第29話 動き出す経済の心臓
その日、港湾都市シーリンの目抜き通りに無骨なまでに堅固な石積みの建物が完成した。 掲げられた看板には「サージョ・バンコ」の文字と、その信頼の証である青い盾の紋章。
サトシは設立した銀行の名をサージョ・バンコとした。 ネーミングセンスのないサトシはサージョに合うよう、エスペラント語で銀行を意味する「バンコ」を後ろにつけただけであった。
「なんだって、金貨を預ければ、一年で三歩(3%)の利息をつける……? 預けるだけで金が増えるなんて、サージョの旦那、ついにボケたのかい?」
あの大商人サトシが新しい事業を始めると聞いて窓口に集まっていた商人たちは、貼り出された金利の公示と解説を見て半信半疑に話し合っていた。 この時代、金貨は「蔵に隠して守るもの」であり、管理料を払って預けることはあっても、利息がもらえるなどというのは詐欺としか考えられなかったからだ。
◇
執務室の窓からその光景を見下ろしながら、サトシは静かにシガリロを燻らせていた。
「サトシ様、皆様やはり疑っておりますわ。金利を払ってまで金貨を集めて、一体どうされるおつもりですの?私もてっきり保管料をとるものだとばかり……」
エレナが、まだ博打気分でいくらか預けるような僅かにしかいない顧客台帳をめくりながら首をかしげている。
「初動が悪いのは想定内だ。顧客を集めるにはまず『サージョ・バンコに預けている』ということをステータスにする必要がある。そのためにグスタフとヴィクトールには根回ししてある。来週には彼らが商会資産の半額をうちの口座に入金することになっている」
既にサトシは盟友となった二人に銀行システムの概要とその利点を説明していたのだ。 そしてこの世界の貴族・商人たちが何よりも「面目」と「横並びの安心感」を重んじることを、彼はこれまでの社交界への食い込みで熟知していた。
手元にある羽ペンを置いて窓の外を見つめ、わずかに口角を上げ、彼は確信に満ちた声で続けた。
「大手がうちに大金を預けている、その事実こそがこの時代では最高のマーケティングになる」
◇
一週間後、港を揺るがすニュースが駆け巡った。 あの慎重な大商人グスタフのハインマン商会とヴィクトール率いる国内物流の覇者であるデカルト商会が、サージョ・バンコに莫大な資産を預け入れたというのだ。
それに加えて従来からあった「安全に金を預かる」という受動的なサービスに留まらず、預金者たちに対して「決済の摩擦」を劇的に解消する商人ならば喉から手が出るほど欲してい実利を提供し始めた。
『サージョ・バンコ』の口座を持つ者同士であれば、窓口で一枚の「振替指示書」にサインするだけで、瞬時に、かつ正確に支払いが完了する仕組みを構築したのである。
物理的な移動を伴わない「数字の移動」による決済。 今までほんの一部の大商会しか利用することができず、また高額な手数料が必要であった為替取引を中堅・小規模事業者にも利用できるようにしたのだ。
「サトシ様、信じられません……。グスタフ様たちの預金を含め、数日で金貨が二万枚以上も積み上がりましたわ!」
興奮した面持ちで報告に来たエレナに、サトシは冷徹に指示を飛ばした。
「積み上がった金貨の二割を、今すぐ新大陸航路の新規開拓者たちへ貸し出せ。担保は船と、将来の積み荷、港湾都市に構えた拠点だ。貸付金利は年15%をベースに実績によって±5%とする。審査は厳格にな」
都市中から集めた金貨を、ただの金属の塊として腐らせるつもりはない。金は流れてこそ意味を成し、利息という名の果実を実らせるのだ。
しかし、従来の為替取引しか知らず銀行の実務を学び始めたばかりのエレナにとって、その指示はあまりに危うい賭けのように聞こえた。
「えっ……、 預かった金貨を貸し出してしまうのですか?それでは決済は滞らないのでしょうか?」
「問題ない、支店間で動くのは帳簿の数字が主だ。実際に全額が必要になることはまずない」
サトシはこともなげに言い放ち、戸惑うエレナを真っ直ぐに見つめた。
現代金融では常識とされる『部分準備制度』の概念だ。 預金者が一斉に全額を引き出しに来ない限り、手元には一定の準備金さえあれば、残りは運用に回して構わない。
現代日本においては法定準備率が1%前後、自己資本比率としておよそ15%ほどを維持しているにすぎないのだ。 サトシは人々の「サージョならいつでも払ってくれる」という信用そのものを資産として計算に組み込んでいた。
「いいかエレナ、俺が二割を貸し出せばその金を借りた人間がまた別の誰かに支払い、その誰かがまたうちに預ける。そうすれば、元は百枚だった金貨が、帳簿上では百二十枚、百四十枚と増えていくんだ。これが信用を金に変える魔法『信用創造』だ」
だがそうすると、エレナは別の角度から疑問を抱く。 サトシの慎重さとともに大胆さも知る彼女には、その「二割」という数字が、逆に控えめすぎるように感じられたのだ。
「なるほど。でも貸し出しは二割だけですか? そうすると集まった金貨の八割は、金庫に眠らせたままになってしまいます」
エレナは疑問の声を上げる。
「ああ。最初はこれでいい。頃合いを見て徐々に、準備率は五割程度まで引き下げるがな。もし預金者が一度に押し寄せても八割の現金があれば確実に応じられる。この『絶対に払い戻される』という安心感こそが、今のこの世界に最も欠けているものだ」
サトシはブラック企業の主任時代、資金繰りの悪化で黒字倒産していく取引先を嫌というほど見てきた。 だからこそ、最初は極端なほどに保守的な「預金準備率80%」からスタートし、時間をかけて市場の信用を買う道を選んだのだ。
「……サトシ様は、本当に恐ろしい方ですわ。みんなが喜んでサトシ様に金を差し出し、その金でサトシ様は新しい商売を育て、その利息でさらに富を膨らませる……」
エレナはかすかに震える手で、預金者リストに新しい名を書き加えた。
「世界を正しく回すための『心臓』を作る。そのためには、まずは誰よりも頑丈な金庫であることを証明しなければならないんだ」
【第29話 収支内訳】
預金受け入れ総額: 金貨 62,000枚(負債だが運用可能資金、サージョ・コメルツォ自己資金含む。預金準備率80%)
収入項目:
既存事業: +金貨 6,000枚
預金利息: +金貨 1,260枚
融資利息: +金貨 1,860枚
為替決済手数料: +金貨 600枚
支出項目:
サージョ・バンコ設備・人件費: ▲金貨 1,500枚
預金金利支払い積立(3%): ▲金貨 1,860枚
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