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1500万円で異世界を買い叩く 〜ブラック企業で貯めた金で【銀行】を作り、【産業革命】を起こして魔法世界を経済支配する〜  作者: 高山 虎
最終章 最期の貸借対照表編

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第68話 永遠の貸借対照表――投資家のログアウト

 サトシが異世界に降り立ってから、長い年月が流れた。かつて鉄と蒸気で大地を繋いだ男は、いまや九十一歳を迎えていた。


 その朝、大陸東部の海岸線に広がるサージョ宇宙港は、いつにも増して厳かな熱気に包まれていた。かつては草木も生えない荒野だったこの場所は、今や高層ビルが立ち並び、航空機が飛び交う巨大な先端技術都市へと変貌を遂げている。


 その中心にある特別展望室に、一台の車椅子が静かに進み出た。座っているのは、痩せ細り、毛布にくるまれた小さな老人。だが、その深く刻まれた皺の奥にある瞳だけは、老いを知らず、鋭い理知の光を放っていた。


 サトシ・サージョ・カエサルその人である。


「……サトシ様、到着しました。あなたが若者たちに託した『空の測り方』の成果です」


 車椅子を押すのは、エレナだ。彼女もまた六十七歳という高齢を迎えているはずだった。しかし、その姿に老いの陰りを見て取ることはできない。


 肌は陶磁器のように滑らかで艶があり、背筋は伸び、その立ち居振る舞いは全盛期の三十代を彷彿とさせる美しさを保っていた。それは、サトシが私財を投じて完成させた最新の抗老化魔法技術と再生医療の結晶であった。


『俺が先に逝くのは確定事項だ。だからこれは俺の我儘なんだ。君には美しく、長く生きて、俺が残した世界を見守ってほしい』


 そう願ったサトシの執念が、彼女をこの世界の美しき守護者足らしめていた。


「……来たか」


 サトシの視線の先。

 宇宙の旅を終えて帰還した貨物船から、厳重に梱包されたコンテナが運び出された。技術者たちが震える手でロックを解除すると、そこには青白く、静謐な光を放つ鉱石が鎮座していた。


「月面鉱石……。別名、超高純度魔力結晶体」


 サトシは痩せ細った手を伸ばし、その冷たく、脈打つような光に触れた。かつて天文チームが予測し、サトシが人生の最後を賭けた月の資源。

 それは、従来の魔石とは比較にならないエネルギー密度を秘めていた。この石ころ一つで大都市のエネルギーを一年間賄えるほどの。


「……エレナ。計算してみろ」


 サトシの声は、掠れてはいたが明晰だった。


「この結晶の埋蔵量と、現在の大陸のエネルギー消費係数を突き合わせると、どうなる?」


 エレナは端末を操作することなく、即座に答えた。


「現在の採掘技術と産業成長率を加味し、エネルギー消費が指数関数的に上昇したと仮定しても……最低で向こう三百年は『エネルギー枯渇の心配なし』です」


「……そうか。三百年か」


 サトシは深く息を吐き、満足げに目を細めた。エネルギーの奪い合いによる戦争。資源枯渇による文明の衰退。それらの不確定要素は、この石一個によって、向こう数世紀にわたって排除されたのだ。


「……よし。これで、俺の仕事は完了だ」


 この老商人は、人生の最終局面において、人類史に残る最大のリターンを計上したのである。


「へっ、相変わらずいい仕事しやがるな、旦那」


 豪快な笑い声と共に、一人の男が展望室に入ってきた。カイルである。彼もまた七十九歳を迎えていたが、その体躯は衰えるどころか、老木のような硬質な威厳をまとっていた。その胸にはサージョ・グループの顧問理事を示す紋章が輝いている。


「カイル、声がデカい。耳が遠くなったわけじゃないぞ」


「悪い悪い。……だがよ、感慨深いじゃねぇか。あんたが昔語ったプロジェクトが、今じゃ空の向こうまで繋がってやがるんだ」


 カイルは壊れ物を扱うように優しくサトシの肩を叩いた。


 二人の周りには、多くの人々が集まっていた。サトシとエレナの子供たち。孫たち。そして小さな曾孫たち。彼らは皆、サトシの「合理性」とエレナの「法」を受け継ぎ、それぞれの分野でリーダーとして活躍している。


 さらにその後ろには、サージョの意志を継ぐ数万、数十万の社員たちがいる。鉄道は正確に時を刻み、銀行は経済の血を回し、法典は正義を担保し、ロケットは星を目指す。


それらすべてが、もはやサトシという個人を離れ、大陸という一つの巨大な自律的な生命体として、力強く脈動していた。


「見てみな、旦那」


 カイルが窓の外、広がる都市を指差した。


「あんたが作ったのは会社じゃねぇ。この『時代』そのものだ。……俺たちは、いい時代に生まれたもんだな」


「……ああ。退屈しない人生だったよ」


 サトシは微笑みした。かつて「社畜」として消費されるだけだった男が、異世界で「時代」を作った。その事実は、どんな宝石よりも重く、彼の胸を満たしていた。


 ◇


 その日の夕暮れ。

 祝賀ムードに包まれる宇宙港を離れ、サトシは静かな私邸の寝室にいた。傍らには、エレナだけが付き添っている。窓の外には、藍色が混じり始めた空に、蒼く輝く月が昇り始めていた。


 サトシの呼吸は、浅く、ゆっくりとしたものになっていた。痛みはない。ただ、生命の灯火が、ロウソクの最後のように静かに揺らめいているのを感じていた。


「……エレナ」


 かすれ、消え入りそうなその声に、隣に寄り添っていた影が即座に反応した。彼女は椅子から身を乗り出し、サトシの顔を覗き込む。


「はい、ここにいます」


 エレナは、年齢通りとは思えぬ若々しく温かな手で、サトシの枯れ枝のような手を両手で包み込んだ。その温もりが、サトシを現世に繋ぎ止める最後の錨だった。


「俺は、投資家だ。……だから、最後に確認しておきたい」


 サトシは天井を見つめた。

 かつてのワンルームのシミだらけの天井ではない。シャンデリアが輝く、美しい天井だ。


「俺の人生というプロジェクト……。九十一年をかけたこの投資の、最終的なリターンはどうだ? 赤字か? 黒字か?」


 それは、彼らしい最後の問いだった。人生を損得で語るなと人は言うかもしれない。だが、彼にとって「得」とは、誰かの幸福の総量のことだった。


 エレナは微笑んだ。その瞳から、一筋の涙が零れ落ち、サトシの手の甲を濡らした。


「……サトシ様。監査報告をいたします」


 エレナは、法の番人として、そして最愛の妻として、厳かに告げた。


「負債はゼロ。……貴方が背負ったリスク、苦労、悲しみは、すべて償却されました」


「……資産は?」


「資産は……計上不可能です」


 エレナは窓の外、光り輝く街と、月を見上げた。


「この大陸に生きる人々の笑顔。飢えることのない子供たち。争いのない国境。そして、貴方が遺した未来への希望。……これらは無限大です。これ以上の純利益は、計算できません」


「……そうか。計算不能か」


 サトシの口元が緩んだ。

 計算高い投資家が、最後に計算できないほどの利益を得た。それは、最高のジョークであり、最高の賛辞だった。


「……なら、いい『ログアウト』になりそうだ」


 サトシの視界が、徐々に白く霞んでいく。

 恐怖はなかった。かつてブラック企業で感じた、明日が来るのが怖いという感覚もない。あるのは、仕事をやり遂げ、定時でタイムカードを押す時のような、心地よい解放感だけだった。


(ああ、長いシフトだったな……)


 サトシは、握りしめていたエレナの手の感触を最後に、ゆっくりと目を閉じた。


(でも、悪くない職場だったよ。……ありがとう、みんな)


 ドクン、と最後に一つ、心臓が大きく打ち、そして止まった。

 一人の男の、長くて濃密な「勤務時間」が、終わりを告げた。


 ◇


 その瞬間。

 まるで申し合わせたかのように、大陸中の空気が震えた。


「ポーッ!!」


 遠く、宇宙港の駅から汽笛が鳴った。

 それに呼応するように、王都の中央駅、国境の砦駅、山間の小さな無人駅……大陸中に張り巡らされた数万キロの鉄路の上で、全ての蒸気機関車が一斉に汽笛を鳴らしたのだ。


 それは、悲しみの音ではなかった。新しい時代を切り拓いた「鉄道の父」への、感謝と敬意を込めた、壮大なシンフォニーだった。


 さらに、宇宙港の発射台からは、打ち上げ待機中だった次世代ロケットが、そのエンジンに火を灯し、夜空に向かって一条の光の柱を放った。その光は、昇り始めた月へと真っ直ぐに伸び、サトシの魂が還るべき場所を指し示しているようだった。


 エレナは、動かなくなったサトシの額に口づけを落とした。


「お疲れ様でした、あなた。……ゆっくり、お休みになってください」


 彼女は涙を拭い、顔を上げた。その表情には悲しみよりも深い、決意と誇りが宿っていた。彼が遺したこの世界を、この「資産」を、守り抜くこと。それが、残された自分たちの新たな契約なのだから。


 サトシ・サージョ・カエサル。

 かつてブラック企業の社畜でしかなかった男は、異世界で「創造主」としてその生涯を閉じた。彼が残した貸借対照表には、数字では表せない「幸福」という名の莫大な利益が、永遠に刻まれている。


 その夜、大陸は光と音に包まれ、一人の偉大な投資家の旅立ちを見送った。


 レールは続いていく。どこまでも、未来へと向かって。

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