黄金の鎖と、焼きたてのパン
夜明け前の静寂の中、港湾都市の路地裏では若夫婦が営むパン屋銀の麦亭の仕込みが始まっていた。
夫のハンスが力強く生地を捏ね、妻のリネットが焼き上がったパンの香りに目を細める。
「今日もいい焼き色ね。ハンス、街の皆が待ってるわよ」
「ああ、今日も最高のパンを届けよう」
開店と同時に、店内は近所の人々で賑わった。常連客との温かな交流に香ばしいパン。背伸びはせずとも、着実で幸せな日々、二人の世界は幸福に包まれていた。
◇
ある日の開店直後、そこに現れたのが、「バンコ・カピタル」を名乗る豪奢な装束の営業担当だった。
「あなたが作るパンは本当に素晴らしい。もっと多くの人々に知られるべきだ。……そうだ、少し、未来のお話をしませんか?」
言葉巧みな営業に、純朴な二人は戸惑いながらも耳を貸した。
「これほど繁盛しているなら、二号店だって成功間違いなしだ。今なら審査も不要、サージョ・バンコの半分の金利で融資しましょう。こんな機会は二度とありません。このチャンスを逃すのは愚か者のすることですよ」
そんな甘い誘惑に、若夫婦は乗ってしまった。
◇
数ヶ月後、開店した二号店は順調に滑り出した。ハンスの作るパンは紛れもなく本物であったからだ。
しかし、世界は一瞬で暗転する。
新大陸からの輸送船アルテミス号が、嵐により寄港を遅らせるというニュースが駆け巡ったのだ。その瞬間、新大陸交易に過度なレバレッジをかけていたバンコ・カピタルの信用は崩壊を始める。
大勢の預金者が窓口に殺到する取り付け騒ぎが発生し、キャッシュを枯渇させた彼らは生き残るために狂ったような「貸し剥がし」を開始した。
「全額、一両日中に返してもらおう。できなければ店を差し押さえる」
昨日まで笑顔だった営業担当の冷酷な通告。ハンスとリネットは、二号店どころか本店さえも奪われ、路頭に迷う寸前まで追い詰められた。
「あのとき、あいつの誘いに乗らなければ……っ」
◇
数日後。 バンコ・カピタルを電撃的に吸収合併したサージョ・バンコによる資産査定が始まった。
元バンコ・カピタル融資先の視察に訪れたサトシは、疲れ果てた表情で閉店作業をするハンスたちの前に現れた。彼から事情を聞き、サトシは差し出された帳簿を数分で読み解いた。
「……経営状況に問題はないな。返済計画も妥当だ」
「で、でも、カピタルからは全額返せと……」
サトシは無表情に言い放った。
「あいつらが馬鹿だっただけだ。サージョ・バンコが契約を引き継ぐ。条件はサージョ・バンコの『正規の金利』だ。金利は多少上がるがこの収支を見れば返済に支障は生じないだろう。それで融資を継続する。明日から営業を再開するといい」
ハンスとリネットは、崩れ落ちるように泣き、何度もサトシに感謝した。しかし、サトシは眉一つ動かさない。
「感謝される筋合いはない。あんたたちのパンが美味いから、経営が成り立っている。貸し剥がして小銭を回収するより、あんたたちから長く金利をもらったほうが、うちも得だからな」
サトシが去ろうとすると、リネットが慌てて大きな籠いっぱいのパンを差し出した。
「お礼です! これ、私たちの精一杯の……!」
「そうか。……ありがたくもらっていくよ」
◇
商館の最上階。 サトシはエレナの前のテーブルに、先ほど受け取ったパンの籠を置いた。
「食べてみろ」
エレナが不思議そうに一口かじると、その表情がぱっと輝いた。
「……美味しいですわ、サトシ様. 小麦の味がしっかりしていて」
「そうか。……なら、次は焼きたてを買いに行こう。一緒にな」
サトシの少し不器用な誘いに、エレナは驚いたように目を丸くし、それから春の日差しのような微笑みを浮かべた。
「ええ、喜んで。サトシ様」
冷徹な銀行家の横顔に、ほんの少しだけ、ハーブティーのように優しい色が混じった夕暮れだった。
【閑話:収支内訳】
収入
合併に伴う優良債権の取得:将来的な利息収益
支出
パン屋への再融資枠:金貨 50枚
備考:サトシは「善意」ではなく「合理性」で救ったが、結果として街のパン屋は守られた。
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