第34話 「青い盾」の絶対領域
「サトシ様、バンコ・カピタルから接収した資産の査定が終わりましたわ。……ですが酷いものです。帳簿上は金貨四万八千枚分の資産があることになっていますが、そのほとんどが回収不能な不良債権と、バブルで高騰した時に無理やり評価した土地の権利書ばかり。現時点で回収見込みのある債権は金貨一万五千枚といったところでしょうね。即座に動かせるキャッシュに至っては、たったの二千八百枚しか残っていない有様です」
エレナが呆れたように、この数日でかき集めた権利書の束を机に並べた。 そう、バンコ・カピタルに「資産」はあったのだ。
しかし、預金者が求めたのは「土地の権利書」や「将来得られる利益」ではなく、今すぐパンや税金に換えられる「物理的な金貨」だった。それに応えられなかった瞬間に銀行としての命運は尽きたのだ。
「いいんだ、エレナ。今は紙クズ同然のこの権利書も、俺たちが市場を再構築すれば、数年後には本物の金貨に変わる。……それよりも、救済融資の準備はどうだ?」
サトシは淡々とした口調で、投げ出されたままの債権リストを指先で整えた。
バブルが弾け、あらゆる資産が過小評価されているいま、これらは確かに「死に体」の書類に過ぎなかった。しかし、経済が再び健全な成長曲線を描き始めれば実需を伴う事業は必ず息を吹き返す。時の流れと市場の自浄作用がいずれこの紙クズを本来の価値へと戻すことを、彼は歴史の必然として理解していた。
エレナはその冷静すぎる合理性に納得したような、あるいはまだ半信半疑なような表情を浮かべ、視線を門の外へと向けた。
「はい。門前には、王都の銀行に見捨てられた商人たちが、藁にもすがる思いで並んでいます。ですが、皆様、告示したサトシ様の『条件』を読んで顔を強張らせてますわ」
救済の条件、それは単なる利息の支払いではない。 サージョ・バンコの管理官(元・王立学院の事務方)を受け入れ、帳簿を銀行側へ完全に公開し、経営の透明化を図ること。
経営の手足を縛るつもりはないが、サトシは無謀な事業を進めさせる気もなかった。なぜなら彼はブラック企業の主任時代、粉飾決済で膨れ上がった数字がたった一つの不渡りで瓦解するのをサトシは見てきたからだ。
この異世界で同じ轍は踏ませはしない。
「融資を再開する。ただし、条件を飲み、審査をくぐり抜けた商会に限定して、だ。対象となる事業者にはこの『青い盾の記章』を刻印した認定証を与える」
サトシが机に置いたのは、サージョ・バンコの象徴である「青地」を基調とし、中央に堅牢な「盾」をあしらった真鍮製の記章だった。
それは単なる銀行の紋章ではない。この盾が掲げられた店はサージョがその経営を「健全である」と認め、いかなる支払いも保証するという、地獄の底で唯一通用する「信用の絶対領域」を意味する。
つまり、商人にとって実質的な生存保証書であった。 街の商人たちは、かつてのようにどこの銀行が金利が安いか、いかに容易に融資を引き出せるかではなく、「サージョの認定を受けられるか」に必死になった。
「サトシ様、これで港湾都市王都間にまたがる主要な経済の『金の流れ』は、すべて我々の手元に集まりましたわね」
「ああ。誰がどこから仕入れ、誰に売っているか。帳簿を見れば、この国のすべてが見える。……次は、この情報を元に『物理的な無駄』を削ぎ落とすぞ」
サトシは、融資の条件として開示させた膨大な取引データを分析し、ある「非効率」に目をつけた。各地でバラバラな荷箱のサイズ、積み込みの待ち時間、決済のタイムラグ。
金融で首根っこを掴んだ今、サトシはついに、世界を新しい自己規格で作り替えるための「物理的な大工事」へと手を伸ばす。
「エレナ、物流と金融が繋がった。……次は、この大陸の『規格』を俺が決める」
◇
港湾都市で起きたバブル崩壊の混乱が収束し始めた頃、その影響は王都と自由都市にまで波及していた。 王都における庶民へのバブルの影響は限定的なものではあった。
しかし資本家や貴族の資産は港湾都市シーリンからもたらされる香辛料や鉱物、そして何よりそれらを担保にした「投資証書」によって回されていた。シーリンでバブルが弾けたという一報が届いた瞬間、昨日まで高値で取引されていた豪華な羊皮紙の証書は、文字通りただの紙クズと化したのである。
放漫経営に加担していた王都の小銀行たちは、連鎖的に支払いを停止。貴族たちは優雅な生活の裏付けであった配当が途絶え、損失を被った商人は仕入れ資金の融資を受けられず一部の物流が滞っている。
自分たちの預けていた銀行が次々と倒れるなか、唯一支払いを止めず、それどころか王都系最大銀行であったバンコ・カピタルを飲み込んだサージョ・バンコの圧倒的な資金力に、王都の貴族や商人たちは畏怖を抱いていた。
「サトシ様、グスタフ様とデカルト様から報告が届いております。王都と自由都市の主要な独立系の両替商たちは、今や我先にとサージョの傘下に加わるのを競い合っておりますわ。……かつてのライバルたちが、我々の『代理店』になりたいと頭を下げてくるとは、まさに圧巻です」
エレナが広げる地図には王都や自由都市のみならず、王国全土を網の目のように結ぶ決済網が描われていた。サトシはこのネットワークを利用して単なる金の移動を超えた「物理的支配」を目論んでいた。
「金融で首根っこを掴んだ今が好機だ。今ならば誰もサージョの要請を断れない。……エレナ、全拠点の代理店、そして融資している全ての商船と運送ギルドに通達しろ。三ヶ月の準備期間をおいて、新大陸から運ぶ荷箱のサイズを新たな『サージョ・サイズ』に統一させる」
「サイズを、統一……? それに何の意味がありますの?」
「効率だ、エレナ。今までは商会ごとに箱も馬車の形もバラバラで、船に積むのも倉庫に収めるのもパズルのような無駄な時間が必要だった。そして、一台、一隻単位では問題にならなかったデッドスペースだが、何十何百と積み上げればそれは膨大なロスとなる。……これからは、このサイズに合わせた船のハッチ、馬車の荷台、倉庫の棚しか認めない」
◇
サトシが提示した「サージョ・サイズ」。 最初は面倒、何の意味があるのかと反発する声が大多数を占めていた。
しかし、サトシは冷徹に「飴と鞭」を使い分けた。 サージョの規格に従う者には、サージョ・バンクの『迅速決済枠』と『低利融資』を優先的に与え、逆に規格外の荷物を扱う者には決済手数料を引き上げ、融資の審査も厳格化した。
王国の流動性をその手に握ったサトシに逆らえる者など誰もいなかった。 グスタフの巨大な外洋船のハッチがサトシの規格に合わせて作り替えられ、デカルトの馬車網がその箱をピタリと積んで疾走する。
自由都市の倉庫は「サージョ・サイズ」に合わせて設計され、王都自由都市間の輸送量は二割上昇し、荷役時間は八割の低減を見せた。
「……信じられませんわ。ただ箱の大きさをそろえただけなのに、世界がそれに合わせて形を変えていくようです」
「これがインフラの支配だ、エレナ。一度この効率に慣れてしまえば、もう誰も不便な時代には戻れない。……そして、この規格を管理しているのが俺たちである限り、国内の物流と金融は、俺の指先一つで止めることも加速させることもできる」
サトシが作り上げたのは、もはや一商会のシステムではなかった。王国の経済を支える、目に見えない「脊髄」そのものだった。
サトシ(金融・情報)、グスタフ(武力・外洋)、デカルト(国内物流)の三位一体は、もはや国家の法律すら超越した「実質的な支配権」を確立しつつあった。
「エレナ、仕上げだ。王都へ向かうぞ。……王室に、俺たちの『本当の価値』を教えてやる」
【第34話 収支内訳】
預金受け入れ総額: 金貨 322,000枚
収入項目:
規格統一による物流効率化ボーナス: +金貨 8,000枚(時間短縮による回転率向上)
既存事業利益: +金貨 6,500枚
預金利息: +金貨 195枚
為替決済手数料(ネットワーク効果により急拡大): +金貨 3,750枚
支出項目:
提携先へのインフラ改装補助金: ▲金貨 4,000枚
王都・自由都市での大規模倉庫建設費: ▲金貨 3,000枚
経営管理官(監査員)派遣コスト: ▲金貨 1,200枚
認定証・魔導印の作成費用: ▲金貨 400枚
代理店(各地両替商)への配当: ▲金貨 2,610枚
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