、加えて新大陸への遠征費が嵩んでいたからだ。 王宮への給与は滞りがちになり、官吏や衛兵の不満は爆発寸前だった。
だが、彼らに焦りなどなかった。
この国の王室は、過去に何度も「国家破産」を宣言してきた歴史がある。 そのたびに暴動が起き、反乱の火の手が上がったが、彼らにとって破産は便利なリセットボタンに過ぎない。
民の恨みなど騎士団で鎮圧し、借金は踏み倒せばいいと彼らは本気で信じている。
王都の一等地に構えたサージョ・バンコ支店。 その執務室でサトシはエレナと最後の詰めを行っていた。
「サトシ様も随分悪辣なことを考えますのね。この計画通りに進めば、この国の経済のみならず政治すら、誰もあなたへの拒否権を持たなくなる」
エレナが呆れたような、それでいてどこか陶酔を含んだ吐息を漏らした。
◇
執務室の扉がノックされ、行員がエレナに来客を告げた。
「……サトシ様、王室の特使が参りました。なりふり構わず緊急融資を求めていますが、あの方々、この期に及んで『新たな金づるが見つかって重畳』といった様子らしいですわ。過去に踏み倒してきた不渡りの山を誇りか何かだと思っていらっしゃるようですの」
「それでいい。彼らは俺をただの新しい『便利な財布』だと思っているんだろうさ。甘く見られたもんだな。だが俺はほかの金貸しとは違う、踏み倒しなどは絶対にさせない」
サトシはシガリロを灰皿に置き、一枚の契約書を提示した。
「担当者に伝えろ、条件は決まっている。利息は取らない、ただそれだけで奴らは条件を飲む。その代わり、王室はサージョ・バンコを『国庫管理銀行』に指定することが前提だ。今後、王国全土の徴税、および王宮の給与支払いはすべてサージョの証書で行う。王室は署名するだけでいい。面倒な金の管理は、すべて俺たちが引き受ける、そういう条件だ」
この時代、王室における借入の利息は年15~25%程度と高利であった。 いつ破産宣言をするかもしれない火の車の王室財政においてはそれが「普通」であり、返済が滞ればさらに跳ね上がるのが半ば常識であった。
だからこそ、借金に首が回らぬ王室にとって、利息の免除という提案は砂漠で差し出された水のように抗いがたい救済に他ならない。
だが、サトシは慈善家ではない。 目先の金利という端金を捨てる代わりに、彼は国家の生命線である「資金の流れ」そのものを要求しているのだ。
確かにこの条件を飲めば、重すぎる金貨の袋を数える手間も、徴税の遅れに頭を抱える必要もない。 そして王室に与えられるのは「何もしなくていい」という究極の怠惰と、サトシへの全権委任だった。
サトシが帳簿に引く一本の線が、王の言葉よりも重い価値を持つ時代の到来を示していた。
「……サトシ様、それは『徴税権』と『通貨の信認』を事実上、我々が握るということですわ」
思わずエレナが息を呑む。サトシは窓の外、王宮へと続く一本道を見据えて静かに続けた。
「奴らは気づいていない。単なる銀行からの借金なら破産宣言で踏み倒せるが、国家の『決済インフラ』を俺に預けた以上、もう逃げ道はないんだ」
「今後、サージョが鉄の路を敷き、物流を完全に支配すれば、俺の指示一つあれば軍であっても一歩も動けない。経済も軍事も、すべてサージョの指先一つで麻痺する。……王室が生き残るには、他のどこを裏切ろうと、サージョだけは踏み倒すことができなくなるんだ」
騎士団の維持には膨大な飼料と食糧の買い付けが不可欠だ。 軍隊という巨大な胃袋を、サトシは直接の武力ではなく「決済という名の兵糧攻め」で完全に去勢したのだ。
軍靴の音を止めるのは剣ではなく、一枚の不渡り証書である。 サトシはそれを現代の経済制裁の知識として熟知していた。
王室にとっては「行政の面倒を商人に押し付けた」つもりの取引であったが、その実態は国家の命脈をサトシに差し出す致死性の甘い罠だった。
◇
数時間後、サトシは王宮の謁見の間手前の会議室で、長身だが痩せぎすの王室財務卿と対峙していた。
財務卿は、尊大でどこかサトシを見下した態度で融資契約書と徴税執行認可証に署名をした。 彼らにとって、暴動寸前の衛兵に支払う「今すぐ動かせる金」は何よりも優先されたのだ。
「クジョウ卿、貴殿の忠誠に感謝する。まあ、せいぜい王家の威光を汚さぬよう、その紙切れを回すがいい。これで面倒な手間から解放されるわ」
悪びれる様子もなく、自分たちが「有利な取引をした」と信じて疑っていない。
財務卿の視点から見れば、徴税業務は金貨を王宮へ運び、検数し、兵士一人ひとりの袋に分けるための現金輸送と人件費だけで膨大な時間と、実に税収の数%が毎年消える無駄の塊であった。 サトシはこれを証書一枚で解決すると持ちかけたのだ。
サトシは現代の給与振り込みシステムを模して王宮内にサージョ出張窓口を設置。 兵士は金貨の袋を抱えて歩くリスクから解放され、証書のまま街の商店で買い物ができる。
だからこそ王室は「運搬コストがゼロになる」という目先の数字に飛びつく。
だがそれは同時に、王の兵士たちが王ではなくサトシの窓口に並んで給与を受け取るという、権力の移譲を意味する。
そのような計算を脳裏に浮かべていたサトシだが、一切表情には出さず深く、あくまで恭しく頭を下げていた。
しかしその瞳には敬意などなく、国家そのものを抵当に入れた債権者としての冷徹な光が宿っていた。
こうして、王国の金貨は徐々にサトシの金庫へ回収され、代わりに青い盾の紋章が刻まれたサージョ・バンコの証書が、あらゆる取引を支配する「唯一の血流」となった。
◇
「……サトシ様、これで大きな山を一つ越えましたわね」
執務室に戻ったエレナが、窓から暮れなずむ王都を眺めた。
「新大陸利権を握り、今回は経済を掌握しました。では……次は、一体何を?」
「……金と信用があっても、まだ勝てないものがある。『物理的な距離』と『生産の限界』だ。馬や帆船の速度では、俺の描くスピードに追いつかない。そして、手作業の職人芸では、これからの需要を支えきれない」
サトシは、机の上に置いた一枚の計画書――合成宝石を大量投入することによる魔法エネルギーの産業活用案――に目を落とした。
「エレナ、次は『動力』だ。魔法とかいう属人的なエネルギーを産業の基盤に変化させ、この大陸の距離を殺す。……産業革命を始めるぞ」
この世界のルールを使い潰し、次なる「近代」の産声が鉄の路の向こうから聞こえ始めていた。
【第35話 収支内訳】
預金受け入れ総額: 金貨 683,000枚
収入項目:
既存事業利益: +金貨 7,100枚
預金利息: +金貨 213枚
為替決済手数料: +金貨 7,230枚
支出項目:
王室運営資金管理コスト: ▲金貨 1,450枚
代理店(各地両替商)への配当: ▲金貨 5,610枚
獲得した権益: ・王立国庫代理店としての「徴税・支払い」の実権 ・サージョ発行証書の「実質的通貨」としての地位確立 ・全ての主要ギルドの財務情報掌握
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