第31話 救済者になる準備を
ここ数ヶ月でサージョ・バンコの成功にあやかろうと王都、自由都市で大商会による銀行の開業が相次いでいた。 いまだ熱狂に沸く港湾都市シーリン、ここでも王都系銀行が進出しており、その手を広げ始めていた。
サトシの執務室の窓からは、競合他社である王都系の商会が連合を組んで設立した「バンコ・カピタル」の派手な看板が見える。 後発に当たる彼らは、顧客獲得のためなりふり構わぬ営業活動を行っていた。
そうした結果、バンコ・カピタルの預金準備率は30%というこの時代では考えられない「攻め」の姿勢で市場を席巻していた。
「サトシ様、バンコ・カピタルの登場以降、市場は完全に我々を『臆病な旧態依然とした銀行』だと嘲笑っていますわ。なんでも、あちらに預け替えればサージョの倍の利息がつくと噂になっているほどだとか」
エレナが悔しそうに報告する。 だが、サトシは冷徹に資料をめくりながら呟く。
「準備率30%か。確かに三割の引き出しには対応できるはずだ、理論上はな。だが、やつらの金貨はその大多数が王都の本店に眠っている。そのうえ連中は融資に回している七割の資金を実体のない不動産や、まだ海にも出ていない船の『空手形』に突っ込んでいる」
サトシはシガリロの煙を吐き出した。
「この時代の情報伝達速度や預金者数、その規模を考慮すると、一度パニックが起きれば引き出し要求は四~五割を目指して殺到するだろう。最悪を考えれば六割に上るかもしれん」
サトシはシガリロの煙を細く吐き出し、計算の終わった羊皮紙をエレナの前に放り投げた。 そこには、好景気の熱狂とは真逆の、冷え冷えとした「死の予測」が書き込まれている。
彼は立ち上がり、窓の外の狂騒を冷淡な眼差しで射抜くように続けた。
「その時、連中が持っている『七割の債権』はただのゴミクズとなるだろう。一銭の現金にも換えられず、窓口は数時間で詰まる。……エレナ、今すぐ貸出規定を改定しろ。準備率を75%まで一気に引き上げる」
「えっ!? 75%!? そんなことをすれば、既存の融資の半分を取りやめることになりますわ。即座に返済できないところも多いでしょうし、取引先から苦情が……」
エレナの顔から血の気が引いた。 決済専門銀行でもなければ銀行において「貸さない」ことは死を意味する。 融資を打ち切られた商人たちの怒号が、今にも扉の外から聞こえてきそうな恐怖に彼女は身を震わせた。
しかし、サトシは表情ひとつ変えず、冷え切った紅茶のカップを弄びながら続けた。
「だから『貸し剥がし』はしない。わざわざ恨みを買うのは馬鹿のすることだ。現在サージョが持っている融資債権のうち少しでも焦げ付きそうなものを選定し、王都の銀行連中に5%引きで売ってやれ。彼らは今、貸付実績が欲しくてたまらないんだ。二つ返事で買い取るさ。失う5%は保険料だ」
「……毒饅頭、ですわね」
エレナがようやくサトシの狙いを理解し、薄く微笑んだ。 サトシがやろうとしているのは「格安の優良債権」として他行に時限爆弾押し付けるにも等しい行為だ。
好景気に目を眩ませ、リスクを軽視して実績を競い合っているバンコ・カピタルは、喜んでその爆弾を懐に収めることは明白だった。
「利益より『信頼』だ、エレナ。ブラック企業時代、帳簿上は順調な企業がキャッシュの一時的な不足で発生したほんの僅かな不渡りで黒字倒産するの目にしたことがある。この世界にはつぶれかけた銀行を救済してくれるような『中央銀行』はない。俺たちが倒れれば、この街の経済は死ぬんだ」
◇
サトシの指示は、すぐさま実行に移された。
エレナは、一見すると利回り15%を超える「輝かしい債権」の束を抱え、バンコ・カピタルのシーリン支店へと足を運んだ。
「……本当によろしいのですか、エレナ様。これほど優良な貸付先を我々に譲ってくださるなど、しかも5%の割引までつけて」
バンコ・カピタルの支店長の目には、差し出された書類の山がまるで金貨そのものに見えているようだった。
「ええ。サトシ様は、近頃少々弱気になられておりまして……。王都の皆様のように勢いのある銀行に、一部を譲渡して身軽になりたいとの意向です」
エレナがサトシに教わった通りの「負け犬」の演技を披露すると、支店長は下卑た笑い声を上げた。
「くっくっく、あの新進気鋭の大商人サトシも守りに入られる御年ですかな。承知いたしました、この債権はすべて我がバンコ・カピタルが買い取りましょう。これで我が支店の今期の融資実績は王都の本店をも凌駕することでしょう!」
彼はその債権の裏に隠された「危うさ」に気づいていない。 元はサージョの貸付として審査に通ったものである、債権として優良であることは事実だ。
だがサトシがなぜその『優良な果実』を今この瞬間に手放したのかという不気味な違和感までは、支店長の頭には及ばない。 熱狂に浮かされた彼はそこに目を向けようともしなかった。
◇
バンコ・カピタルがさらに準備率を下げて攻勢に出るなか、サトシが突如打ち出した預金準備率75%という異常なまでの保守的な姿勢によって金貨が、次々とサージョ・バンコの重厚な地下金庫へと運び込まれていった。
その様子を見たシーリンの商人たちは案の定、「サージョの時代は終わった、これからはカピタルの時代だ」「一銭の利息も産まないただの金貨の山を後生大事に抱え込んでいる」と冷笑していた。
港の広場では、バンコ・カピタルから容易に資金を借り入れた若手商人たちが、サトシの「臆病」を肴に笑い転げている。 彼らにとって、銀行とは金を無限に供給してくれる魔法の箱であり、彼の行動は自ら富を捨てる愚行にしか見えなかったのだ。
しかしそのような非難の声にもサトシは何も言い返すことはしなかった。 ただ静かに、銀行の地下金庫に物理的な金貨を積み増していった。
「パニックが起きたとき、人々が最後に頼るのは『数字』じゃない。目の前で光り輝く、本物の輝きだけだ。エレナ。うちは『救済者』になる準備をする。……もうすぐ、あいつらの屋根が吹き飛ぶぞ」
サトシの視線の先では、夕闇のシーリンの街が、バブルの偽りの灯火で不気味に輝いていた。
【第31話 収支内訳】
預金受け入れ総額: 金貨 182,000枚(サージョ・コメルツォ自己資金含む。預金準備率75%)
収入項目:
融資債権の売却:+金貨 45,500枚(リスク資産の現金化)
既存事業: +金貨 4,200枚
預金利息: +金貨 126枚
為替決済手数料: +金貨 1,200枚
支出項目:
債権売却に伴う割引損失(5%):▲金貨 2,275枚
有事用現金積増:▲金貨 20,000枚(負債側の準備金として固定)
サージョ・バンコ経費: ▲金貨 1,100枚
預金金利支払い積立: ▲金貨 1,860枚
代理店(各地両替商)への配当: ▲金貨 920枚
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