【IFストーリー4】冷蔵貨車と胃袋の開拓史――サージョ巨大農協の誕生 (第5章中盤から分岐をイメージ)
※注意
IFストーリーシリーズは本編とは時間軸が異なったパラレルワールドです。
時系列や登場人物の生年、キャラクターの能力や設定が異なったりします。
サトシは、革張りの椅子に深く背中を預け、窓の外に広がる王都の街並みをぼんやりと眺めていた。
王都の景観は、彼がこの世界にやってきた頃とは見違えるほど近代化していた。白煙を吐いて走る国内の鉄道主要幹線はすでに開通し、サージョが誇る「魔導冷蔵車」が各都市を巡って生鮮食品を運んでいる。
西の海運権益もガッチリと握り、胡椒やクミン、カルダモンといった希少な香辛料の安定供給ルートも確立した。
「……うん。もう、これで十分じゃないか?」
サトシは、机の上に広げられていた周辺諸国への経済侵攻計画書をパタンと閉じた。
彼が異世界に現代知識を持ち込んだのは、決して世界を征服して覇王になりたかったからではない。ブラック企業での過酷な労働から逃れ、「自分が安全で、快適に、二度と理不尽な搾取をされずに生きるための環境」を作りたかっただけである。
インフラが整い、物流が安定し、金も地位も手に入れた今。これ以上、寝る間を惜しんで他国とバチバチの経済戦争を繰り広げ、胃を痛める理由などどこにもなかった。
「安全なベッドがあり、寒さを凌げる部屋がある。……となれば、次に俺が満たすべき根源的な欲求は、ただ一つしかない」
きゅるるるる。
サトシの腹の虫が、執務室に控えめに、しかし自己主張強めに鳴り響いた。
サトシは決して裕福な家庭の出ではない。そのうえ、就職した先は絵に描いたようなブラック企業。毎日の食事といえば、深夜のコンビニで買う冷え切った弁当か、栄養ゼリー、あるいは胃に流し込むだけのエナジードリンクばかりだった。
この世界に来てからも、生き残るために必死で、食事の味など二の次だった。この世界の料理といえば、一部の超高級料理を除けば、ただ肉を焼いて岩塩を振っただけのものや、野菜をくたくたになるまで煮込んだ味気ないスープ、そして硬いパンばかりである。
「……美味いものが、食いたい」
サトシは両手で顔を覆い、前世で食べ損ねた記憶の中の『美食』たちに思いを馳せた。
炊きたての、ツヤツヤと輝く銀シャリ。
上質な脂が口の中でとろける、極上のマグロの刺身。
ニンニクと醤油の焦げる香りがたまらない、分厚いステーキ。
出汁の文化、発酵の魔法、香辛料の暴力。
冷蔵車もスパイスもある。あとは最高の素材と「調理法」さえあれば、すべてが再現できるのだ。
「そうだ。俺は、俺の残りの人生の全リソースを傾けて、この世界で『至高のメシ』を食う。美味いものを安全に、腹いっぱい食べる。……それが俺の、これからの基本理念だ!」
その日。
サージョの事業計画から他国への経済侵攻の項目がひっそりと削除され、代わりに「農業改革」「食品流通網の最適化」「品種改良」という項目に、国家予算レベルの莫大なリソースが全振りされることになった。
大陸全土の胃袋を掌握する「美食の開拓史」が幕を開けた瞬間であった。
◇
「いいか、美味い料理を作るためには、何よりも『極上の素材』が必要だ。どれだけ腕の良い料理人がいても、素材が三流では限界がある」
彼が真っ先に着手したのは、近代農業の導入と生産者の組織化である。
輪作の概念を広め、マメ科の植物による窒素固定で痩せた土地を蘇らせ、量産した化学肥料を無償で配布した。さらに、世界各地から美味い野菜や穀物の原種をかき集め、徹底的な「品種改良」を行った。
結果として、サージョの直轄農地からは、甘くて瑞々しいトマト、シャキシャキの葉物野菜、そしてサトシが涙を流して喜んだ「粘り気のある極上の白米(ジャポニカ米に近い品種)」が次々と収穫されるようになった。
農家たちに最新の技術と肥料を無償で提供し、彼らが育てた極上の作物を高値で買い取り、すでに開通している冷蔵車で大陸中に売り捌く。
気づけばサトシは、冷徹な若き実業家から、大陸中の農家や漁師から神のように崇め奉られる『サージョ農業協同組合』の絶対的組合長へと君臨していた。
そして、このスローライフ・美食開拓の旅には、サージョを支える仲間たちがフルメンバーで巻き込まれていた。
サトシが執務室の中に設置された調理台で牛肉を焼いていると、続々とメンバーが集まってくる。
「サトシ様。西方の特産である『幻の黒毛牛』の独占買い付け契約、無事に締結いたしました。契約書に法的な抜け穴はありません。これで、極上のヒレ肉とサーロインが安定して手に入ります」
まだ「法の番人」と呼ばれる前の、若く優秀な法務アシスタントであるエレナ。彼女の仕事は、世界中の希少な食材の独占契約を締結する「最強のバイヤー兼法務担当」となっていた。
普段は背伸びをして厳しい顔を作っている彼女だが、サトシが試作させた「冷やし生クリームのクレープ」や「極上フルーツパフェ」を食べる時だけは、乙女のように顔をほころばせている。
「大将! 北の深い森で、極上の『黒毛の森猪』を仕留めてきたぜ! 罠を張って三日三晩粘った甲斐があった。こいつの肉、前に言ってた『牡丹鍋』ってやつに最高に合うんじゃねえか!?」
武力担当のカイルが、泥だらけになりながら解体済みの巨大な猪肉を担いで帰還する。カイルは凶暴な野生の熊や巨大な猪を狩る時は、正面から剣で挑むような馬鹿な真似はせず、地形を利用し、罠を張り、部下と連携して確実に仕留める。
彼の部隊は今や、超実戦的な「マタギ集団」と化していた。
「ねえサトシ様! 新しい調理器具ができたわよ! 魔導回路を応用した『瞬間超高温・魔導調理鍋』と『完全真空低温調理器』よ! これでミクロの温度管理が可能になるわ!」
学術ギルドの若きトップ、アリス。彼女の天才的な技術力は、すべて料理の科学のために注ぎ込まれ、世界最高のキッチン用品メーカーのチーフエンジニアとなっていた。
そして、最も重要な(そして最も怠惰な)メンバーが、もう一人。
「あぁぁぁ……お肉の焼ける、いい匂い……。サトシ様、私のご飯はまだですかぁ……? お腹が空いて、もう動けません……」
ソファの上で、よだれを垂らしながらだらけきっているのは、亜麻色の髪をしたぽやぽやとした治癒術師、リリィである。
彼女はこの世界線では、サトシが街の神殿を視察した際、「怪我人を治すより、日向ぼっこしてお茶を飲んでいたい」と堂々とサボっていた彼女の並外れた治癒魔法の才能に目をつけ、個人的にスカウトしただけである。
『うちの専属治癒術師になれば、面倒な説法も修行も一切なし。毎日三食、最高に美味い飯と三時のおやつを食わせてやる』
『本当ですか!? 行きます! 就職します!』
そんな極めて不純な動機で、彼女はサージョ農協の専属職員(という名の食客)となっていた。
「リリィ、お前さっき食前のパウンドケーキを丸々一個平らげたばかりだろう」
「甘いものは別腹です! それに、サトシ様たちがどれだけ油っこい豚骨ラーメンを食べても、激辛の麻婆豆腐を食べても、私がすぐに『胃腸完全回復』をかけてあげるじゃないですか! 私がいれば、胃もたれも胸焼けもゼロで、無限に美味しいものが食べられるんですよ!?」
「……まあ、確かにそれは、美食を極める者にとってチートとも言える最強の能力だがな」
サトシは苦笑いしながら、フライパンで香ばしく焼かれたガーリックステーキを皿に盛り付けた。
こうして、優秀な法務アシスタント、頼れるマタギ、天才発明家、そして胃腸を完全回復させる怠惰な治癒術師という、絶妙なバランスのパーティは、「ただ美味い飯を食うためだけ」に結束を固めたのである。
◇
サトシは、ただ自分たちのコミュニティで料理をするだけでは満足しなかった。大陸中の文献を漁り、風俗を調べさせ、美味い料理屋や未知の調理法があると聞けば、パトロンとして莫大な資金を提供し、自らその味を確かめに西へ東へと足を運んだ。
ある日のこと。
サージョの情報網から、「東の果てにある港町シアンに、寂れた定食屋だが、魚の扱いに関して神がかった腕を持つ老料理人がいる。しかし、近海の不漁と流通の悪さでまともな魚が手に入らず、店を畳もうとしている」という報告が上がってきた。
「……幻の料理人が、素材不足で包丁を置こうとしているだと? 食に対する最大の冒涜だ。専用列車を出せ。俺たちが直接行って、極上の素材を叩きつけてやる」
数日後。
東の港町シアンの、海風に晒されたみすぼらしい定食屋の前に、黒塗りの馬車が止まった。中から降りてきたのは、仕立ての良いスーツを着たサトシと、その一党である。
「邪魔するぞ」
サトシが暖簾をくぐると、店内には客の姿はなく、包丁を研いでいた頑固そうな老人が面倒くさそうに顔を上げた。
「……ここはもう、店仕舞いだ。あんたらみたいな金持ちに食わせるような、上等な魚はねえよ」
「素材がないから、最高の腕を振るえない。そう聞いた」
サトシが指を鳴らすと、背後のカイルが、白く冷たい冷気を放つ巨大な『魔導クーラーボックス』をドスッ、とカウンターに置いた。
蓋を開けると、そこには分厚い氷に包まれた、巨大で美しい流線型の魚体が鎮座していた。
「な……っ!? そ、そいつは、遥か北の荒波でしか獲れないという幻の『本マグロ』の極上品!? なぜ、こんな南の端の町に、水揚げされたばかりの鮮度で……!?」
「うちの魔導冷蔵車のネットワークを舐めるなよ。港で獲れた瞬間に血抜きをし、完璧に温度管理をして運んできた。さあ、素材は俺が用意した。あんたの最高の技術で、こいつを食わせてくれ。代金は、あんたの店の借金全額でどうだ」
サトシがニヤリと笑う。
老料理人の目の色が変わった。死にかけていた料理人の魂に、極上の素材が火を点けたのだ。
「……いいだろう。その挑戦、受けて立つ。俺の三十年の包丁捌き、とくと味わいな!」
◇
老料理人の包丁が、流れるような美しさで巨大なマグロを解体していく。骨の髄まで知り尽くしたかのような見事な手際で、赤身、中トロ、大トロが切り分けられていく。
「よし、柵取りは終わった。……だが、これに合わせる最高の調味料いまのウチにはねえ。ただの岩塩じゃ、この脂の甘みに負けちまう」
老料理人が悔しそうに唇を噛んだその時、エレナがアタッシュケースから小さな小瓶と、布に包まれた植物の根を取り出した。
「こちらをお使いください。サージョ農協の研究所で、三年かけて発酵・熟成させた最高級の『特製・本醸造醤油』。そして、北部の清流で育て上げた最高級の『本ワサビ』です」
「なっ……なんだこの、複雑で芳醇な香りは……! 大豆と麦が、こんなにも深い液体になるというのか!」
大トロの刺身。その上から、サトシの醤油と、擦り立ての新鮮な生ワサビが添えられる。そして、傍らには、つやつやと真珠のように光り輝く炊きたての土鍋の白米。
「……さあ、鮮度が落ちないうちにいただこう」
サトシ、エレナ、カイル、アリス、そしてよだれを拭ききれないリリィが、一斉に箸を伸ばす。
醤油を少しだけつけ、ワサビを乗せた大トロを、温かい白米の上でバウンドさせてから、一気に口の中へ放り込む。
「……美味い」
サトシの口から、魂の底からのため息が漏れた。口の中で、すべての素材が完璧なオーケストラを奏でている。
「はふっ、はふっ! サトシ様、これ、お魚がお口の中で溶けますぅ! ご飯が止まりません!」
「見事な包丁の入りだ。筋一つ感じさせない。魚の繊維を完璧に理解している証拠だな」
「この醤油の塩味と、大トロの脂の甘みの契約……完璧なバランスと言わざるを得ませんね」
エレナが、冷静なふりをしながらも、幸せそうに頬を紅潮させて白米をかき込んでいる。
「大将! ご飯おかわりだ! 丼で持ってきてくれ!」
カイルが満面の笑みで空の茶碗を突き出した。
無心で箸を動かし、あっという間に皿を空にするサトシたち。その光景を見ていた老料理人の目から、大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「……あんたたち、本当に美味そうに食うんだな。料理人にとって、客のその顔が見られるのが、一番の幸せだよ」
「良い腕だった。あんたの借金は、さっきエレナが債権ごと買い取ったからチャラだ。明日からはサージョ農協が、毎日最高の海鮮と米をあんたの店に冷蔵車で卸してやる」
「うっ、ううっ……! ありがてえ、すまねえな!」
サトシは、食後の温かいお茶をすすりながら、満ち足りた笑顔で定食屋の天井を見上げた。
(……ああ。やっぱり、他国を征服するより、美味い飯を食って笑っている方が、何百倍もいい人生だ)
◇
それから数年後。
大陸は、かつてないほどの平和と繁栄を謳歌していた。サトシ・サージョは、軍隊を動かすことも、他国の経済を無理やり締め付けるような真似もしなかった。
だが、オース帝国の皇帝も、西方の諸王たちも、今やサトシの前では完全に頭が上がらなかった。
『おお、サトシ殿! どうか、あの甘くてとろける「サージョ農協産・特製完熟マンゴー」と「極上生クリームのロールケーキ」を、我が国の王宮にも卸してくださらんか! あれがないと王妃の機嫌が悪くてかなわんのだ!』
『組合長! 我が国の騎士団は、サージョの「冷蔵・特上黒豚のトンカツ」が出ないと、ストライキを起こすようになってしまったのだ! どうか関税を下げるから輸出枠の拡大を!』
武力ではなく、経済的な搾取でもなく。サトシは、大陸中のすべての権力者と民衆の『胃袋』を、完全に掌握してしまったのである。
美味いものを食べれば、人は争う気をなくす。
美味しいご飯と、安定した食品の流通網。それさえあれば、世界はこんなにも簡単に平和になるのだ。
「サトシ様! 今日のお昼は、アリスさんが新しい魔導圧力鍋で作った『究極の豚骨ラーメン』ですよ! 早くしないと麺が伸びちゃいます!」
執務室の扉をバンッと開けて、どんぶりを手にしたリリィが満面の笑みで飛び込んできた。その後ろからは、若き日のエレナやカイルたちも楽しそうに歩いてくる。
「ああ、今行く」
サトシは、最高に幸せな笑顔で立ち上がった。
覇道も、ディストピアもここにはない。あるのはただ、湯気を立てる極上の料理と、それを共に笑い合いながら食べる、少しポンコツで愛すべき仲間たちだけ。
世界最大の『巨大農協』のトップとして、サトシ・サージョの美味しくて平和な開拓史は、今日も胃袋の限界を超えて続いていくのだった。
【完】




