【IFストーリー6】ペンライトと熱狂の帝国――あるいは究極の文化侵略(エンタメ・ルート) (第5章終了からの分岐をイメージ)
※注意
IFストーリーシリーズは本編とは時間軸が異なったパラレルワールドです。
時系列や登場人物の生年、キャラクターの能力や設定が異なったりします。
サトシは、執務室の机に広げられた大陸地図と、莫大な予算が記されたインフラ建設計画書を見比べて、深くため息をついた。
「……鉄道を敷き、銀行を作り、物流を整える。確かに確実な支配方法だが、いかんせんコストがかかりすぎる。それに、物理的な豊かさを与えても、人間の心にある『退屈』や『闘争本能』までは完全に消せない」
かつて彼がいた世界(現代日本)において、人々から暴動や戦争の気力を奪い、平和で怠惰な日々へと依存させた「最強のシステム」とは何だったか。
重工業か? 金融か? いや、違う。それは、際限なく供給される「娯楽」である。
「鉄道は最低限でいい。物流の基礎だけ作り、あとはすべて『コンテンツ産業』に全振りする。人間は、腹が満たされ、次に続きが気になる物語と、推すべき偶像さえあれば、武器を捨てて喜んで財布の紐を解く生き物だ」
その日、サトシはあらゆる事業計画をすべて白紙に戻した。
代わりに彼が設立を命じたのは、巨大な「印刷所」「劇場」「録音スタジオ」、そして魔法と映像技術を極限まで融合させる「アミューズメント開発局」であった。
かくして、鉄と血の匂いが一切しない、しかしある意味で歴史上最も恐ろしい「文化侵略」の幕が切って落とされたのである。
◇
サージョの支配領域と国境を接する、軍事大国オース帝国。彼らはサージョが起こした不可解な行動を隙と見て、数万の重装歩兵を国境沿いに展開させていた。明日にでも進軍を開始し、豊かな領地を蹂躙する予定であった。
だが、その前夜。サージョの輸送気球から、オース帝国の陣地に向けて大量の紙の束が投下された。
ビラによる心理戦かと思われたそれは、この世界に初めてもたらされた『週刊少年サージョ』という名の、漫画雑誌であった。
「おい、なんだこの絵物語は……? 『俺だけがレベルアップする魔法剣士』……? くっ、右から左へコマを読むのか」
「隊長、こっちの『転生したら軟体動物だった件』ってのも面白いッスよ!」
「これは『無職性転〜異世界行ったら女体化してた件〜』だと。男が女になるとは……」
「馬鹿者! 敵の罠だ、そんなものを読む……ん? なんだこの、次の展開が気になりすぎる終わり方は! 主人公はどうなるんだ!?」
娯楽という概念が吟遊詩人の歌と賭け事程度しかなかった前近代的な兵士たちにとって、現代の洗練された構成技術で作られた漫画の破壊力は、文字通り『劇薬』であった。
一夜にして、オース帝国の陣地は漫画の回し読み会場と化し、士気は完全に崩壊した。さらに翌週、サージョの魔導拡声器から国境越しに恐るべきアナウンスが流された。
『――オース帝国の皆様。来週末、国境付近特設会場にて、数千の同人作家が集う祭典、第一回「創作即売会」が開催されます。現地では最新刊の先行発売に加え、ここでしか手に入らない限定の薄い本が多数頒布される予定です』
その瞬間、オース帝国の軍隊は機能停止した。
「じ、次巻が読めるだと!? しかもスピンオフの薄い本まで!?」
「隊長! 俺、国を捨てます! 向こうに亡命します! 始発の馬車に並ばないと、壁サークルの新刊が完売しちまう!」
「馬鹿野郎、俺も行く! 全軍、武器を捨ててサージョへ進軍せよ!!」
かくして、オース帝国の兵士たちは自ら鎧と剣を脱ぎ捨て、亡命者という名の「一般参加者」としてサージョの国境へと殺到した。
怒涛のように押し寄せる数万のオタクたち(元兵士)。しかし、彼らは誰一人として暴れなかった。なぜなら、最前線で「最後尾」というプラカードを掲げて彼らを誘導しているのは、サージョの武力統括にして、今やイベント・スタッフ長となったカイルだったからだ。
「おい貴様ら! 走るな! 列を乱すな! サージョのルールに従えない奴は、即座にカタログを取り上げて強制送還するぞ!」
カイルの圧倒的な覇気と的確な群衆コントロールにより、数万の亡命兵士たちは恐ろしいほど従順に四列縦隊を作り、一滴の血も流すことなくサージョの経済圏へと吸収されていった。
戦争は、エンタメの前に完全敗北したのである。
◇
一方、サージョの支配地域でも、旧来の特権階級であった貴族たちが別の意味で悲鳴を上げていた。
サトシは、反乱の火種になりかねない暇を持て余した貴族たちを無力化するため、各国の一等地に巨大な『サージョ・シアター』を建設した。そして、そこで毎日歌と踊りを披露する「アイドルグループ」を結成したのだ。
「皆様! 今日もサージョ48の公演に来てくれて、ありがとうございまーす!」
フリフリの衣装を着た少女たちが舞台で弾けるように踊る。最初は「平民の小娘の遊戯など」と鼻で笑っていた貴族たちであったが、劇場に通ううちに、彼らの脳髄は完全に推し活の快感に支配されていった。
「おおおおっ! ミーアたぁぁぁん!!」
「今日の公演も最高だった! 執事よ、物販にある彼女のアクリルスタンドを全部買い占めろ!」
サトシのえげつない所は、現代に通じるファンからの集金システムをファンタジー世界に完全移植した点にある。
アイドルの新曲が記録された魔導蓄音盤(CD)には、投票券に加えてランダムで『握手券』が封入されている。さらに、魔導通信端末で引ける『ランダム・ポートレート(ガチャ)』では、確率〇・一パーセントのSSR衣装の推しを引き当てるまで、貴族たちは狂ったように領地の予算を溶かし続けていた。
「ああっ……! またRのモブ騎士だ! なぜSSRの水着が出ないのだ! くそっ、追加で課金だ!」
執事や家令が各家の当主を止めようと右往左往していた。
「旦那様! もう我が領地の金庫は空っぽです!」
「構わん! 次の総選挙で、我が推しをセンターにするためには、あと一万枚の投票券(CD)が必要なのだ!」
結果として、貴族たちは武器や兵士を買うためではなく、アイドルを応援するために領地の全財産を注ぎ込み、次々と自己破産していった。
破産した貴族のもとには、サージョ法務部を統括する冷徹な美女、エレナがスーツ姿で現れる。
「……侯爵様。債務超過により、あなた様の領地は『サージョ法典・破産法』に基づき、銀行が差し押さえます。領地は解体し、平民へと解放されます」
「そ、そんな……! おお、我が推しよ……!」
「ご安心を。自己破産の手続きが済めば、あなたも一人の平民として、劇場の立ち見席から応援することは法的に許可されています。……なお、握手券の違法な転売を行っていた別の伯爵は、本日付けで強制的に劇場の出入りが禁止されましたので、あなたも法律と利用規約だけは厳守するようになさい」
エレナによる徹底した「著作権保護」と「転売ヤーの撲滅」、そして「合法的な資産没収」により、サージョは国内の貴族から一切の武力と領地を奪い取り、文字通りの『無血開城』を成し遂げた。
しかし貴族たちは領地を失ったが、推しと同じ空気を吸えることに幸福を感じており、誰もサトシに反逆しようなどとは思わなかったのである。
◇
エンタメによる支配を確固たるものにするため、サトシは技術開発にも莫大な予算を注ぎ込んだ。その先頭に立ったのが、学術ギルドのトップにして技術狂のアリスである。
「素晴らしいわ、サトシ様! 兵器開発なんかより、こっちの方がずっと技術の無駄遣いがあって最高よ!」
薄暗い研究室で、アリスは血走った目で魔導端末のキーボードを叩き続けていた。彼女の周囲には、無数のスピーカーと、空中に立体映像を投影する巨大なプロジェクターが配置されている。
「見て! この『魔導ホログラム・システム』! ポリゴン数は従来の百倍、フレームレートは百二十fpsよ! しかも『空間音響魔法』を組み合わせることで、ドームの最後列にいても、まるで推しが耳元で囁いているかのような臨場感を味わえるの! それからこの『魔導ペンライト』! 振った者の感情にリンクして百二十色に自動で発光色が切り替わるわ!」
アリスは、本来なら国家の行方を左右するようなオーバーテクノロジーを、すべて「ライブの演出」と「VRゲーム」のためだけに浪費し、狂喜乱舞していた。
そして、その最高峰の技術と演出の中心に立つ、サージョ帝国が生み出した「究極の偶像」。それが、ぐうたらしていた神殿の聖職者――リリィであった。
「はぁ……。どうして私が、こんなフリフリの衣装を着て歌わなきゃいけないんですかぁ……。お昼寝したいです……」
巨大ドームの楽屋で、リリィはテーブルに突っ伏して不満げに頬を膨らませていた。
「我慢しろ、リリィ。お前は大陸の頂点に立つトップアイドルなんだからな」
プロデューサー席に座るサトシが、面白そうに笑う。
リリィの持つ「治癒魔法」。それは本来、医療現場で使われるべきものだった。だが、この世界線において、サトシは彼女に『抗老化魔法』を自身に応用させ、肉体を「永遠の二十歳」で固定させた。
その結果、リリィは老いを知らぬ美貌と、持ち前の『ぽやぽやした』天然のキャラクターが奇跡的な化学反応を起こし、圧倒的な人気を獲得してしまったのである。
彼女の魅力は、ただ可愛いだけではない。
「――それではお聴きください。リリィで、『癒やしのまどろみ』」
ドームのステージにリリィが立ち、ぽやぽやとした優しい歌声を響かせた瞬間。
彼女の歌声に乗せて、本物の「治癒魔法の波動」が会場全体へと降り注ぐのだ。
観客席を埋め尽くす五万人のオタクたち(元兵士、元貴族、商人たち)が、その波動を浴びた瞬間、日々の労働の疲れやストレス、腰痛、肩こりが一瞬にして吹き飛んでいく。
「おおおおおっ! リリィちゃぁぁぁん!!」
「す、すごい! 歌を聴いただけで、持病の神経痛が消えたぞ!」
「ああっ、尊い……! リリィちゃんのぽやぽやした笑顔を見ているだけで、生きる活力が湧いてくる……!」
アイドルのライブでありながら、それは同時に「五万人規模の集団治癒儀式」であった。
身体が物理的に健康になり、心が猛烈な多幸感で満たされる。こんなもの、一度味わってしまえば絶対に抜け出せるはずがない。大陸中の全人類が、リリィの歌声とサージョのエンタメに対する「重度の依存症」に陥っていた。
誰も彼女のライブを邪魔しようとはしないし、サージョに戦争を仕掛けて公演が中止になることなど、全人類が絶対に許さなかった。
◇
五万人が熱狂するドームのVIP席。
サトシは、往年の敏腕プロデューサーのような恰好をして、眼下に広がる光景を見下ろしていた。
アリスの技術が作り出した圧倒的な光と音の演出の中、永遠の二十歳であるリリィが、少し眠たそうに、しかし愛らしい笑顔で手を振っている。
その足元では、かつて剣を握っていた者も、領地を奪い合っていた者も、誰もが肩を組み涙を流し、満面の笑顔で「百二十色に光る魔導ペンライト」を力強く振り乱していた。
身分の差も、国境も、憎しみも、そこには一切存在しない。あるのはただ「推しへの絶対的な愛」という共通言語だけだ。
「……血は一滴も流れていない。飢える者もいない。誰もが笑顔で、平和に暮らしている」
サトシは、狂気的なまでに一体化した観客席を見つめながら、静かに呟いた。
「見事な統治ですね、サトシ様」
隣に立つエレナが、タブレット端末で本日のグッズの莫大な売上データを確認しながら微笑んだ。
「ああ、武器で世界を統べる時代は終わった。これからの世界を支配するのは、武力でも法律でもない。次に発売されるゲームの発売日と、ライブのチケットの当落発表だ。……彼らはもう、俺たちが提供する『娯楽』なしでは、一秒たりとも生きていけない」
大歓声がドームを揺らし、無数のペンライトの光が、まるで新しい時代の星空のようにキラキラと瞬いている。
それは、武力による死の恐怖よりも、ディストピアの徹底的な管理よりも、ある意味で恐ろしい光景だった。全人類が自ら進んで思考を放棄し、与えられた快楽の檻の中で幸せそうに踊り続ける、究極の文化侵略。
「さあ、歌え。踊れ。推しに全財産を捧げろ。……これが、サージョがもたらす『最高の平和』だ」
サトシの唇の端が、悪魔のように、しかし極めてプロデューサーらしく吊り上がった。
ファンタジー世界は、こうして一人の男が持ち込んだ「オタク文化」の前に、あまりにも平和的に、そして完膚なきまでに征服されたのである。




